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第50話:花咲く未来
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あれから、五年という歳月が流れました。
かつて幽霊屋敷と呼ばれたリンネ公爵邸は、今では国中から人々が訪れる、季節ごとの花々が咲き乱れる美しい庭園として愛されています。
春の柔らかな日差しが降り注ぐ午後。
私は、庭のテーブルで新しい論文の校正をしていました。
「……ママ! 大変! 大発見だよ!」
元気な声と共に、泥だらけの小さな影が飛び込んできました。
四歳になる息子のカールです。
その手には、根っこがついたままの雑草が握られています。
そして、その後ろから、同じく四歳の娘リネアが、ルーペを片手に追いかけてきました。
「カールったら、走ったらお花がびっくりしちゃうでしょ。パパが言ってたわ、『観察対象には敬意を払え』って」
「だってリネア、見てよこれ! この草、葉っぱを触るとお辞儀するんだ!」
二人は私の膝元に駆け寄り、キラキラした眼を輝かせました。
アルフレッド様譲りの銀髪と、私と同じ若草色の瞳を持つ双子の子供たち。
彼らは生まれながらにして、立派な小さな研究員でした。
「まあ、どれどれ?」
私はカールが持ってきた草を見ました。
「これはオジギソウね。葉の付け根に水分の袋があって、触るとその水が移動して、葉が閉じる仕組みなのよ」
「へぇー! 水が動くの? ポンプみたい!」
「植物ってすごいね。機械仕掛けじゃないのに動くなんて!」
子供たちの驚く顔を見るのが、今の私にとって一番の幸せです。
「……騒がしいな。庭の静寂を乱すのは誰だ」
温室の方から、白衣をなびかせてアルフレッド様が現れました。
五年前と変わらぬ知的な美貌ですが、目元の表情はずっと柔らかくなっています。
子供たちは「パパ!」と歓声を上げ、彼の足に飛びつきました。
「パパ、聞いて! オジギソウはポンプなんだって!」
「ほう。浸透圧による膨圧運動をポンプと表現したか。……悪くない感性だ。将来が楽しみだな」
アルフレッド様は、慣れた手つきで二人を抱き上げました。
かつて「子供など非論理的な存在だ」と言っていた彼が、今では誰よりも子煩悩なパパになっているのですから、人生とは分からないものです。
お茶の準備をして、私たちは庭でティータイムを始めました。
テーブルには、私たちの領地で採れたハーブティーと、特製のフルーツジャムが並んでいます。
「……そういえば、北の開拓地から手紙が届いていましたよ」
私はアルフレッド様に一通の手紙を渡しました。
差出人は、エドワード・ローズベリー。
彼はあれから、北の荒れた大地で農業に従事し、罪を償ってきました。
「『今年のアンズは最高の出来だ。毒のない、最高のジャムが作れたから送る』……だそうです」
「ふん。ようやく毒抜きの仕方を覚えたか」
アルフレッド様は苦笑し、送られてきたジャムをスコーンにたっぷりと塗りました。
「……悪くない味だ。酸味と甘みのバランスが取れている」
「ベアトリス様からも、先日便りがありました。修道院の薬草園で、新しい軟膏の開発に成功したとか」
「彼女も、見かけだけの美しさより、実用的な効能に目覚めたようだな」
かつて私たちと敵対した彼らも、それぞれの場所で大地に根を張り、新しい花を咲かせているようです。
「世界は変わりましたね、アルフレッド様」
「ああ。だが、変わらないものもある」
アルフレッド様はカップを置き、庭を見渡しました。
そこには、私たちが発見したクロリス・フローラエが、今年も可憐な花を咲かせていました。
「植物たちは、変わらずそこにあり、ただ静かに生存競争を繰り広げている。人間が知ろうと知るまいと、彼らの営みは続く」
彼はリネアが摘んできた小さな花を手に取り、クルクルと回しました。
「知れば知るほど、謎は増える一方だ。この世界の仕組みは、一生かかっても解き明かせないほど複雑で、深遠だ」
カールが不思議そうに尋ねました。
「ねえパパ。全部わからなくてもいいの?」
「もちろんだとも、カール」
アルフレッド様は、子供たちの目線に合わせて屈み込み、優しく微笑みました。
それは、あの日、温室で私に向けてくれた笑顔と同じものでした。
「全部わかってしまったら、退屈だろう? 分からないことがあるからこそ、我々はワクワクして、明日もまた観察を続けられるのだ」
アルフレッド様は立ち上がり、私と子供たちを大きな腕で包み込みました。
「世界は知らないことで溢れている。だから面白い」
その言葉に、私たちは顔を見合わせて笑いました。
風が吹き抜け、庭中の草花が一斉に揺れます。
まるで、私たちの言葉に賛同するように……。
かつて雑草と呼ばれた私は今、愛する家族と、尽きることのない好奇心に囲まれて、最高に幸せな花を咲かせています。
さあ、明日はどんな知らないことに出会えるでしょうか。
