婚約破棄されて捨てられたのですが、なぜか公爵様に拾われた結果……。

水上

文字の大きさ
1 / 50

第1話:温室の断罪劇

しおりを挟む
 シャンデリアの煌めきも、高価な香水の香りも、私にとってはただのノイズでしかありませんでした。
 王宮の大広間から漏れ聞こえるワルツの調べを背に、私はこっそりと扉を開けます。

 むっとした湿気と共に、土と緑の匂いが鼻腔をくすぐりました。
 王宮の南側に位置する巨大なガラス温室。

 ここだけが、私、フローラ・グリーンウッドにとって唯一の聖域でした。

「こんばんは。今日も綺麗に咲いていますね」

 誰に聞かれるわけでもなく、私は足元の小さな花に挨拶をします。

 南国の極楽鳥花に、肉厚な葉を持つ多肉植物たち。
 彼らは着飾った貴族たちよりもずっと雄弁で、そして誠実です。
 私はドレスのポケットから愛用のルーペを取り出し、葉脈の美しい幾何学模様に見入りました。

 地味で、要領が悪くて、頭の中は植物のことばかり。
 雑草令嬢――それが、社交界での私の呼び名です。

 貧乏男爵家の娘である私が、由緒あるローズベリー伯爵家の嫡男、エドワード様の婚約者でいられるのは、ひとえに亡き父同士の約束があったからに過ぎません。

「……ここにいたのか、フローラ」

 不意に背後から声をかけられ、私はビクリと肩を震わせました。
 振り返ると、そこには眉間に皺を寄せたエドワード様が立っていました。

 金髪を撫でつけ、仕立ての良い燕尾服に身を包んだ彼は、今日も絵画のように整っています。
 ただ、その隣に、毒々しいほど鮮やかな真紅のドレスを纏った女性が寄り添っています。

「エドワード様……、それに、ベアトリス様も」

「探したぞ。こんな泥臭い場所に隠れているとは、相変わらず陰気な女だ」

 エドワード様はハンカチで鼻を覆いながら、軽蔑の眼差しを私に向けました。

 隣にいるベアトリス・ダリア男爵令嬢は、扇子で口元を隠しながら、勝ち誇ったような笑みを浮かべています。
 彼女は最近、エドワード様と懇意にしていると噂の方です。

「単刀直入に言おう。フローラ、君との婚約は破棄させてもらう」

 心臓が早鐘を打ちました。
 いつか言われるかもしれないと、覚悟していた言葉。

 けれど、実際に投げつけられると、足元が崩れ落ちるような感覚に襲われます。

「……理由は、私が至らないからでしょうか」

「それもある。だが決定的なのは、君のその陰湿な性格だ!」

 エドワード様が大声を張り上げると同時に、ベアトリス様がわざとらしい泣き声を上げて、その場に崩れ落ちました。
 見れば、彼女の真紅のドレスの裾が、無残にも引き裂かれています。

