「君の成果は私の指導のおかげ」と笑うモラハラ夫は、幼馴染みにご執心です。~では、私がいなくなったらどうなるか、拝見させていただきましょう~

水上

文字の大きさ
24 / 37

第24話:理解が追いつかない男

 バークリー伯爵邸の玄関のベルが、神経を逆撫でするような音を立てて鳴り響いた。
 これで三度目だ。

 ヴィンセントは、寒さと空腹で震える体を起こし、のろのろと玄関へ向かった。
 使用人がいない今、当主である彼自身が対応せざるを得ない。

「……どなたかな。朝から騒々しい」

 ドアを開けると、そこに立っていたのは、見慣れた銀行の制服を着た男だった。

 以前、融資の相談をした際に揉み手をしていた担当者ではない。
 冷徹な目をした、事務的な回収員だった。

「バークリー伯爵ですね。中央銀行の者です」

 男は帽子も取らず、一通の封書を差し出した。

「当座貸越の返済期限が過ぎております。本日正午までに決済が確認できない場合、担保に入っているこの屋敷と工場の差し押さえ手続きに入ります」

「な……、なんだと?」

 ヴィンセントは封筒をひったくった。
 中には、赤いインクで『督促状』と書かれた紙が入っている。

「馬鹿な! 返済はまだ先のはずだ! それに、我が家は黒字経営だぞ。ちょっとした手違いだろう」

「手違いではありません。ここ数ヶ月、利息の支払いすら滞っております。これまでは奥様の個人口座から補填されていましたが、先日、その自動振替が停止されましたので」

 男は淡々と事実を告げた。

「奥様の補填……?」

 ヴィンセントは耳を疑った。

「何を言っている。家の借金を返していたのは、私の事業収益だ。妻の金など……」

「いいえ。事業収益は、伯爵が交際費や個人の遊興費として使い込まれていたため、実質的な返済原資は奥様の資産でした。……数字は嘘をつきませんよ」

 男は冷ややかな視線をヴィンセントに向け、「では、正午までに」と言い残して去っていった。

 ヴィンセントは執務室に駆け込んだ。
 棚に残されていた帳簿を広げる。

 ロザリンドが残していった、唯一の資料だ。
 彼は必死にページをめくった。

 銀行の男が言っていたことが嘘だと証明するために。

「ありえない……。私は社長だぞ。会社の金は私が稼いでいたはずだ……」

 だが、帳簿に並ぶ数字は、彼にとって未知の言語だった。

『損益分岐点比率』

『歩留まり率』

『変動費調整額』

 ロザリンドの幾帳面な文字で記された項目は、複雑な計算式で繋がっていた。
 彼女は、ただ漫然と記録していたのではない。

 原材料の相場変動、為替レート、季節ごとの需要予測を数式に組み込み、ギリギリのラインで黒字を捻出していたのだ。

 ヴィンセントが利益だと思って自由に使っていた金は、実はロザリンドが将来の設備投資や納税準備金として積み立てていた金だった。

 それを彼が浪費するたび、彼女は裏で自分のドレスや宝石を売り、実家の配当金を注ぎ込んで穴埋めをしていたのだ。

「……読めない」

 ヴィンセントは頭を抱えた。
 目の前の数字が、うねる蛇のように見えた。

 彼は簡単な足し算と引き算しかしてこなかった。

 売上が上がった、だから金がある、という程度の認識だった。
 だが現実は違った。

 売上が上がっても、彼がミエルにドレスを買えば、その瞬間に赤字に転落するような、薄氷の上の経営だったのだ。

 その時、ドアが開いた。

「ヴィンセントぉ、お腹すいたよぉ。パンくらい焼いてよぉ」

 ミエルが入ってきた。
 彼女は髪もとかさず、不機嫌そうに頬を膨らませている。

 ヴィンセントは藁にもすがる思いで顔を上げた。

「ミエル! ちょうどいいところに来た!」

「えぇ? なぁに?」

「計算だ! 君ならできるだろう? この帳簿を見てくれ。どこかに隠し財産があるはずなんだ。ロザリンドが隠したへそくりが!」

 ヴィンセントはミエルを机の前に座らせ、帳簿を押し付けた。

「ほら、ここだ。この『繰越利益剰余金』というやつがどこにあるのか、計算してくれ!」

 彼は必死の思いで言った。
 しかし、彼女から返ってきた言葉は……。

あなたにおすすめの小説

【完結】新婚生活初日から、旦那の幼馴染も同居するってどういうことですか?

