断罪されていたはずなのですが、成り行きで辺境伯様に連れ去られた結果……。

水上

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第42話:最後の嘘泣きとデュシェンヌ・スマイル

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 静寂に包まれた裁きの広間に、イザベラのすすり泣く声だけが響いていた。

「……私、寂しかったのです。誰かに認めてほしくて、愛してほしくて……、それがいつしか、リリアさんへの嫉妬に変わってしまいました。……本当に、愚かな私をお許しください……!」

 イザベラは床に額を擦り付け、肩を震わせていた。
 その姿は、かつての傲慢な悪役令嬢ではなく、愛に飢えて道を誤った哀れな少女にしか見えなかった。

 傍聴席の貴族たちがざわめく。

「確かに、彼女の生い立ちは同情に値するな」

「血の秘密を知って錯乱したのだろう。情状酌量の余地があるのではないか?」

「まだ若い娘だ、極刑は可哀想だ」

 空気が許しへと傾きかけている。
 国王陛下でさえ、痛ましげに眉を寄せ、処罰の決定を躊躇しているように見えた。

 イザベラは顔を伏せたまま、心の中で舌を出していた。

 (ちょろい。これならいける……! 重罪は免れて、修道院送りくらいで済むはずよ。そうすれば、いつか再起のチャンスが……!)

 彼女は涙の量を調整し、さらに悲壮感を演出するために声を震わせた。

「どうか、この罪深い私に……、償いの機会を……」

 その時、コツ、コツ、という足音が彼女の目の前で止まった。

「――素晴らしい演技力だ。王立劇団の主演女優に推薦したいくらいだな」

 アルヴィスだった。
 彼は冷ややかな目で見下ろしていた。
 イザベラは涙に濡れた顔を上げ、潤んだ瞳で彼を見つめた。

「へ、辺境伯様……、信じてください。私は本当に反省して……」

「反省? いいや。君が今やっているのは、動物行動学における服従のポーズだ」

 アルヴィスは、イザベラの伏せた姿勢を指差した。

「狼や犬同士の争いで、負けた方が腹を見せたり、身を低くして喉を差し出したりするのを見たことがあるか? あれは『私は貴方に敵意がありません、だから攻撃しないでください』という信号を送るための儀式的な行動だ」

 彼は切り捨てた。

「君の涙は後悔からのものではない。捕食者(国王)からの攻撃を回避するための、生物学的な白旗だ。そこに道徳的な反省など1ミリも含まれていない」

「ひどい……! こんなに泣いているのに、まだ疑うのですか!」

 イザベラが抗議すると、アルヴィスはしゃがみ込み、彼女の顔を間近で観察した。

「泣いている? 確かに涙腺から液体は出ているな。だが、表情筋はどうだ?」

 アルヴィスは無遠慮にイザベラの頬に触れた。

「人間の笑顔にはデュシェンヌ・スマイルと呼ばれるがある。眼輪筋が収縮し、目尻にカラスの足跡のような皺ができるのが特徴だ。これは意識的に動かすのが難しい筋肉で、本当の感情がなければ動かない」

 彼はイザベラの目元を指差した。

「悲しみも同じだ。本当に悲痛な時、人間は眉の内側が上がり、前頭筋が収縮して額に特有の皺ができる。……だが、君の額はツルツルだ」

 会場が静まり返る。アルヴィスの解説は続く。

「君は口角を下げ、声を震わせて悲しい顔を作っているが、それは大脳皮質(理性)でコントロールできる下半分の筋肉だけだ。感情の中枢である大脳辺縁系が反応していないため、目の周りの筋肉は全く悲しんでいない」

 アルヴィスはイザベラの顎を掴み、国王の方へ向けさせた。

「陛下、ご覧ください。彼女の目を」

 国王が身を乗り出す。

 イザベラの瞳。
 そこには涙が溜まっていたが、その奥にある光は、悲しみではなく――

「……観察しているな」

 アルヴィスが看破した。

「君は泣きながら、チラチラと陛下の表情を確認していた。この演技で通用するか、同情を買えたかと、冷徹に計算しながら観察していた。その鋭い観察眼こそが、君が反省していない何よりの証拠だ」

 イザベラの表情が凍りついた。

 図星だった。
 涙の膜の向こうで、彼女はずっと計算していたのだ。

「……っ!」

 アルヴィスは手を離し、立ち上がった。

「脳は嘘をついても、筋肉は嘘をつけない。君の顔に書いてあるぞ。計算通りとな」

 その瞬間、イザベラの顔から悲劇のヒロインの仮面が剥がれ落ちた。
 代わりに現れたのは、計画を邪魔されたことへの憤怒と、憎悪に歪んだ鬼の形相だった。

「……ああっ! もう! いちいちうるさい男ね!」

 イザベラは床を叩いて叫んだ。

「そうよ! 泣けば許されると思ったわよ! 今までだってそうやって男たちを操ってきたんだから! なんであんたには通じないのよ! 空気読みなさいよ、この理屈マシーン!」

 本性を露わにしたイザベラに、会場中がドン引きする。
 先ほどまで「可哀想だ」と言っていた貴族たちも、「なんだあれは」「魔女の本性見たり」と顔をしかめた。

 アルヴィスは涼しい顔で肩をすくめた。

「残念ながら、私は空気を読む機能より、真実(データ)を読む機能を優先して実装されている。……お前の演技は幕切れだ、イザベラ」

 イザベラはハッとして周囲を見た。

 同情の空気は完全に消え失せ、あるのは冷え切った断罪の意思だけ。
 彼女は自分の顔という最後の武器さえも、科学の前に無効化されたことを悟り、力なく崩れ落ちた。

 リリアは、その様子を悲しく見つめていた。

 嘘泣きでしか自分を守れなかった彼女の孤独。
 だが、それを許してしまえば、彼女は一生、嘘の中でしか生きられないだろう。

 アルヴィスの冷徹な指摘は、彼女に現実を突きつける、最後の慈悲だったのかもしれない。
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