ルーペと図鑑を持って、素晴らしい一日を迎え入れましょう。
かつて幽霊屋敷と呼ばれたリンネ公爵邸は、今では国中から人々が訪れる、季節ごとの花々が咲き乱れる美しい庭園として愛されています。
春の柔らかな日差しが降り注ぐ午後。
私は、庭のテーブルで新しい論文の校正をしていました。
「……ママ! 大変! 大発見だよ!」
元気な声と共に、泥だらけの小さな影が飛び込んできました。
四歳になる息子のカールです。
その手には、根っこがついたままの雑草が握られています。
そして、その後ろから、同じく四歳の娘リネアが、ルーペを片手に追いかけてきました。
「カールったら、走ったらお花がびっくりしちゃうでしょ。パパが言ってたわ、『観察対象には敬意を払え』って」
「だってリネア、見てよこれ! この草、葉っぱを触るとお辞儀するんだ!」
二人は私の膝元に駆け寄り、キラキラした眼を輝かせました。
アルフレッド様譲りの銀髪と、私と同じ若草色の瞳を持つ双子の子供たち。
彼らは生まれながらにして、立派な小さな研究員でした。
「まあ、どれどれ?」
私はカールが持ってきた草を見ました。
「これはオジギソウね。葉の付け根に水分の袋があって、触るとその水が移動して、葉が閉じる仕組みなのよ」
「へぇー! 水が動くの? ポンプみたい!」
「植物ってすごいね。機械仕掛けじゃないのに動くなんて!」
子供たちの驚く顔を見るのが、今の私にとって一番の幸せです。
「……騒がしいな。庭の静寂を乱すのは誰だ」
温室の方から、白衣をなびかせてアルフレッド様が現れました。
五年前と変わらぬ知的な美貌ですが、目元の表情はずっと柔らかくなっています。
子供たちは「パパ!」と歓声を上げ、彼の足に飛びつきました。
「パパ、聞いて! オジギソウはポンプなんだって!」
「ほう。浸透圧による膨圧運動をポンプと表現したか。……悪くない感性だ。将来が楽しみだな」
アルフレッド様は、慣れた手つきで二人を抱き上げました。
かつて「子供など非論理的な存在だ」と言っていた彼が、今では誰よりも子煩悩なパパになっているのですから、人生とは分からないものです。
お茶の準備をして、私たちは庭でティータイムを始めました。
テーブルには、私たちの領地で採れたハーブティーと、特製のフルーツジャムが並んでいます。
「……そういえば、北の開拓地から手紙が届いていましたよ」
私はアルフレッド様に一通の手紙を渡しました。
差出人は、エドワード・ローズベリー。
彼はあれから、北の荒れた大地で農業に従事し、罪を償ってきました。
「『今年のアンズは最高の出来だ。毒のない、最高のジャムが作れたから送る』……だそうです」
「ふん。ようやく毒抜きの仕方を覚えたか」
アルフレッド様は苦笑し、送られてきたジャムをスコーンにたっぷりと塗りました。
「……悪くない味だ。酸味と甘みのバランスが取れている」
「ベアトリス様からも、先日便りがありました。修道院の薬草園で、新しい軟膏の開発に成功したとか」
「彼女も、見かけだけの美しさより、実用的な効能に目覚めたようだな」
かつて私たちと敵対した彼らも、それぞれの場所で大地に根を張り、新しい花を咲かせているようです。
「世界は変わりましたね、アルフレッド様」
「ああ。だが、変わらないものもある」
アルフレッド様はカップを置き、庭を見渡しました。
そこには、私たちが発見したクロリス・フローラエが、今年も可憐な花を咲かせていました。
「植物たちは、変わらずそこにあり、ただ静かに生存競争を繰り広げている。人間が知ろうと知るまいと、彼らの営みは続く」
彼はリネアが摘んできた小さな花を手に取り、クルクルと回しました。
「知れば知るほど、謎は増える一方だ。この世界の仕組みは、一生かかっても解き明かせないほど複雑で、深遠だ」
カールが不思議そうに尋ねました。
「ねえパパ。全部わからなくてもいいの?」
「もちろんだとも、カール」
アルフレッド様は、子供たちの目線に合わせて屈み込み、優しく微笑みました。
それは、あの日、温室で私に向けてくれた笑顔と同じものでした。
「全部わかってしまったら、退屈だろう? 分からないことがあるからこそ、我々はワクワクして、明日もまた観察を続けられるのだ」
アルフレッド様は立ち上がり、私と子供たちを大きな腕で包み込みました。
「世界は知らないことで溢れている。だから面白い」
その言葉に、私たちは顔を見合わせて笑いました。
風が吹き抜け、庭中の草花が一斉に揺れます。
まるで、私たちの言葉に賛同するように……。
かつて雑草と呼ばれた私は今、愛する家族と、尽きることのない好奇心に囲まれて、最高に幸せな花を咲かせています。
さあ、明日はどんな知らないことに出会えるでしょうか。
ルーペと図鑑を持って、素晴らしい一日を迎え入れましょう。
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