「ひどいですわ、フローラ様……。いくらわたくしがエドワード様と親しいからといって、こんな仕打ちをなさるなんて」

「え……?」

「とぼけるな!」

 エドワード様が私に歩み寄り、乱暴に私の手首を掴み上げました。

「先ほど、君がベアトリスのドレスを踏みつけ、わざと破いたという目撃証言がある。嫉妬に狂っての犯行だろう? 彼女が泣きながら私に訴えてきた時、私は耳を疑ったよ」

「ち、違います! 私はずっとここにいました! 誰とも会っていません!」

「嘘をつくな! ならばここにいたという証人はいるのか?」

 私は言葉に詰まりました。
 夜会を抜け出し、一人で植物を観察していた私に、証人などいるはずがありません。

「証拠がないのが証拠だ。君は誰も見ていない隙を狙って会場に戻り、ベアトリスを害して、またここへ逃げ込んだのだ」

「そんな……! 信じてください、私は本当に何も……」

「君の涙など、何の証明にもならない!」

 エドワード様は私の手を振り払いました。

 その反動で、私は湿った土の上に尻餅をついてしまいます。
 ドレスが汚れ、ルーペが転がり落ちました。

「美しい花には虫がつくと言うが、君は花ですらない。ただの雑草だ。私の庭には必要ない」

 冷たい言葉が胸に突き刺さります。
 ベアトリス様はエドワード様の腕にしがみつき、潤んだ瞳で彼を見上げました。

「エドワード様、わたくし怖いです……。こんな恐ろしい方が、次は何をするか」

「安心したまえ、ベアトリス。この女は社交界から追放する。二度と君の目に入らないようにね」

 反論しようにも、喉が震えて声が出ません。

 権力も、味方も、証拠もない。
 ただの植物好きの私が、どうやってこの理不尽な断罪から逃れればいいのでしょう。

 涙が溢れそうになった、その時です。

「――騒がしいな。植物たちが怯えているだろう」

 温室の奥、鬱蒼と茂るシダ植物の陰から、低く、けれど透き通るような声が響きました。

 空気の温度が、すっと数度下がったような気がしました。
 現れたのは、銀色の長髪を無造作に束ね、白衣のようなロングコートを羽織った長身の男性でした。
 丸眼鏡の奥にある碧眼は、氷のように冷徹な光を宿しています。

「だ、誰だ貴様は! ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ!」

 エドワード様が声を荒げましたが、その男性は意に介する様子もなく、ゆっくりとこちらへ歩いてきます。
 そして、私の足元に落ちていたルーペを拾い上げると、レンズについた泥を指先で丁寧に拭いました。

「この温室の管理責任者は私だ。私の庭で無粋な真似をするのは、どこのどいつだ」

 男の人が私を見下ろします。
 その視線は、怯える私を通り越し、私の背後に咲く花に向けられているようにも見えました。

「あ、あなたは……、アルフレッド・フォン・リンネ公爵!?」

 エドワード様の素っ頓狂な声に、私は息を呑みました。

 リンネ公爵。
 王宮筆頭学術顧問にして、植物学の天才。
 そして、社交界きっての変人として知られるお方。

 公爵様は私のルーペを掲げ、興味なさそうにエドワード様たちを一瞥しました。

「痴話喧嘩なら他所でやれ。聞こえてくる会話があまりに非論理的で、耳が腐るかと思った」

「な、なんですと!?」

「『証拠がないのが証拠』? 詭弁だな。論理学の単位を取り直してくることを勧めるよ」

 公爵様は、ルーペを私に手渡すと、淡々と言い放ちました。

「彼女のアリバイなら、そこにある花が証明している」

 その言葉が、私の運命を変える一言でした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

傷物令嬢シャルロットは辺境伯様の人質となってスローライフ

悠木真帆
恋愛
侯爵令嬢シャルロット・ラドフォルンは幼いとき王子を庇って右上半身に大やけどを負う。 残ったやけどの痕はシャルロットに暗い影を落とす。 そんなシャルロットにも他国の貴族との婚約が決まり幸せとなるはずだった。 だがーー 月あかりに照らされた婚約者との初めての夜。 やけどの痕を目にした婚約者は顔色を変えて、そのままベッドの上でシャルロットに婚約破棄を申し渡した。 それ以来、屋敷に閉じこもる生活を送っていたシャルロットに父から敵国の人質となることを命じられる。

「地味で無能」と捨てられた令嬢は、冷酷な【年上イケオジ公爵】に嫁ぎました〜今更私の価値に気づいた元王太子が後悔で顔面蒼白になっても今更遅い

腐ったバナナ
恋愛
伯爵令嬢クラウディアは、婚約者のアルバート王太子と妹リリアンに「地味で無能」と断罪され、公衆の面前で婚約破棄される。 お飾りの厄介払いとして押し付けられた嫁ぎ先は、「氷壁公爵」と恐れられる年上の冷酷な辺境伯アレクシス・グレイヴナー公爵だった。 当初は冷徹だった公爵は、クラウディアの才能と、過去の傷を癒やす温もりに触れ、その愛を「二度と失わない」と固く誓う。 彼の愛は、包容力と同時に、狂気的な独占欲を伴った「大人の愛」へと昇華していく。

【完結】身代わりに病弱だった令嬢が隣国の冷酷王子と政略結婚したら、薬師の知識が役に立ちました。

朝日みらい
恋愛
リリスは内気な性格の貴族令嬢。幼い頃に患った大病の影響で、薬師顔負けの知識を持ち、自ら薬を調合する日々を送っている。家族の愛情を一身に受ける妹セシリアとは対照的に、彼女は控えめで存在感が薄い。 ある日、リリスは両親から突然「妹の代わりに隣国の王子と政略結婚をするように」と命じられる。結婚相手であるエドアルド王子は、かつて幼馴染でありながら、今では冷たく距離を置かれる存在。リリスは幼い頃から密かにエドアルドに憧れていたが、病弱だった過去もあって自分に自信が持てず、彼の真意がわからないまま結婚の日を迎えてしまい――

