断罪されていたはずなのですが、成り行きで辺境伯様に連れ去られた結果……。

水上

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第32話:飢饉とスケープゴート

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 ローズ領の村広場は、異様な殺気に満ちていた。
 アルヴィスとリリアは、目立たぬようフードを目深に被って調査をしていたが、ついにイザベラに見つかってしまったのだ。

「あそこにいるのは魔女リリアよ! ついに正体を現したわね!」

 イザベラの叫び声と共に、鍬や鋤を持った領民たちが二人を取り囲んだ。
 彼らの目は落ち窪み、飢えと疲労、そして何より憎悪で濁っている。

「お前のせいか! お前が来たから雨が降らねえんだ!」

「出て行け! 疫病神め!」

「俺たちの畑を返せ!」

 罵声と共に、泥団子や石礫が投げられる。
 リリアは悲鳴を上げて身を縮めた。

「ち、違います! 私は何も……っ!」

 ガツン、と何かが当たる鈍い音がした。
 リリアを庇ったアルヴィスの背中に、石が直撃したのだ。

「アルヴィス様!」

「……問題ない。質量保存の法則に従えば、彼らの怒りの総量はこの石の運動エネルギーに変換されたわけか」

 アルヴィスは表情一つ変えず、足元に落ちた石を拾い上げた。
 そして、群衆を扇動しているイザベラを見据えた。

「相変わらずだな、イザベラ。王都で居場所をなくした次は、領民の不安を煽ってカルトの教祖ごっこか?」

「黙りなさい! これは民意よ!」

 イザベラは壇上から叫んだ。

「領民たちは知っているのよ。貴方たちが来てから、ますます空気が淀み、作物が枯れ始めたことを! 全ての災厄の原因は、その不吉な女にあるのよ!」

「そうだ! 魔女を吊るせ!」

「生贄にすれば雨が降るぞ!」

 集団ヒステリーは加速する一方だ。
 誰もリリアの話など聞こうとしない。
 アルヴィスは冷徹に群衆を見回し、拡声器を使った。

「――静粛に願おう。サル山の喧騒は耳に障る」

 その声の圧力に、領民たちが一瞬怯む。
 アルヴィスはイザベラを指差した。

「君たちが今やっていることは、問題解決のための行動ではない。動物行動学における異物排除行動だ」

「い、いぶつ……?」

 イザベラが眉をひそめる。

「群れに強いストレス――今回で言えば飢餓や将来への不安――がかかった時、動物は本能的に結束を高めようとする。その最も手っ取り早い方法が、異物(スケープゴート)を見つけて攻撃することだ」

 アルヴィスは、石を握りしめている村人の一人を見た。

「君たちは不安でたまらない。だから、『こいつのせいでこうなった』と誰かを悪者にすることで、安易な納得感と、『自分たちは被害者だ』という安心感を得ようとしている。君たちがやっているのは政治的な抗議ではない。原始的な生贄の儀式だ」

「なっ……、俺たちを野蛮人扱いするのか!」

「野蛮でなければ何だ? 雨が降らない原因を一人の女性に押し付けるなど、古代の迷信以下だ」

 アルヴィスはさらに言葉を続ける。

「そして、君たちのその思考回路を支えているのが、心身医学における公正世界仮説だ」

「こうせい……、せかい?」

「この世界は公正な場所であり、善い行いをした人には良いことが、悪い行いをした人には悪いことが起きるはずだ、という認知バイアスだ」

 彼は荒れ果てた畑を指差した。

「君たちは真面目に働いてきた。なのに不幸な目に遭っている。その理不尽な現実を受け入れられない君たちの脳は、整合性を取るためにこう考えた。こんなに酷いことが起きるのだから、どこかにとてつもなく悪い元凶がいるはずだと」

 アルヴィスはリリアの肩を抱き寄せた。

「そこでイザベラが用意した魔女というわかりやすい悪役(ストーリー)に飛びついたわけだ。リリアが悪人であればあるほど、自分たちは正しいのに酷い目に遭わされた可哀想な善人でいられるからな」

 図星を突かれたのか、領民たちの勢いが削がれる。
 自分たちの怒りの正体が、ただの八つ当たりと現実逃避だと指摘されたからだ。

 イザベラが焦って叫ぶ。

「だ、騙されないで! あいつは口が上手いのよ! 実際にリリアが来てから不幸が続いているのは事実でしょう!?」

「事実? ……ふん」

 アルヴィスは懐から試験管を取り出した。
 中には黒ずんだ土が入っている。

「イザベラ。君は『リリアが来たから作物が枯れた』と言ったな。だが、この土壌サンプルが真実を語っている」

 彼は試験管をかざした。

「pH値は著しく酸性に傾き、塩類濃度が異常に高い。これは長年の過剰な施肥(肥料のやりすぎ)と、排水不良による塩害だ。リリアが来る何年も前から、この土地は君たちの無知な農法によって、ゆっくりと殺されていたんだよ」

 領民たちがざわめく。

「塩害……?」

「肥料のやりすぎだって?」

 アルヴィスは冷たく言い放った。

「作物を殺したのは魔女の呪いではない。君たち自身の、そしてそれを指導すべき領主の無知という猛毒だ」

「う……、嘘だ! 俺たちは言われた通りに……!」

「嘘だと思うなら、その畑の土を舐めてみろ。塩辛いはずだ」

 一人の老人が震える手で土を口に含み、そして絶望的な顔で吐き出した。

「……しょっぺぇ。塩だ……。畑が塩になっちまった……」

 その一言で、広場の熱気は急速に冷え込み、絶望的な静寂へと変わった。
 魔女のせいにしていた間は楽だった。
 だが、原因が自分たちの積み重ねてきた行為(あるいは領主の失政)にあると知った時、彼らは立つ瀬を失ったのだ。

 イザベラは顔を青くして後ずさった。

「ち、違うわ……。私は悪くない……! 父様が……!」

 アルヴィスは彼女を見向きもせず、リリアに言った。

「行くぞ。原因は特定した。次は治療だ」

「はい、アルヴィス様」

 リリアは、呆然とする領民たちに深く一礼した。

「……必ず、元に戻る方法を見つけます」

 憎しみの対象から、救いの手へ。
 スケープゴートにされかけたリリアは、今度は大地を救うために立ち上がるのだった。
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