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第35話:狂乱の蜂蜜
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キョウチクトウの煙によるテロ未遂から数日。
王宮の空気は張り詰めたままでした。
そんな中、重要閣僚や海外からの賓客を招いた王室主催の茶会が開催されることになりました。
最近の不穏な空気を払拭し、王家の健在ぶりをアピールするための政治的なパフォーマンスです。
私とアルフレッド様も、毒物対策の顧問として会場の隅に控えていました。
「……気に食わんな。敵が動き出しているこの時期に、無防備に食事会など」
「でも、外交上中止にはできないそうです。食材の検査は全てクリアしていますし、毒見役も無事でした」
テーブルには豪華な菓子や紅茶が並び、穏やかな午後のひとときが流れていました。
しかし、その平穏は唐突に、そして奇妙な形で崩れ去りました。
「あはははは! 蝶々が飛んでいるぞ! ピンク色の蝶々だ!」
突然、財務大臣が立ち上がり、空に向かって手を振り回し始めました。
普段は厳格で知られる彼の奇行に、周囲がどよめきます。
「だ、大臣? いかがなさいましたか?」
「うるさい! 私は今、宇宙と交信しているのだ……、うぷっ」
大臣はそのまま白目を剥いて、椅子から崩れ落ちました。
それを皮切りに、異変は連鎖しました。
隣にいた騎士団長が「地面が回る!」と叫んで倒れ、外国の大使は理由もなく泣き出し、ある夫人は手足の力が抜けてその場にへたり込みました。
「な、なんだこれは!?」
「皆様が乱心されたぞ! 悪霊の仕業か!?」
会場はパニックに陥りました。
倒れた人々の症状はバラバラに見えます。
笑う者、泣く者、嘔吐する者、そして意識を失う者。
共通しているのは、全員が泥酔したかのような錯乱状態にあることでした。
「アルフレッド様! これ、お酒が入っていたのでしょうか?」
「いいや、これは禁酒の茶会だ。それに、アルコールの匂いはしない」
アルフレッド様は倒れた大臣の元へ駆け寄り、手首を取って脈を診ました。
「……徐脈。脈が極端に遅い。それに血圧が急激に低下している。ただの酔っ払いではないぞ」
「呼吸も浅いです。神経系に作用する毒……?」
私はテーブルの上を走査しました。
彼らが口にしていたもの。
紅茶、スコーン、サンドイッチ、そして……。
「アルフレッド様。倒れた方々の皿、共通してあるものがたっぷり使われています」
私は、テーブルの中央に置かれた、豪奢なクリスタルの壺を指差しました。
中には、黄金色に輝くトロリとした液体が入っています。
「蜂蜜……?」
「はい。パンケーキにも、紅茶にも、たっぷりと追い蜂蜜をされていました」
私はスプーンで蜂蜜を少しすくい、鼻を近づけました。
甘い香り。
ですが、その奥にツンとするような苦味と、野性味あふれる独特の植物臭が混じっています。
……この香り、嗅いだことがある。
図鑑の記述通りなら……。
私は意を決して、指先についた蜂蜜をほんの少しだけ舌に乗せました。
「馬鹿者! 何をする!」
「んっ……! ビリビリします!」
アルフレッド様が慌てて私の手を叩きましたが、味見は完了していました。
舌先が痺れるような感覚。
そして喉の奥に残るエグ味。
「間違いありません。これはただの蜂蜜ではありません。マッド・ハニーです!」
「なに? マッド・ハニーだと?」
アルフレッド様が目を見開きました。
「はい。この蜂蜜の蜜源は、ツツジ科の植物……。おそらくシャクナゲやレンゲツツジです」
私は震える閣僚たちを見ながら説明しました。
「ツツジ科の植物の蜜には、グラヤノトキシンという神経毒が含まれています。ミツバチには無害ですが、人間が摂取すると、めまい、嘔吐、脱力感、そして幻覚症状を引き起こします」
「……なるほど。古代の兵士がこれで全滅したという逸話がある、天然の神経毒か」
アルフレッド様は蜂蜜の壺をハンカチで掴み上げ、周囲の護衛たちに掲げました。
「聞け! 原因はこの蜂蜜だ! 直ちに食べるのをやめさせろ!」
「は、蜂蜜が毒なのですか!?」
「そうだ。大量に摂取すれば心臓が止まるぞ! すぐに胃洗浄を行い、アトロピンを投与しろ!」
アルフレッド様の的確な指示により、衛生兵たちが動き出しました。
その混乱の中、私は壺の底に貼られたラベルに気づきました。
『王家の繁栄を祈念して ――オライオン侯爵家より寄贈』
「……また奴らか」