追放された悪役令嬢は、氷の辺境伯に何故か過保護に娶られました ~今更ですが、この温もりは手放せません!?~

放浪人
恋愛
公爵令嬢セラフィナは、異母妹イゾルデの策略により、婚約者である王子アラリックから「悪役令嬢」の汚名を着せられ、婚約破棄と同時に辺境への追放を宣告される。絶望の中、彼女を待ち受けていたのは、冷酷無比と噂される「氷の辺境伯」カシアンとの政略結婚だった。死をも覚悟するセラフィナだったが、カシアンは噂とは裏腹に、不器用ながらも彼女を大切に扱い始める。戸惑いながらも、カシアンの隠された優しさに触れ、凍てついた心が少しずつ溶かされていくセラフィナ。しかし、そんな彼女たちの穏やかな日々を、過去の陰謀が再び脅かそうとする。果たしてセラフィナは、降りかかる不遇を乗り越え、カシアンと共に真実の愛と幸福を掴むことができるのか? そして、彼女を陥れた者たちに訪れる運命とは――?

婚約破棄されましたが、辺境で最強の旦那様に溺愛されています

鷹 綾
恋愛
婚約者である王太子ユリウスに、 「完璧すぎて可愛げがない」という理不尽な理由で婚約破棄を告げられた 公爵令嬢アイシス・フローレス。 ――しかし本人は、内心大喜びしていた。 「これで、自由な生活ができますわ!」 ところが王都を離れた彼女を待っていたのは、 “冷酷”と噂される辺境伯ライナルトとの 契約結婚 だった。 ところがこの旦那様、噂とは真逆で—— 誰より不器用で、誰よりまっすぐ、そして圧倒的に強い男で……? 静かな辺境で始まったふたりの共同生活は、 やがて互いの心を少しずつ近づけていく。 そんな中、王太子が突然辺境へ乱入。 「君こそ私の真実の愛だ!」と勝手な宣言をし、 平民少女エミーラまで巻き込み、事態は大混乱に。 しかしアイシスは毅然と言い放つ。 「殿下、わたくしはもう“あなたの舞台装置”ではございません」 ――婚約破棄のざまぁはここからが本番。 王都から逃げる王太子、 彼を裁く新王、 そして辺境で絆を深めるアイシスとライナルト。 契約から始まった関係は、 やがて“本物の夫婦”へと変わっていく――。 婚約破棄から始まる、 辺境スローライフ×最強旦那様の溺愛ラブストーリー!

幼馴染に振られたので薬学魔法士目指す

MIRICO
恋愛
オレリアは幼馴染に失恋したのを機に、薬学魔法士になるため、都の学院に通うことにした。 卒院の単位取得のために王宮の薬学研究所で働くことになったが、幼馴染が騎士として働いていた。しかも、幼馴染の恋人も侍女として王宮にいる。 二人が一緒にいるのを見るのはつらい。しかし、幼馴染はオレリアをやたら構ってくる。そのせいか、恋人同士を邪魔する嫌な女と噂された。その上、オレリアが案内した植物園で、相手の子が怪我をしてしまい、殺そうとしたまで言われてしまう。 私は何もしていないのに。 そんなオレリアを助けてくれたのは、ボサボサ頭と髭面の、薬学研究所の局長。実は王の甥で、第二継承権を持った、美丈夫で、女性たちから大人気と言われる人だった。 ブックマーク・いいね・ご感想等、ありがとうございます。 お返事ネタバレになりそうなので、申し訳ありませんが控えさせていただきます。 ちゃんと読んでおります。ありがとうございます。

『お前の顔は見飽きた!』内心ガッツポーズで辺境へ

夏乃みのり
恋愛
「リーナ・フォン・アトラス! 貴様との婚約を破棄する!」 華やかな王宮の夜会で、第一王子ジュリアンに突きつけられた非情な宣告。冤罪を被せられ、冷酷な悪役令嬢として追放を言い渡されたリーナだったが、彼女の内心は……「やったーーー! これでやっとトレーニングに専念できるわ!」と歓喜に震えていた!

家族に支度金目当てで売られた令嬢ですが、成り上がり伯爵に溺愛されました

日下奈緒
恋愛
そばかす令嬢クラリスは、家族に支度金目当てで成り上がり伯爵セドリックに嫁がされる。 だが彼に溺愛され家は再興。 見下していた美貌の妹リリアナは婚約破棄される。

処理中です...