捨てられた地味な王宮修復師(実は有能)、強面辺境伯の栄養管理で溺愛され、辺境を改革する ~王都の貴重な物が失われても知りませんよ?~

水上

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第20話:育成と継承

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 領都の一角に、新しい建物が完成した。
 かつては廃墟同然だった旧図書館を改装したその場所は、大きな窓からたっぷりと自然光が入り、薬品と紙、そして木の香りに満ちている。

 看板には、『辺境伯領立 美術修復・鑑定アカデミー』と記されていた。

「……では、今日の講義を始めます」

 教壇に立ったリディアが声をかけると、二十名ほどの生徒たちが一斉に背筋を伸ばした。

 生徒の年齢層はバラバラだ。
 十代の子供から、二十代の若者まで。

 彼らは皆、没落貴族の子弟や、先の影の画家たちが連れてきた弟子、あるいは領内の孤児院から選抜された、手先が器用で観察眼に優れた子供たちだった。

 リディアは黒板に、ある化学式を書いた。

「修復における最も重要な原則。それは可逆性です」

 彼女はチョークを置き、生徒たちを見渡した。

「私たちが施す処置は、将来、より優れた技術が開発された時に、安全に取り除いてやり直せる状態でなければなりません。一度塗ったら二度と取れないような接着剤や塗料を使うことは、修復ではなく破壊です」

 生徒たちは熱心にメモを取っている。
 かつて王宮で孤独に戦っていたリディアにとって、自分の知識を受け継いでくれる彼らの存在は、何よりも得難い宝物だった。

「先生! 質問です!」

 最前列に座っていた赤毛の少女――孤児院出身のミリアが元気に手を挙げた。

「この前の青の渓谷の顔料ですが、油と混ぜると少し黄色くなるのはなぜですか?」

「いい質問ですね。それは油の酸化重合反応による黄変です。対策としては、ポピーオイルの比率を……」

 リディアが笑顔で解説を始めようとした、その時だった。

 教室の扉が重々しく開かれた。

 瞬時に、教室内の空気が凍りついた。
 室温が五度は下がった気がする。

 入ってきたのは、黒い軍服に身を包んだジェラルドだった。
 その鋭い眼光が、教室全体を睥睨する。

「……ひっ」

 生徒たちが震え上がる。
 彼らにとって、領主ジェラルドは泣く子も黙る鬼の辺境伯であり、畏怖の対象そのものだ。

「じ、ジェラルド様? どうされたのですか?」

 リディアが駆け寄ると、ジェラルドは不機嫌そうに――実際は照れ隠しなのだが――大きな包みを教卓に置いた。

「差し入れだ。……脳のエネルギー源であるブドウ糖と、集中力を維持するためのミネラル水だ」

「まあ……! おいしそうなクッキー。ありがとうございます」

「それと、施設の視察だ。……空調設備は適切か? 照明の照度は? 生徒たちの栄養状態に問題はないか?」

 ジェラルドは教室を練り歩き、生徒たちの手元やノートを覗き込んだ。
 生徒たちは蛇に睨まれた蛙のように硬直しているが、ジェラルドの指摘は的確かつ慈愛(?)に満ちていた。

「おい、そこの少年。姿勢が悪い。脊椎の歪みは視神経を圧迫し、鑑定眼を曇らせるぞ。背筋を伸ばせ」

「は、はいっ!」

「そこの少女。指先にささくれがあるな。ビタミン不足だ。……あとで私の執務室に来い。特製サプリメントを支給してやる」

「あ、ありがとうございます……」

 怯えながらも、子供たちは気づき始めていた。
 この強面の領主様が、自分たちを脅しに来たのではなく、本気で心配し、支援してくれているのだということに。

 ジェラルドは教壇に戻ると、リディアの隣に立ち、生徒たちに向かって宣言した。

「よく聞け、ひよっこたちよ。私がこのアカデミーに巨額の予算を投じ、奨学金制度まで作ったのは、慈善事業ではない。……投資だ」

 彼はリディアを指し示した。

「リディア先生の持つ知識と技術は、我が領地だけでなく、この国の宝だ。だが、人間一人の寿命と稼働時間には限界がある。……だから、君たちに継承させる」

 ジェラルドの声に熱がこもる。

「知識は腐らん。金や食料は使えば減るが、知識だけは分け与えても減らず、むしろ君たちの中で増殖し、新たな価値を生む。……リディア先生から全てを吸収しろ。そして、未来の美を守る防波堤となれ」

 シーンと静まり返った教室。
 だが、次の瞬間、生徒たちの瞳に強い光が宿った。
 捨てられた子だった彼らに、これほど明確な役割と期待を与えてくれた大人は、今までいなかったからだ。

「……はいっ!!」

 元気な返事が教室中に響き渡る。
 リディアは胸が熱くなっていた。

「ジェラルド様……。ありがとうございます」

「礼には及ばん。……それに、君一人に負担がかかるのは非効率だからな」

 ジェラルドがそっぽを向くと、先ほどの赤毛の少女、ミリアが恐る恐る手を挙げた。

「あ、あの……、領主様」

「なんだ」

「領主様は……、リディア先生の、恋人なんですか?」

 その質問を受けて、ジェラルドが盛大に咳き込んだ。
 リディアも顔を真っ赤にして、眼鏡がずり落ちそうになる。

「こ、こ、恋人だなんて! そんな、恐れ多い……!」

「ち、違う! 私はあくまで、彼女の健康管理責任者兼、最高経営責任者として……!」

 しどろもどろになる大人二人を見て、子供たちがクスクスと笑い出した。

「顔が赤いよー」

「絶対そうだよー」

「先生、お似合いだよ!」

 無邪気な冷やかしに、最強の辺境伯も、天才修復師も形無しだった。

「ええい、うるさい! ……授業に戻れ! 私は帰る!」

 ジェラルドは真っ赤な顔でマントを翻し、逃げるように教室を出て行った。
 扉が閉まる音と共に、教室はドッと温かな笑い声に包まれた。

 放課後。
 リディアはアカデミーの屋上に立ち、夕暮れに染まる領地を見下ろしていた。

 かつては灰色だった荒野には、亜麻とポピーの花畑が広がり、風に揺れている。
 活気あるアトリエ街からは、職人たちの槌音が聞こえる。
 鉱山からは青い黄金を運ぶ馬車が行き交い、港にはスノー・ルージュを積んだ船が出航を待っている。

 ボロボロだった土地が、今はこんなにも美しく、豊かに色づいている。

「……すごいな」

 いつの間にか戻ってきていたジェラルドが、隣に並んだ。

「君が来た時は、カビと埃しかなかったこの場所が、今や美の聖地と呼ばれている。……君が変えたんだ、リディア」

「いいえ。ジェラルド様が、私を信じてくださったからです」

 リディアは彼を見上げた。
 出会った頃の恐怖はもうない。
 あるのは、絶対的な信頼と、愛おしさだけ。

「私、ここに来て本当によかったです。……追放されて、幸せになれました」

 その言葉に、ジェラルドは優しく目を細め、大きな手でリディアの頭を撫でた。

「私もだ。……君という名画に出会えて、私の人生もようやく色付いた」

 二人は並んで、美しい夕日を眺めた。
 辺境での再生と開花の物語は、ここで一つの結実を迎えた。

 だが、光が強くなれば、影もまた濃くなる。
 遠く南の空――王都の方角には、不穏な雲が渦巻き始めていた。

 彼らの成功を妬む者たちの悪意が、すぐそこまで迫っていることを、二人はまだ知らなかった……。
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