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第22話:王都の崩壊
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その夜、王都の王宮大広間は、狂騒と悲鳴に包まれていた。
ことの発端は、数時間前に遡る。
王太子アルフレッド主催の夜会が開かれていた。
財政難や贋作疑惑の噂を払拭するため、そして新しい婚約者ミナをお披露目するために強行された、起死回生の舞踏会だった。
「見よ、この輝きを! これぞ王家の威光だ!」
アルフレッドはグラスを掲げ、天井を指差した。
そこには、王国の至宝とも呼ばれる巨大なクリスタル・シャンデリアが吊り下げられている。
数千個のクリスタルガラスが蝋燭の光を反射し、七色の虹を部屋中に撒き散らしていた。
「まぁ、素敵ですわアルフレッド様! キラキラして、まるで私の心みたい!」
ミナが甘ったるい声を上げ、アルフレッドの腕にすがりつく。
着飾った貴族たちは、不自然なほど大げさに二人を称えた。
内心では、また派手な浪費をと思いながらも、王太子の機嫌を損ねるわけにはいかないからだ。
音楽が始まった。
優雅なワルツに合わせて、数百人の男女がステップを踏む。
その振動が、床から壁へ、そして天井へと伝わっていく。
微かな異音がした。
しかし、オーケストラの演奏と談笑の声にかき消され、誰の耳にも届かない。
かつて、この広間には一人の地味な修復師がいた。
彼女は夜会の前には必ず、梯子を登って天井裏に入り、支柱の金属疲労をチェックしていた。
そして、クリスタルの反射光がわずかでも歪んでいないかを、その鋭敏な観察眼で確認していたのだ。
だが、彼女はもういない。
今度は、はっきりと聞こえた。
頭上からの不吉な軋み音に、何人かが足を止め、天井を見上げた。
「……なんか、揺れてないか?」
「気のせいだろう。王宮の設備が壊れるはずが……」
その言葉が終わらないうちに。
太い金属ワイヤーが弾け飛ぶ音が、銃声のように響き渡った。
「キャァァァァッ!!」
ミナの悲鳴が合図だった。
数トンの重量がある光の塊が、スローモーションのように落下を始めたのだ。
轟音。
そして、爆発のような衝撃。
巨大なシャンデリアは、ダンスホールの中心――ついさっきまでアルフレッドとミナが踊っていた場所のすぐ脇に激突した。
降り注ぐガラスの破片。
舞い上がる埃。
逃げ惑う人々の怒号。
幸いにも直撃による死者は出なかったが、飛び散ったガラス片で多くの貴族が怪我を負い、美しいドレスは血と煤で汚れ、会場は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
「あ、あああ……」
腰を抜かしたアルフレッドは、粉々になった王家の至宝の前で震えていた。
「ど……、どうして、こんなことに……」
彼の顔には、切り傷が一筋走り、血が流れている。
威信をかけた夜会は、物理的にも社会的にも、完全に崩壊した。
*
数日後。
辺境伯邸の食堂。
穏やかな朝日が差し込む中、ジェラルドが新聞を読みながら、呆れたように鼻を鳴らした。
「……間抜けにも程がある」
彼がテーブルに放った新聞には、『王宮の悪夢! シャンデリア落下で負傷者多数』というセンセーショナルな見出しが躍っていた。
「リディア。君がいなくなってから、王都では問題が色々と起きて大騒ぎだな。……奴らは電球の一つもまともに替えられんのか?」
「……記事を拝見しても?」
リディアは新聞を手に取り、眉をひそめた。
怪我人のリストに目を通し、命に関わる者がいないことに安堵しつつ、彼女は静かにため息をついた。
「やはり、起きてしまいましたか……」
「予想していたのか?」
「はい。あのシャンデリアは構造上、重心が偏りやすく、支柱の特定のボルトに負荷が集中するのです」
リディアは解説した。
「金属疲労は目には見えませんが、光には現れます。支柱が歪むと、クリスタルの角度が変わり、壁に映る虹のスペクトルにゆらぎが出るのです。……私は毎朝、その光の模様を確認して、ボルトの締め直しを指示していました」
それは、誰にも気づかれない地味な作業だった。
「掃除係がまた天井を見上げている」
「暗い女だ」
と陰口を叩かれながらも、彼女はただ黙々と、人々の頭上の安全を守り続けていたのだ。
「……それを、誰も引き継がなかったということか」
「何も起きていないことが、私の仕事の成果でしたから。……何も起きないなら点検など不要だと、予算を削られたのでしょう」
リディアの言葉に、ジェラルドは深く頷いた。
安全とは空気のようなものだ。
ある時は誰も感謝しないが、失われた瞬間に窒息する。
王太子たちは、リディアを追い出した代償を、文字通りの痛みとして支払わされたのだ。
「……滑稽だな」
ジェラルドはコーヒーを飲み干し、冷ややかに笑った。
「君を『地味で役立たず』と罵ったその口で、今は悲鳴を上げているわけか。……自分たちの命綱を切ったことに気づきもせず」
彼はリディアの手を取り、その指先に口づけた。
「君が守っていたのは、美術品だけではない。あの愚か者たちの命そのものだったのだ。……それを理解できなかった彼らに、同情の余地はない」
リディアは複雑な表情で新聞を見つめた。
優越感がないわけではない。
自分の仕事の正しさが証明されたのだから。
けれど、それ以上に虚しさがあった。
知識があれば防げた悲劇。
それを軽視する無知の恐ろしさ。
「……ここでは、あのような事故は起こさせません」
「ああ。頼むぞ」
ジェラルドの信頼に満ちた言葉に、リディアは小さく笑んだ。
王都の崩壊は、辺境の安寧をより際立たせる結果となった。
