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第21話:招かれざる客
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辺境伯領が美の聖地として栄え始めると、光に群がる虫のように、招かれざる客も現れるようになった。
「おお、なんと素晴らしい! これほど洗練された屋敷が、このような辺境にあるとは!」
屋敷の応接室で、大げさな身振り手振りを交えて話す男がいた。
王都からやってきた画商、ジードラー男爵だ。
高価な服を着込んでいるが、その布地が汗で張り付き、漂う香水の匂いが鼻につく。
その目は値踏みするように室内を、そしてリディアを舐め回していた。
ジェラルドはソファに深く腰掛け、不機嫌を隠そうともせずに足を組んでいた。
「……用件を言え」
「ははは、相変わらずせっかちですなぁ、閣下。本日は、審美眼の高い閣下にこそふさわしい、幻の逸品をお持ちしたのですよ」
ジードラーは従者に合図し、恭しく布に包まれた大きな絵画を運ばせた。
布が取り払われると、そこには湖の畔に佇む女神を描いた、美しい風景画が現れた。
「ご覧ください! 百年前の伝説の巨匠、ヴァン・ドールの未発表作品、湖畔の女神です!」
リディアは眼鏡の奥の瞳を細めた。
ヴァン・ドール。
美術史に名を残す巨匠だ。
確かに、その繊細なタッチや構図は、彼の手によるものに見える。
もし本物なら、城が一つ買えるほどの価値があるだろう。
「王都の貴族たちが競って欲しがりましたが、私は思いました。この傑作を真に愛せるのは、辺境の復興を成し遂げたジェラルド閣下しかいないと! ……特別価格、金貨五千枚でお譲りしましょう」
破格の値段だ。
しかし、ジードラーの笑顔には、隠しきれない焦りと欲望が滲んでいる。
「……リディア」
ジェラルドが短く名を呼んだ。
リディアは無言で立ち上がり、絵画の前に進み出た。
懐からルーペを取り出し、画面に顔を近づける。
「ほう、このお嬢さんが鑑定を? 失礼ながら、このような若い娘に巨匠の真価が……」
「静かにしろ。彼女の集中を乱すな」
ジェラルドの一睨みで、ジードラーは「ひっ」と口をつぐんだ。
リディアの視線は、女神が纏っているドレスの青色に注がれていた。
深く、鮮やかで、どこか冷たさを感じる青。
(……綺麗です。とても発色が良く、粒子も細かい)
リディアは顔を上げ、静かに告げた。
「素晴らしい絵ですね。筆致も巧みで、構図も完璧です」
「でしょう! さあ閣下、サインを!」
「ですが」
リディアの冷徹な声が、商人の歓喜を断ち切った。
「この絵は、ヴァン・ドールが描いたものではありません。精巧な贋作です」
ジードラーの顔が引きつった。
「な、何を馬鹿な! 鑑定書もあるんですよ!? ドールの筆使いそのものでしょう!」
「ええ、筆使いは完璧に模倣されています。ですが、画材は嘘をつけません」
リディアは絵画の青いドレス部分を指差した。
「この鮮やかな青色。これはプルシアンブルーと呼ばれる化学顔料です。鉄とシアン化合物を反応させて作られる、非常に美しい人工の青です」
彼女はジードラーを真っ直ぐに見据えた。
「この顔料が発明されたのは、今から約五十年前。……ですが、巨匠ヴァン・ドールが亡くなったのは百年前です」
室内が静まり返る。
リディアは淡々と、決定的な動かぬ証拠を突きつけた。
「死後五十年経ってから発明された絵具を使って、どうやって彼が絵を描けるのですか? ……幽霊が描いたとでも言うつもりですか?」
「そ、それは……! 修復の過程で後から塗られたもので……!」
「いいえ。顕微鏡で見ればわかりますが、この青は一番下の下層、つまり描き始めの段階から使われています」
逃げ道は完全に塞がれた。
ジードラーは顔面蒼白になり、脂汗を滝のように流した。
「くっ……! こ、こんな田舎娘の言うことなど信じられるか! 私は帰る!」
絵を奪い返して逃げようとしたジードラーの前に、巨大な影が立ちはだかった。
ジェラルドだ。
「……待ちたまえ。話は終わっていない」
ジェラルドはジードラーの肩を掴んだ。骨が軋む音がした。
彼は男をソファに無理やり座らせると、自分も対面に座り、不気味なほど穏やかな声で言った。