アルフレッド様がそのラベルを見て、ギリリと歯を噛み締めました。
「オライオン侯爵……。珍しい異国の最高級蜂蜜とでも言って送りつけたのだろう。毒見役も、少量を舐めた程度では気づかなかったか、あるいは味の癖だと思って見逃したか」
「マッド・ハニーは、少量なら精力剤や薬として使われることもあります。でも、これだけの量を一度に摂取させれば……」
「立派な化学兵器だ。茶会の席で閣僚たちを錯乱させ、政治機能を麻痺させるのが狙いか」
倒れている財務大臣は、まだ「蝶々が……」とうわ言を言っています。
命に別状はないでしょうが、この醜態は彼らの政治生命に傷をつけるには十分でした。
「……汚い。やり口があまりにも汚い」
私は怒りで震えました。
植物の恵みである蜂蜜さえも、彼らは政争の道具にするのです。
「フローラ、その壺を押収しろ。動かぬ証拠だ」
「はい!」
その時、会場の入り口付近で、騒ぎを冷ややかな目で見つめる人影がありました。
オライオン侯爵の腹心と思われる男です。
彼は作戦の成功を確認すると、ニヤリと笑って姿を消そうとしました。
「逃がすか!」
アルフレッド様が走り出そうとしましたが、倒れた夫人が足元にすがりつき、動けません。
「公爵様ぁ……、世界が回りますぅ……」
「ええい、離せ!」
結局、実行犯を取り逃がしてしまいましたが、私たちは凶器の確保には成功しました。
その夜、研究所にて。
分析の結果、やはりその蜂蜜からは高濃度のグラヤノトキシンが検出されました。
「……甘い罠、か」
「はい。ミツバチたちは悪くありません。彼らはただ、生きるために花から蜜を集めただけです。毒のある花しかなかったのかもしれません」
「人間も同じだな。毒のある情報(ミツ)ばかり与えられれば、やがて狂乱する」
アルフレッド様は、押収した蜂蜜の瓶を暗い棚の奥に封印しました。
「オライオン侯爵は、これで王宮の中枢を一時的に無力化したつもりだろう。だが、我々はまだ倒れていない」
「はい。それに、私の舌はまだ少し痺れていますが……、この怒りは麻痺していません」
「頼もしいな」
アルフレッド様は、私の痺れた唇に、解毒作用のある薬草キャンディを押し当ててくれました。
「次は彼らが苦い思いをする番だ。……倍にして返してやろう」
甘い蜂蜜の裏に隠された毒は暴かれました。
しかし、敵の攻撃はエスカレートする一方です。
次の一手は、私たち自身を直接狙ってくる。
そんな予感が、嵐の前の静けさのように漂っていました……。
王宮の空気は張り詰めたままでした。
そんな中、重要閣僚や海外からの賓客を招いた王室主催の茶会が開催されることになりました。
最近の不穏な空気を払拭し、王家の健在ぶりをアピールするための政治的なパフォーマンスです。
私とアルフレッド様も、毒物対策の顧問として会場の隅に控えていました。
「……気に食わんな。敵が動き出しているこの時期に、無防備に食事会など」
「でも、外交上中止にはできないそうです。食材の検査は全てクリアしていますし、毒見役も無事でした」
テーブルには豪華な菓子や紅茶が並び、穏やかな午後のひとときが流れていました。
しかし、その平穏は唐突に、そして奇妙な形で崩れ去りました。
「あはははは! 蝶々が飛んでいるぞ! ピンク色の蝶々だ!」
突然、財務大臣が立ち上がり、空に向かって手を振り回し始めました。
普段は厳格で知られる彼の奇行に、周囲がどよめきます。
「だ、大臣? いかがなさいましたか?」
「うるさい! 私は今、宇宙と交信しているのだ……、うぷっ」
大臣はそのまま白目を剥いて、椅子から崩れ落ちました。
それを皮切りに、異変は連鎖しました。
隣にいた騎士団長が「地面が回る!」と叫んで倒れ、外国の大使は理由もなく泣き出し、ある夫人は手足の力が抜けてその場にへたり込みました。
「な、なんだこれは!?」
「皆様が乱心されたぞ! 悪霊の仕業か!?」
会場はパニックに陥りました。
倒れた人々の症状はバラバラに見えます。
笑う者、泣く者、嘔吐する者、そして意識を失う者。
共通しているのは、全員が泥酔したかのような錯乱状態にあることでした。
「アルフレッド様! これ、お酒が入っていたのでしょうか?」
「いいや、これは禁酒の茶会だ。それに、アルコールの匂いはしない」
アルフレッド様は倒れた大臣の元へ駆け寄り、手首を取って脈を診ました。
「……徐脈。脈が極端に遅い。それに血圧が急激に低下している。ただの酔っ払いではないぞ」
「呼吸も浅いです。神経系に作用する毒……?」
私はテーブルの上を走査しました。
彼らが口にしていたもの。
