婚約破棄されて捨てられたのですが、なぜか公爵様に拾われた結果……。

水上

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第36話:麦角菌と魔女裁判

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 「――異端者フローラ・グリーンウッドを、魔女として告発する!」

 王宮の大広間に、エドワード様の勝ち誇った声が響き渡りました。

 私とアルフレッド様は、国王陛下や重鎮たちが並ぶ前で、まるで罪人のように立たされていました。

 この査問会を仕組んだのは、オライオン侯爵です。
 これまでの毒物事件や放火事件の捜査が自分たちに及びそうになったため、先手を打って私を諸悪の根源に仕立て上げようというのです。

「陛下! この女は植物を操る妖術を使い、我が国に災厄をもたらしています! 先日の茶会での集団錯乱も、全てこの女が使い魔であるリンネ公爵をたぶらかして行った自作自演です!」

 エドワード様が、あることないこと(主にはないことばかり)をまくし立てます。
 壇上のオライオン侯爵も、厳粛な顔で頷きました。

「証人も多数おります。……入れなさい」

 扉が開き、数人の男女がよろよろと入ってきました。
 侯爵家の領地から連れてこられた農民たちのようです。
 しかし、彼らの様子は尋常ではありませんでした。

「ひぃっ! あそこにいる! 魔女だ!」

「悪魔が見える……! あの女の背中に、炎の翼が生えているぞ!」

「腕が燃える! 助けてくれ、焼かれる!」

 彼らは目を血走らせ、空中に何かもがくような仕草をし、自分の腕を激しく掻きむしっています。
 その姿は演技には見えません。
 心底からの恐怖に支配されているようです。

「見よ! 彼らはフローラの妖術によって幻覚を見せられ、呪いをかけられているのです!」

「……ほう」

 アルフレッド様が、怯えるどころか興味深そうに証人たちに近づきました。
 衛兵が止めようとしますが、手で制します。

「陛下。彼らの証言能力について検証する必要があります。……少し診察を許可願いたい」

 アルフレッド様は、叫び声を上げる男の腕を取り、その指先を観察しました。
 そして私に目配せをします。

「フローラ。診てみろ。典型的な症状だ」

「はい」

 私は男の方に近づきました。
 
「ひぃっ! 来るな魔女め!」

 男は暴れましたが、私は彼の手を見て息を呑みました。
 指先が黒ずみ、壊死しかけています。
 そして、体全体が小刻みに痙攣していました。

「……アルフレッド様。指先の壊死(壊疽)、手足の激しい灼熱感、そして幻覚と痙攣。……間違いありません」

「ああ。大昔、聖アントニウスの火と呼ばれ、恐れられた病だ」

 アルフレッド様はエドワード様に向き直りました。

「エドワード君。君はこれを魔女の呪いだと言ったな?」

「そ、そうだ! 見ろ、彼らの苦しみようを! お前がやったんだろう!」

「違う。彼らを苦しめているのは魔術ではない。……パンだ」

「はあ? パン?」

 会場がざわめきました。
 アルフレッド様は、証人の一人が大事そうに抱えていた布袋をひったくり、中身をぶちまけました。
 転がり出たのは、黒くて硬そうなライ麦パンでした。

「オライオン侯爵。貴殿は最近、領民に慈悲としてこのパンを配ったそうだな?」

「い、いかにも。不作に苦しむ民への施しですが、それが何か?」

「施し? 毒殺の間違いだろう」

 アルフレッド様はパンを割り、その断面を皆に見せました。
 そして、パンの中に混じっている、黒い爪のような粒をピンセットでつまみ出しました。

「これを見ろ。ライ麦の粒にしては黒く、角のように曲がっている。これは穀物ではない。カビの塊――麦角だ」
「ばっかく……?」

「正式名称は麦角菌(クラビセプス・プルプレア)。湿気の多い年にライ麦の穂に寄生するカビの一種だ」

 私は黒板の代わりの紙に図を描き、説明しました。

「この麦角菌には、数種類の有毒アルカロイドが含まれています。これを食べ続けると、血管が収縮して手足の先が腐り落ちる壊疽や、神経が侵されて激しい痙攣や幻覚を引き起こします」

 私は証人たちの虚ろな目を見つめました。

「彼らが『魔女が見える』『空を飛んでいる』と叫んでいるのは、嘘をついているわけではありません。麦角成分による強力な幻覚作用のせいです。現代の薬学では、この成分(リゼルグ酸)は、幻覚剤の原料としても知られています」

 覚醒剤という言葉に、知識のある宮廷医師たちがハッと息を呑みました。

「つまり、かつての魔女裁判や集団ヒステリーの多くは、このカビが生えたパンを食べたことによる集団食中毒だったというのが、近年の定説です」

 アルフレッド様は、黒い粒を侯爵の前に放り投げました。

「侯爵。貴殿はカビだらけの劣悪な麦を、選別もせずにパンにして領民に食わせた。その結果、彼らは中毒を起こして幻覚を見ている。……それを魔女のせいにして、罪なき令嬢を火あぶりにしようとはな」

 アルフレッド様の声は、断罪の剣のように鋭く響きました。

「貴殿のやっていることは、数百年前の野蛮な魔女狩りと何ら変わらん。無知と悪意のハイブリッドだ」

 オライオン侯爵の顔色が蒼白になりました。

「そ、そんな……。ただの黒パンだぞ……」

「管理不足の黒パンは、毒物よりタチが悪い。陛下、これが真相です。フローラは魔女ではありません。むしろ、この中毒患者たちに治療(血管拡張剤の投与)が必要なだけです」

 国王陛下が重々しく頷きました。

「……あい分かった。侯爵、この件については厳しく追及せねばなるまい」

「お、お待ちください陛下! 私は知らなかったのです! これは陰謀だ!」

 侯爵が叫びますが、もはや誰も耳を貸しません。
 エドワード様は「またか……、また毒なのか……」とブツブツ呟きながら後ずさりしています。

 証人として連れてこられた村人たちは、まだ「火だ、熱い」とうなされています。
 私は彼らに歩み寄り、優しく背中をさすりました。

「怖かったですね。でも、もう大丈夫です。悪いのは魔法ではなく、カビ毒ですから」

「うう……、お嬢ちゃんは、天使様か……?」

 幻覚の中で、私の姿がどう見えているのかは分かりません。
 けれど、アルフレッド様が私の肩に手を置き、皆に聞こえるように言いました。

「彼女は天使でも魔女でもない。植物学者だ。……そして、真実を見抜く私の目だ」

 魔女裁判は、科学的な診断によって閉廷しました。
 しかし、オライオン侯爵の目は、まだ諦めを宿していませんでした。

 彼が去り際に私に向けた視線。
 それは、カビ毒よりも粘着質で、不吉な予感を孕んでいました。

「……気をつけろ、フローラ。奴はまだ奥の手を持っている」

「はい。……でも、どんな幻覚を見せられても、私たちは現実で戦いましょう」

 私たちは、まだ熱の冷めやらぬ大広間を後にしました。
 次の戦いは、法廷ではなく、もっと物理的な暴力に晒されることになるかもしれないと、肌で感じながら……。
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