二人は知っていた。
本当の輝きとは、シャンデリアの派手な光ではなく、日々の地道なメンテナンスの中にこそ宿るのだと。
ことの発端は、数時間前に遡る。
王太子アルフレッド主催の夜会が開かれていた。
財政難や贋作疑惑の噂を払拭するため、そして新しい婚約者ミナをお披露目するために強行された、起死回生の舞踏会だった。
「見よ、この輝きを! これぞ王家の威光だ!」
アルフレッドはグラスを掲げ、天井を指差した。
そこには、王国の至宝とも呼ばれる巨大なクリスタル・シャンデリアが吊り下げられている。
数千個のクリスタルガラスが蝋燭の光を反射し、七色の虹を部屋中に撒き散らしていた。
「まぁ、素敵ですわアルフレッド様! キラキラして、まるで私の心みたい!」
ミナが甘ったるい声を上げ、アルフレッドの腕にすがりつく。
着飾った貴族たちは、不自然なほど大げさに二人を称えた。
内心では、また派手な浪費をと思いながらも、王太子の機嫌を損ねるわけにはいかないからだ。
音楽が始まった。
優雅なワルツに合わせて、数百人の男女がステップを踏む。
その振動が、床から壁へ、そして天井へと伝わっていく。
微かな異音がした。
しかし、オーケストラの演奏と談笑の声にかき消され、誰の耳にも届かない。
かつて、この広間には一人の地味な修復師がいた。
彼女は夜会の前には必ず、梯子を登って天井裏に入り、支柱の金属疲労をチェックしていた。
そして、クリスタルの反射光がわずかでも歪んでいないかを、その鋭敏な観察眼で確認していたのだ。
だが、彼女はもういない。
今度は、はっきりと聞こえた。
頭上からの不吉な軋み音に、何人かが足を止め、天井を見上げた。
「……なんか、揺れてないか?」
「気のせいだろう。王宮の設備が壊れるはずが……」
その言葉が終わらないうちに。
太い金属ワイヤーが弾け飛ぶ音が、銃声のように響き渡った。
「キャァァァァッ!!」
ミナの悲鳴が合図だった。
数トンの重量がある光の塊が、スローモーションのように落下を始めたのだ。
轟音。
そして、爆発のような衝撃。
巨大なシャンデリアは、ダンスホールの中心――ついさっきまでアルフレッドとミナが踊っていた場所のすぐ脇に激突した。
降り注ぐガラスの破片。
舞い上がる埃。
逃げ惑う人々の怒号。
幸いにも直撃による死者は出なかったが、飛び散ったガラス片で多くの貴族が怪我を負い、美しいドレスは血と煤で汚れ、会場は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
「あ、あああ……」
腰を抜かしたアルフレッドは、粉々になった王家の至宝の前で震えていた。
「ど……、どうして、こんなことに……」
彼の顔には、切り傷が一筋走り、血が流れている。
威信をかけた夜会は、物理的にも社会的にも、完全に崩壊した。
*
数日後。
辺境伯邸の食堂。
穏やかな朝日が差し込む中、ジェラルドが新聞を読みながら、呆れたように鼻を鳴らした。
「……間抜けにも程がある」
彼がテーブルに放った新聞には、『王宮の悪夢! シャンデリア落下で負傷者多数』というセンセーショナルな見出しが躍っていた。
「リディア。君がいなくなってから、王都では問題が色々と起きて大騒ぎだな。……奴らは電球の一つもまともに替えられんのか?」
「……記事を拝見しても?」
リディアは新聞を手に取り、眉をひそめた。
怪我人のリストに目を通し、命に関わる者がいないことに安堵しつつ、彼女は静かにため息をついた。
「やはり、起きてしまいましたか……」
「予想していたのか?」
「はい。あのシャンデリアは構造上、重心が偏りやすく、支柱の特定のボルトに負荷が集中するのです」
リディアは解説した。
「金属疲労は目には見えませんが、光には現れます。支柱が歪むと、クリスタルの角度が変わり、壁に映る虹のスペクトルにゆらぎが出るのです。……私は毎朝、その光の模様を確認して、ボルトの締め直しを指示していました」
それは、誰にも気づかれない地味な作業だった。
「掃除係がまた天井を見上げている」
「暗い女だ」
と陰口を叩かれながらも、彼女はただ黙々と、人々の頭上の安全を守り続けていたのだ。
「……それを、誰も引き継がなかったということか」
「何も起きていないことが、私の仕事の成果でしたから。……何も起きないなら点検など不要だと、予算を削られたのでしょう」
リディアの言葉に、ジェラルドは深く頷いた。
安全とは空気のようなものだ。
ある時は誰も感謝しないが、失われた瞬間に窒息する。
王太子たちは、リディアを追い出した代償を、文字通りの痛みとして支払わされたのだ。
「……滑稽だな」
ジェラルドはコーヒーを飲み干し、冷ややかに笑った。
「君を『地味で役立たず』と罵ったその口で、今は悲鳴を上げているわけか。……自分たちの命綱を切ったことに気づきもせず」
彼はリディアの手を取り、その指先に口づけた。
「君が守っていたのは、美術品だけではない。あの愚か者たちの命そのものだったのだ。……それを理解できなかった彼らに、同情の余地はない」
リディアは複雑な表情で新聞を見つめた。
優越感がないわけではない。
自分の仕事の正しさが証明されたのだから。
けれど、それ以上に虚しさがあった。
知識があれば防げた悲劇。
それを軽視する無知の恐ろしさ。
「……ここでは、あのような事故は起こさせません」
「ああ。頼むぞ」
ジェラルドの信頼に満ちた言葉に、リディアは小さく笑んだ。
王都の崩壊は、辺境の安寧をより際立たせる結果となった。
二人は知っていた。
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