王太子から婚約破棄されましたが、インフラを支えていたの、実は私なんです~辺境改革で忙しいので、今さら復縁要請されても遅いです~

水上

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第7話:子供たちの笑顔

 領地のインフラ整備が順調に進む中、ヴィオラは新たな課題に直面していた。
 それは心のインフラとも言うべき、領民たちの精神衛生の状態についてだ。

 視察に訪れたのは、領都の外れにある貧しい居住区だった。
 大人たちは仕事に出払い、広場には子供たちが取り残されている。

 彼らの表情は乏しく、ただ地面に座り込んで石ころを弄ぶばかりだ。

「……活気がありませんね。成長期の子供にとって、遊びは運動能力と脳の発達に不可欠なプロセスです。これでは健全な発育が阻害されます」

 ヴィオラが眼鏡の位置を正しながら呟くと、隣に立つルーファスも険しい顔で頷いた。

「食うのに精一杯で、玩具を買い与える余裕などない家ばかりだからな」

「ならば、作りましょう。低コストかつ高耐久、そして安全性の高い玩具を」

 ヴィオラは荷馬車から、井戸のパッキンや長靴を作った際に出た端材のゴム片を集めた袋を取り出した。

 彼女は即席の作業台で、ゴム片を加熱し、球形の金型に流し込んでいく。
 内部に空洞を作り、ガスを封入することで反発係数を高める。

「完成です。高弾性ゴムボール、試作一号」

 ヴィオラが出来上がったばかりのボールを地面に落とすと、それは驚くべき高さまで跳ね上がった。

 ぼんやりとしていた子供たちの目が、一斉に釘付けになる。

「さあ、これで遊んでみなさい。ただし、対人衝突時の衝撃には注意すること」

 ヴィオラがボールを投げ渡すと、子供たちは歓声を上げて追いかけ始めた。

 地面の凹凸に当たって不規則に跳ねるボールは、彼らにとって魔法の道具のように見えたのだろう。

 笑い声が響き、走り回ることで頬に血色が戻ってくる。

「……笑ったな。あの子たちが、あんなに楽しそうにするのは初めて見た」

 ルーファスが目を細めた。

「運動にはエネルギーが必要です。閣下、補給をお願いします」

「任せろ」

 ルーファスはバスケットから、一口サイズのクッキーを取り出した。

「全粒粉とドライフルーツを使った栄養強化クッキーだ。砂糖は控えめだが、果物の甘みで十分に食える」

 彼が子供たちに配ると、皆「おいしい!」「領主様ありがとう!」と口いっぱいに頬張った。

 その光景を仕事から戻ってきた親たちが見ていた。
 久しぶりに聞く子供たちの笑い声に、疲れた顔がほころんでいく。

「こんなに楽しそうにしているの、久しぶりです……」

「奥方様、領主様、本当にありがとうございます」

 次に向かったのは、領地の畜産業を支える共同牧場だった。
 しかし、ここでも問題が発生していた。

 昨夜の雨で湿った牛舎の床で、乳牛が足を滑らせて転倒し、怪我をしていたのだ。

「ああ、大事な牛が……。骨折でもしていたら廃牛だ」

 牧場主が絶望的な顔でうなだれている。
 石畳の床は、清掃は楽だが、濡れると極端に摩擦係数が低下する。

「……静摩擦係数の不足によるスリップ事故ですね。これは構造的欠陥です」

 ヴィオラは即座に対応した。

 持参したゴムシートの表面に、幾何学模様の滑り止めを施し、牛舎の通路に敷き詰めていく。

「この耐滑性ゴムマットなら、濡れてもグリップ力を維持できます。さらに、ゴムのクッション性が牛の蹄や関節への負担を軽減します」

 設置が終わると、牛たちは恐る恐る歩き出し、やがてその安定感に気づいたのか、落ち着いて餌を食べ始めた。

 その日の夕方。
 辺境伯の屋敷には、領民たちからの感謝の品が山のように届いていた。

 新鮮な野菜、搾りたての牛乳、子供たちが摘んだ花束。
 玄関ホールに積み上げられたそれらを見て、ヴィオラは困惑したように立ち尽くしていた。

「……解せません」

「何がだ?」

 ルーファスが不思議そうに尋ねる。

「私は、製造工程で生じた端材を有効利用しただけです。牛舎のマットも、転倒による経済損失を防ぐための合理的措置に過ぎません。これほどの対価を受け取る理由が……、計算が合いません」

 ヴィオラは本気で悩んでいた。
 彼女にとって自分は、あくまで裏方だ。

 王都では「地味」「暗い」「油臭い」と疎まれ、華やかな表舞台にはふさわしくないと刷り込まれてきた。

 自分が主役のように感謝されることに、強烈な違和感と、ある種の恐れを感じていたのだ。

「私は所詮、ピストンのような動力源でも、美しい外装でもありません。目立たず、ひっそりと機能を維持するだけの部品ですから……」

 自嘲気味に呟くヴィオラの手を、ルーファスが強く引いた。

「……来い。見せたいものがある」

 連れて行かれたのは、屋敷の地下にあるボイラー室だった。
 巨大な蒸気機関が唸りを上げ、館全体に暖房用の熱を供給している。

 ルーファスは、太い配管の継ぎ目を指差した。
 そこには、ヴィオラが初日に交換した黒いゴムパッキンが挟まっていた。

「これを見ろ」

 ルーファスの声が、ボイラーの音に負けないほど熱く響いた。

「このゴムの輪がなければ、蒸気は漏れ、圧力は下がり、この巨大な機械はただの鉄屑になる。どんなに強力なエンジンも、どんなに美しい外装も、これがなければ動かん」

 彼はヴィオラに向き直り、その肩を両手で掴んだ。
 琥珀色の瞳が、ヴィオラのすべてを映し出している。

「お前はこれだ、ヴィオラ。派手なピストンではないかもしれない。だが、お前がいるから、この領地というシステムは圧力を保っていられる。お前が隙間を埋め、漏れを防ぎ、熱を伝えてくれているんだ」

 ヴィオラの胸が、大きく跳ねた。

 パッキン、密封装置。
 それは通常、機械の中に隠れて見えない部品だ。

 けれど、技術者であるヴィオラは誰よりも知っている。
 それが最も過酷な環境に耐え、システム全体の信頼性を担っている最重要パーツであることを。

「俺には分かる。お前こそが、この国で……いや、俺の世界で一番重要な部品だ」

 ルーファスの最大の賛辞。
 ヴィオラの目頭が熱くなった。

「……パッキン、ですか」

「嫌か?」

「いいえ。……技術者として、これ以上の褒め言葉はありません」

 ヴィオラは眼鏡を外し、滲んだ視界を袖で拭った。
 自分は、ここにいていいのだ。

 地味なままで、油にまみれたままで、誰かの役に立っている。
 それを認めてくれる人がいる。

「……ありがとうございます、閣下。では、このパッキン、明日からも高圧力に耐えてみせます」

「ああ。頼りにしている。……だが、無理はするなよ。お前が壊れたら、俺が参ってしまう」

 ルーファスがそっと頭を撫でてくれた。
 その手は大きく、温かく、ヴィオラの心の隙間をも完全に埋めてくれたようだった。

 地下室のボイラーが、まるで二人の鼓動のように、力強く脈打っていた。

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