よどら文鳥
恋愛
 デザイナーのシェリル=アルブライデと、婚約相手のガルカ=デーギスの結婚式が無事に終わった。  予め購入していた新居に向かうと、そこにはガルカの幼馴染レムが待っていた。 「シェリル、レムと仲良くしてやってくれ。今日からこの家に一緒に住むんだから」 「え!? どういうことです!? 使用人としてレムさんを雇うということですか?」  シェリルは何も事情を聞かされていなかった。 「いや、特にそう堅苦しく縛らなくても良いだろう。自主的な行動ができるし俺の幼馴染だし」  どちらにしても、新居に使用人を雇う予定でいた。シェリルは旦那の知り合いなら仕方ないかと諦めるしかなかった。 「……わかりました。よろしくお願いしますね、レムさん」 「はーい」  同居生活が始まって割とすぐに、ガルカとレムの関係はただの幼馴染というわけではないことに気がつく。  シェリルは離婚も視野に入れたいが、できない理由があった。  だが、周りの協力があって状況が大きく変わっていくのだった。

【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。

112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。 愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。 実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。 アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。 「私に娼館を紹介してください」 娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──

【完結】貴方の後悔など、聞きたくありません。

なか
恋愛
学園に特待生として入学したリディアであったが、平民である彼女は貴族家の者には目障りだった。 追い出すようなイジメを受けていた彼女を救ってくれたのはグレアルフという伯爵家の青年。 優しく、明るいグレアルフは屈託のない笑顔でリディアと接する。 誰にも明かさずに会う内に恋仲となった二人であったが、 リディアは知ってしまう、グレアルフの本性を……。 全てを知り、死を考えた彼女であったが、 とある出会いにより自分の価値を知った時、再び立ち上がる事を選択する。 後悔の言葉など全て無視する決意と共に、生きていく。

新しい人生を貴方と

緑谷めい
恋愛
 私は公爵家令嬢ジェンマ・アマート。17歳。  突然、マリウス王太子殿下との婚約が白紙になった。あちらから婚約解消の申し入れをされたのだ。理由は王太子殿下にリリアという想い人ができたこと。  2ヵ月後、父は私に縁談を持って来た。お相手は有能なイケメン財務大臣コルトー侯爵。ただし、私より13歳年上で婚姻歴があり8歳の息子もいるという。 * 主人公は寛容です。王太子殿下に仕返しを考えたりはしません。

幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係

紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。 顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。 ※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)

婚約破棄を望むなら〜私の愛した人はあなたじゃありません〜

みおな
恋愛
 王家主催のパーティーにて、私の婚約者がやらかした。 「お前との婚約を破棄する!!」  私はこの馬鹿何言っているんだと思いながらも、婚約破棄を受け入れてやった。  だって、私は何ひとつ困らない。 困るのは目の前でふんぞり返っている元婚約者なのだから。

あなたなんて大嫌い

みおな
恋愛
 私の婚約者の侯爵子息は、義妹のことばかり優先して、私はいつも我慢ばかり強いられていました。  そんなある日、彼が幼馴染だと言い張る伯爵令嬢を抱きしめて愛を囁いているのを聞いてしまいます。  そうですか。 私の婚約者は、私以外の人ばかりが大切なのですね。  私はあなたのお財布ではありません。 あなたなんて大嫌い。

【完結】私より優先している相手が仮病だと、いい加減に気がついたらどうですか?〜病弱を訴えている婚約者の義妹は超が付くほど健康ですよ〜

よどら文鳥
恋愛
 ジュリエル=ディラウは、生まれながらに婚約者が決まっていた。  ハーベスト=ドルチャと正式に結婚する前に、一度彼の実家で同居をすることも決まっている。  同居生活が始まり、最初は順調かとジュリエルは思っていたが、ハーベストの義理の妹、シャロン=ドルチャは病弱だった。  ドルチャ家の人間はシャロンのことを溺愛しているため、折角のデートも病気を理由に断られてしまう。それが例え僅かな微熱でもだ。  あることがキッカケでシャロンの病気は実は仮病だとわかり、ジュリエルは真実を訴えようとする。  だが、シャロンを溺愛しているドルチャ家の人間は聞く耳持たず、更にジュリエルを苦しめるようになってしまった。  ハーベストは、ジュリエルが意図的に苦しめられていることを知らなかった。