婚約破棄されて捨てられたのですが、なぜか公爵様に拾われた結果……。

水上

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第9話:魔女のスープ

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 領地の北側に位置する小さな村で、奇妙な病が流行しているという知らせが届いたのは、雨の降る午後のことでした。
 村人たちの肌が黄色く変色し、倦怠感を訴えて寝込んでいるというのです。

「黄疸だな。肝臓が弱っている証拠だ」

 アルフレッド様は報告書を読み上げると、すぐに往診鞄の準備を始めました。

 本来、領主である公爵が自ら動くような案件ではありません。
 しかし、彼は「未知の病原体なら興味深い」と言い訳をしつつ、その手つきは迅速でした。

 私たちが馬車で村に到着すると、村の中央広場には人だかりができていました。
 そして、その中心で声を張り上げているのは、またしても見慣れた人物でした。

「さあさあ、皆の衆! これを飲めば万病に効くぞ! 神がこの形に似せて創られたのだから、間違いはない!」

 仮設の台の上で演説しているのは、エドワード様でした。

 彼の横には、山積みにされた植物の葉があります。
 そして、村人たちは藁にもすがる思いで、なけなしの金を払ってその草を買い求めていました。

「……また君か」

 馬車から降りたアルフレッド様が、うんざりした声をかけました。
 エドワード様は私たちに気づくと、バツが悪そうにするどころか、胸を張って見せました。

「おや公爵。遅かったな。この村の救済なら、私が既に始めているよ」

「救済だと? 君が?」

「そうだ。村医者が『肝臓の病だ』と言って匙を投げたこの病を、私が古来の知恵で治してみせよう」

 エドワード様は、手にした葉を高く掲げました。
 それは、三つの丸い裂片に分かれた、特徴的な形の葉でした。

「見ろ、この葉の形を! 人間の肝臓にそっくりだろう? これぞ『ミスミソウの葉だ!」

 エドワード様は得意げに講釈を始めました。

「古くからの教えにこうある。『神は万物に、その効能を示す印を刻んだ』と。つまり、心臓の形をした実は心臓を治し、肝臓の形をした葉は肝臓を治すのだ! これこそが真理。名付けて、類似の法則だ!」

 村人たちが「おお……!」と感嘆の声を上げます。
 単純で分かりやすい理屈は、不安に怯える人々の心に容易に入り込みます。
 しかし、私はその葉を見て血の気が引きました。

「エドワード様、いけません! ミスミソウはキンポウゲ科の植物です。プロトアネモニンという有毒成分を含んでいます!」

「はっ、何を言うかと思えば。毒をもって毒を制すという言葉もある。実際にこの葉は肝臓の草という学名すら持っているんだぞ!」

「それは名前だけです! 生で食べたり、大量に摂取すれば、口の中がただれて胃腸炎を起こします。肝臓を治すどころか、弱った体に追い打ちをかけることになります!」

 私が叫んでも、エドワード様は聞く耳を持ちません。
 すでに煮出したスープを飲んだ村人の一人が、苦しそうに腹を押さえてうずくまりました。

「ううっ……、腹が、焼けるように熱い……」

「そ、それは効いている証拠だ! 毒素が出ているんだ!」

 エドワード様が強弁しますが、明らかに様子がおかしいのです。
 アルフレッド様が静かに、しかし威圧的に歩み寄りました。

「……配剤の署名(シグナチュラ・レルム)か。何世紀も前の医師らが提唱した概念だな」

「そ、そうだ! 公爵なら知っているだろう。形が似ているものには、対応する薬効があるとな!」 

「ああ、知っているとも。そしてそれが、現代科学においてはであることもな」

 アルフレッド様はエドワード様の手から葉をひったくりました。

「君の理屈が通るなら、脳みそに形が似ているクルミを食べれば脳みそが良くなり、毛深い動物の肉を食べれば薄毛が治ることになる。だが現実はどうだ? 君はある程度クルミを食べているだろうが、その頭の中身は空っぽのままだ」

「なっ、なんだと!?」

「類似の法則は、科学が未発達だった時代の、単なる連想ゲームに過ぎない。植物の化学成分と、見た目の形状には何の関係もないのだ」

 アルフレッド様は、うずくまる村人の脈を取り、素早く診断を下しました。

「フローラ、急げ。これはただの流行り病ではない。井戸水が汚染されたことによる急性肝炎だ。毒草のスープで胃が荒らされている。解毒と、肝機能の回復が必要だ」

「はい! 特効薬の材料なら、すぐそこにあります!」

 私は広場の端、人々が雑草だと思って踏みつけている場所へ駆け寄りました。
 そこには、銀色の細かい毛に覆われた、ヨモギに似た草が群生していました。

「ええっ? そんな雑草が薬なのかい?」

 村人が驚きの声を上げます。
 私は夢中でその草を摘み取りました。

「これはカワラヨモギです。地味で、肝臓の形なんてしていませんが……、この草に含まれる成分(カピリンやスカパロン)こそが、黄疸に効く本物の薬なんです!」

 私は持参した大鍋で湯を沸かし、カワラヨモギを大量に投入して煎じ始めました。
 立ち上る湯気は、少し薬臭いですが、どこか懐かしい香りがします。

「さあ、皆さん! エドワード様のスープではなく、こちらを飲んでください! 肝臓の熱を取り、毒を消してくれます!」

 最初は半信半疑だった村人たちも、アルフレッド様の「私が保証する」という一言で、次々と私のスープを口にしました。
 苦味のあるスープでしたが、飲んだ人々は次第に「胃の痛みが引いた」「体が軽くなった」と顔色を戻していきました。

「ば、馬鹿な……。見た目はただの雑草じゃないか。神の印もないのに、なぜ……」

 エドワード様は呆然と立ち尽くしています。
 アルフレッド様は、残ったミスミソウの葉を彼の胸ポケットにねじ込みました。

「神は、分かりやすい印など残さない。真実はいつだって、地味で目立たない場所に隠されているものだ。……それを解き明かすのが科学だよ」

 村人たちからの非難の視線に耐えきれず、エドワード様は「こ、今回はたまたまだ!」と捨て台詞を吐いて逃げ出しました。

「ありがとうございます、お嬢ちゃん。おかげで助かったよ」

「まるで魔法使いのスープだねぇ」

 村人たちが私に感謝の言葉をかけてくれます。
 鍋をかき混ぜる私の手は泥だらけで、ドレスも汚れていましたが、ちっとも気になりませんでした。

「魔法ではありません。植物たちが持つ、本物の力です」

 私が微笑むと、隣でアルフレッド様が満足げに頷きました。

「魔女のスープか。……悪くない。君が魔女なら、私はその使い魔といったところか」

「あら、アルフレッド様が使い魔だなんて。世界で一番偉そうな使い魔ですね」

「口答えするようになったな。……まあいい、帰ったら君の研究室を拡張してやろう」

 迷信という霧が晴れ、村に本当の笑顔が戻ってきました。
 形に惑わされず、本質を見抜くこと。

 それが私たちの武器なのだと、改めて心に刻んだ出来事でした。
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