「なあ、男爵。……交渉とは、筋の多い肉を煮込むのと一緒だ」
「は……? に、肉……?」
「強火でガンガン攻めれば、肉は硬く縮こまり、味も染み込まない。……弱火でコトコト、時間をかけて圧力をかけ、繊維がほぐれるまで煮込むのが極意だ」
ジェラルドはジードラーの目の前に、自分の顔を近づけた。
至近距離で見る強面。
その迫力に、男爵の瞳孔が開く。
「さて、貴様という硬い肉をどう料理してやろうか。……この贋作、誰の指示で持ち込んだ? ただの金稼ぎにしては、手が込みすぎている」
リディアの知識で嘘を暴き、ジェラルドの恐怖で真実を吐かせる。
二人の連携の前では、小悪党など赤子同然だった。
「ひ、ひぃぃっ! 言います、言いますから食べないでくださいっ!」
「誰が食うか。腹を壊す」
ジードラーは震えながら、白状した。
「お、王都の……アルフレッド王太子殿下の側近からです……! 王宮の財政が火の車で、どうしても至急、現金が必要だと……!」
リディアとジェラルドは顔を見合わせた。
王宮の財政難。
リディアがいなくなったことで美術品の管理費が嵩んでいるのか、それともミナの浪費か。
いずれにせよ、彼らは金を作るために、偽物を売りさばくという犯罪に手を染めていたのだ。
「……なるほど。腐っているとは思っていたが、ここまでとはな」
ジェラルドは立ち上がり、衛兵を呼んだ。
「この男を詐欺未遂で地下牢へ。……じっくり煮込んで、王都の情報を全て吐かせろ」
連行されていくジードラーの叫び声が消えると、ジェラルドは深いため息をついた。
「どうやら、向こうはこちらを金づるとして認識し始めたようだな」
「……ジェラルド様。私のせいで、ご迷惑を……」
「違う。これは争奪戦だ、リディア」
ジェラルドはリディアの肩を抱き寄せた。
「彼らは気づき始めたのだ。君を失った損失の大きさと、君を手に入れた私が得ている利益の大きさに。……だから、奪いに来る」
窓の外、南の空には黒い雲が広がっていた。
平穏な領地経営の日々は終わり、直接的な悪意との対決の時が迫っていた。
「迎え撃つぞ。……君には、指一本触れさせん」
ジェラルドの言葉に、リディアは強く頷いた。
ただ守られるだけではない。
自分の知識と、彼の力で、王都の腐敗と戦う覚悟を決めた瞬間だった。
「おお、なんと素晴らしい! これほど洗練された屋敷が、このような辺境にあるとは!」
屋敷の応接室で、大げさな身振り手振りを交えて話す男がいた。
王都からやってきた画商、ジードラー男爵だ。
高価な服を着込んでいるが、その布地が汗で張り付き、漂う香水の匂いが鼻につく。
その目は値踏みするように室内を、そしてリディアを舐め回していた。
ジェラルドはソファに深く腰掛け、不機嫌を隠そうともせずに足を組んでいた。
「……用件を言え」
「ははは、相変わらずせっかちですなぁ、閣下。本日は、審美眼の高い閣下にこそふさわしい、幻の逸品をお持ちしたのですよ」
ジードラーは従者に合図し、恭しく布に包まれた大きな絵画を運ばせた。
布が取り払われると、そこには湖の畔に佇む女神を描いた、美しい風景画が現れた。
「ご覧ください! 百年前の伝説の巨匠、ヴァン・ドールの未発表作品、湖畔の女神です!」
リディアは眼鏡の奥の瞳を細めた。
ヴァン・ドール。
美術史に名を残す巨匠だ。
確かに、その繊細なタッチや構図は、彼の手によるものに見える。
もし本物なら、城が一つ買えるほどの価値があるだろう。
「王都の貴族たちが競って欲しがりましたが、私は思いました。この傑作を真に愛せるのは、辺境の復興を成し遂げたジェラルド閣下しかいないと! ……特別価格、金貨五千枚でお譲りしましょう」
破格の値段だ。
しかし、ジードラーの笑顔には、隠しきれない焦りと欲望が滲んでいる。
「……リディア」
ジェラルドが短く名を呼んだ。
リディアは無言で立ち上がり、絵画の前に進み出た。
懐からルーペを取り出し、画面に顔を近づける。
「ほう、このお嬢さんが鑑定を? 失礼ながら、このような若い娘に巨匠の真価が……」
「静かにしろ。彼女の集中を乱すな」
ジェラルドの一睨みで、ジードラーは「ひっ」と口をつぐんだ。
リディアの視線は、女神が纏っているドレスの青色に注がれていた。
