「君の成果は私の指導のおかげ」と笑うモラハラ夫は、幼馴染みにご執心です。~では、私がいなくなったらどうなるか、拝見させていただきましょう~

水上

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第8話:妻の死、あるいは覚醒

 食堂の扉が閉まる音が、弔鐘のように静まり返った空間に余韻を残していた。
 ロザリンドは、床に広がる褐色の染みをただ見下ろしていた。

 使用人たちが、怯えたように彼女の様子を窺っている。
「奥様、大丈夫ですか」と老メイドが声をかけてきた。

「……大丈夫よ。片付けをお願い」

 自分の声が、驚くほど平坦だったことに気づく。
 胸の奥で暴れ回っていた感情の嵐が、嘘のように止んでいた。

 怒りも、屈辱も、悲しみも。
 それらは熱を持った塊だったはずなのに、今は急速に冷却され、灰色の石ころに変わっていく。

(ああ……、楽だわ)

 ロザリンドはふと、窓ガラスに映る自分の顔を見た。

 そこには、これまで必死に夫を支えようと足掻き、理解を求めて泣き喚こうとしていた、無様で哀れな女はいなかった。

 あるのは、静寂だけ。

 期待するから、裏切られる。
 信じるから、傷つく。
 愛するから、憎む。

 ならば、その根源を断ち切ればいい。
 簡単な計算式だった。

 彼女はゆっくりと息を吐き出した。
 その吐息すらも凍りつきそうなほど、彼女の心は冷え切っていた。

 それは、妻としてのロザリンド・バークリーの死であり、同時に覚醒でもあった。

 数時間後。
 ヴィンセントとミエルが戻ってきた。

 二人は腕を組み、楽しげに笑いながらエントランスに入ってきたが、出迎えに現れたロザリンドの姿を認めると、ヴィンセントの表情が曇った。

 彼はまだ、朝のいざこざを引きずっているようだった。

「……ロザリンド。まだ顔を合わせたくなかったのだがな。少しは頭を冷やせたのか?」

 ヴィンセントの声には、露骨な苛立ちと、少しの警戒が含まれていた。

 また泣いて抗議するのか、それとも不貞腐れて口を利かないつもりか。
 彼は面倒な事態を予測し、すでに言い訳を用意しているようだった。

 しかし、ロザリンドは、優雅にカーテシーをした。
 背筋はピンと伸び、ドレスの裾の広がり方まで計算され尽くした、教科書通りの完璧な所作だった。

「お帰りなさいませ、旦那様。ミエルさん」

 顔を上げたロザリンドの唇には、美しい弧が描かれていた。
 それは、美術館に飾られた大理石の彫像のような、一分の隙もない微笑みだった。

「え……?」

 ヴィンセントが虚を突かれたように目を瞬く。

 ロザリンドは、流れるような動作で彼に歩み寄ると、そのコートを受け取ろうと手を差し出した。

「先ほどは、大変お見苦しいところをお見せいたしました。旦那様のおっしゃる通りでしたわ。たかが紙切れ一枚のことで取り乱すなんて、当主の妻としてあるまじき振る舞いでした」

 その声は、最高級のベルベットのように滑らかで柔らかい。

 人間の声帯が発する音の波形でありながら、感情というノイズが完全に除去された、人工的な響きだった。

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