紅茶、スコーン、サンドイッチ、そして……。
「アルフレッド様。倒れた方々の皿、共通してあるものがたっぷり使われています」
私は、テーブルの中央に置かれた、豪奢なクリスタルの壺を指差しました。
中には、黄金色に輝くトロリとした液体が入っています。
「蜂蜜……?」
「はい。パンケーキにも、紅茶にも、たっぷりと追い蜂蜜をされていました」
私はスプーンで蜂蜜を少しすくい、鼻を近づけました。
甘い香り。
ですが、その奥にツンとするような苦味と、野性味あふれる独特の植物臭が混じっています。
……この香り、嗅いだことがある。
図鑑の記述通りなら……。
私は意を決して、指先についた蜂蜜をほんの少しだけ舌に乗せました。
「馬鹿者! 何をする!」
「んっ……! ビリビリします!」
アルフレッド様が慌てて私の手を叩きましたが、味見は完了していました。
舌先が痺れるような感覚。
そして喉の奥に残るエグ味。
「間違いありません。これはただの蜂蜜ではありません。マッド・ハニーです!」
「なに? マッド・ハニーだと?」
アルフレッド様が目を見開きました。
「はい。この蜂蜜の蜜源は、ツツジ科の植物……。おそらくシャクナゲやレンゲツツジです」
私は震える閣僚たちを見ながら説明しました。
「ツツジ科の植物の蜜には、グラヤノトキシンという神経毒が含まれています。ミツバチには無害ですが、人間が摂取すると、めまい、嘔吐、脱力感、そして幻覚症状を引き起こします」
「……なるほど。古代の兵士がこれで全滅したという逸話がある、天然の神経毒か」
アルフレッド様は蜂蜜の壺をハンカチで掴み上げ、周囲の護衛たちに掲げました。
「聞け! 原因はこの蜂蜜だ! 直ちに食べるのをやめさせろ!」
「は、蜂蜜が毒なのですか!?」
「そうだ。大量に摂取すれば心臓が止まるぞ! すぐに胃洗浄を行い、アトロピンを投与しろ!」
アルフレッド様の的確な指示により、衛生兵たちが動き出しました。
その混乱の中、私は壺の底に貼られたラベルに気づきました。
『王家の繁栄を祈念して ――オライオン侯爵家より寄贈』
「……また奴らか」
アルフレッド様がそのラベルを見て、ギリリと歯を噛み締めました。
「オライオン侯爵……。珍しい異国の最高級蜂蜜とでも言って送りつけたのだろう。毒見役も、少量を舐めた程度では気づかなかったか、あるいは味の癖だと思って見逃したか」
「マッド・ハニーは、少量なら精力剤や薬として使われることもあります。でも、これだけの量を一度に摂取させれば……」
「立派な化学兵器だ。茶会の席で閣僚たちを錯乱させ、政治機能を麻痺させるのが狙いか」
倒れている財務大臣は、まだ「蝶々が……」とうわ言を言っています。
命に別状はないでしょうが、この醜態は彼らの政治生命に傷をつけるには十分でした。
「……汚い。やり口があまりにも汚い」
私は怒りで震えました。
植物の恵みである蜂蜜さえも、彼らは政争の道具にするのです。
「フローラ、その壺を押収しろ。動かぬ証拠だ」
「はい!」
その時、会場の入り口付近で、騒ぎを冷ややかな目で見つめる人影がありました。
オライオン侯爵の腹心と思われる男です。
彼は作戦の成功を確認すると、ニヤリと笑って姿を消そうとしました。
「逃がすか!」
アルフレッド様が走り出そうとしましたが、倒れた夫人が足元にすがりつき、動けません。
「公爵様ぁ……、世界が回りますぅ……」
「ええい、離せ!」
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その夜、研究所にて。
分析の結果、やはりその蜂蜜からは高濃度のグラヤノトキシンが検出されました。
「……甘い罠、か」
「はい。ミツバチたちは悪くありません。彼らはただ、生きるために花から蜜を集めただけです。毒のある花しかなかったのかもしれません」
「人間も同じだな。毒のある情報(ミツ)ばかり与えられれば、やがて狂乱する」
アルフレッド様は、押収した蜂蜜の瓶を暗い棚の奥に封印しました。
「オライオン侯爵は、これで王宮の中枢を一時的に無力化したつもりだろう。だが、我々はまだ倒れていない」
「はい。それに、私の舌はまだ少し痺れていますが……、この怒りは麻痺していません」
「頼もしいな」
アルフレッド様は、私の痺れた唇に、解毒作用のある薬草キャンディを押し当ててくれました。
「次は彼らが苦い思いをする番だ。……倍にして返してやろう」
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