深く、鮮やかで、どこか冷たさを感じる青。
(……綺麗です。とても発色が良く、粒子も細かい)
リディアは顔を上げ、静かに告げた。
「素晴らしい絵ですね。筆致も巧みで、構図も完璧です」
「でしょう! さあ閣下、サインを!」
「ですが」
リディアの冷徹な声が、商人の歓喜を断ち切った。
「この絵は、ヴァン・ドールが描いたものではありません。精巧な贋作です」
ジードラーの顔が引きつった。
「な、何を馬鹿な! 鑑定書もあるんですよ!? ドールの筆使いそのものでしょう!」
「ええ、筆使いは完璧に模倣されています。ですが、画材は嘘をつけません」
リディアは絵画の青いドレス部分を指差した。
「この鮮やかな青色。これはプルシアンブルーと呼ばれる化学顔料です。鉄とシアン化合物を反応させて作られる、非常に美しい人工の青です」
彼女はジードラーを真っ直ぐに見据えた。
「この顔料が発明されたのは、今から約五十年前。……ですが、巨匠ヴァン・ドールが亡くなったのは百年前です」
室内が静まり返る。
リディアは淡々と、決定的な動かぬ証拠を突きつけた。
「死後五十年経ってから発明された絵具を使って、どうやって彼が絵を描けるのですか? ……幽霊が描いたとでも言うつもりですか?」
「そ、それは……! 修復の過程で後から塗られたもので……!」
「いいえ。顕微鏡で見ればわかりますが、この青は一番下の下層、つまり描き始めの段階から使われています」
逃げ道は完全に塞がれた。
ジードラーは顔面蒼白になり、脂汗を滝のように流した。
「くっ……! こ、こんな田舎娘の言うことなど信じられるか! 私は帰る!」
絵を奪い返して逃げようとしたジードラーの前に、巨大な影が立ちはだかった。
ジェラルドだ。
「……待ちたまえ。話は終わっていない」
ジェラルドはジードラーの肩を掴んだ。骨が軋む音がした。
彼は男をソファに無理やり座らせると、自分も対面に座り、不気味なほど穏やかな声で言った。
「なあ、男爵。……交渉とは、筋の多い肉を煮込むのと一緒だ」
「は……? に、肉……?」
「強火でガンガン攻めれば、肉は硬く縮こまり、味も染み込まない。……弱火でコトコト、時間をかけて圧力をかけ、繊維がほぐれるまで煮込むのが極意だ」
ジェラルドはジードラーの目の前に、自分の顔を近づけた。
至近距離で見る強面。
その迫力に、男爵の瞳孔が開く。
「さて、貴様という硬い肉をどう料理してやろうか。……この贋作、誰の指示で持ち込んだ? ただの金稼ぎにしては、手が込みすぎている」
リディアの知識で嘘を暴き、ジェラルドの恐怖で真実を吐かせる。
二人の連携の前では、小悪党など赤子同然だった。
「ひ、ひぃぃっ! 言います、言いますから食べないでくださいっ!」
「誰が食うか。腹を壊す」
ジードラーは震えながら、白状した。
「お、王都の……アルフレッド王太子殿下の側近からです……! 王宮の財政が火の車で、どうしても至急、現金が必要だと……!」
リディアとジェラルドは顔を見合わせた。
王宮の財政難。
リディアがいなくなったことで美術品の管理費が嵩んでいるのか、それともミナの浪費か。
いずれにせよ、彼らは金を作るために、偽物を売りさばくという犯罪に手を染めていたのだ。
「……なるほど。腐っているとは思っていたが、ここまでとはな」
ジェラルドは立ち上がり、衛兵を呼んだ。
「この男を詐欺未遂で地下牢へ。……じっくり煮込んで、王都の情報を全て吐かせろ」
連行されていくジードラーの叫び声が消えると、ジェラルドは深いため息をついた。
「どうやら、向こうはこちらを金づるとして認識し始めたようだな」
「……ジェラルド様。私のせいで、ご迷惑を……」
「違う。これは争奪戦だ、リディア」
ジェラルドはリディアの肩を抱き寄せた。
「彼らは気づき始めたのだ。君を失った損失の大きさと、君を手に入れた私が得ている利益の大きさに。……だから、奪いに来る」
窓の外、南の空には黒い雲が広がっていた。
平穏な領地経営の日々は終わり、直接的な悪意との対決の時が迫っていた。
「迎え撃つぞ。……君には、指一本触れさせん」
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