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第25話:暗躍する者たち
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深夜のウィンザー伯爵邸。
静まり返った廊下を、人影が音もなく足早に通り抜けていく。
それは、オリヴィアが最も信頼する古参のメイド、マーサだった。
マーサの懐には、一通の分厚い封書が忍ばせられていた。
宛先は、王都でも屈指の財力と権力を持つ豪商、ウォルター・ハワード会頭。
彼は以前、オリヴィアのレースを高く評価し、「もし独立する気があるなら、いつでも出資する」と名刺を渡してくれた人物だ。
マーサは黒いマントを深く被り、屋敷の裏口から暗い夜の街へと滑り出た。
一方、自室にこもったままのオリヴィアは、机に向かっていた。
彼女の目の前には、セドリックが王室からの依頼として安請け合いしてきた、大聖堂の祭壇を飾るレースの指定寸法が書かれた羊皮紙が、無造作に放り出されている。
幅五メートル、長さ十五メートル。
王室の紋章百箇所。
本来であれば、今頃は死に物狂いで絹糸を編んでいなければならない時間だ。
しかし、オリヴィアの手元にあるのは銀のボビンではなく、インクの染み込んだ羽ペンだった。
彼女が今日、マーサに託した手紙。
それは、ハワード会頭への脱出後の生活基盤の確保と新たな事業提携の打診を記した、極秘の書簡である。
手紙の内容は、極めて論理的で、冷徹な計算に基づいていた。
『現在、私はウィンザー伯爵家から離縁し、独立する準備を進めております。つきましては、私の持つ手刺繍および独自のボビンレース製法に関する専門知識を、貴商会にて独占的に提供する契約を結びたく存じます。見返りとして、私の安全な居住地とアトリエの提供、そして正当な報酬を要求いたします』
それは、単なる庇護を求める哀れな女の手紙ではない。
自分にはそれだけの価値があると確信している、有能な実務者としての対等なビジネスの提案だった。
(セドリック様は、私をただの便利な道具だとしか思っていない。私に才能を鼻にかけていると罵ったけれど、私の価値を一番低く見積もっているのは、彼自身だわ)
オリヴィアは、冷ややかな目を細めた。
王都の貴族や商人たちが、ウィンザー家のレースを高く評価しているのは、セドリックの名君という外面や、ステラの聖女という飾りがあるからではない。
純粋に、オリヴィアが生み出す緻密なデザインと、他に類を見ない丈夫で美しい編み方が、圧倒的な品質を誇っているからだ。
「私がこの屋敷を去れば、あのレースは二度と作れない。……彼らは、それを理解していないのね」
オリヴィアは小さく呟き、新しい羊皮紙を引き寄せた。
次に取り掛かるのは、彼女の特許を法的に守るための準備だった。
実は、オリヴィアが考案した独自のボビンレースの製法は、王国の特許庁に正式な手続きを踏んで登録されていた。
しかし、結婚当時、波風を立てるのを恐れた彼女は、その権利の名義をウィンザー伯爵家、つまりセドリックとしてしまっていたのだ。
このまま家を出れば、セドリックは他の職人を雇い、ウィンザー家の特許製法として粗悪な模造品を作らせ、利益を独占し続けるだろう。
それだけは、絶対に許すわけにはいかない。
彼女は、密かに王都の法律家(かつて実家の借金問題で世話になった、信頼できる老弁護士)にも手紙を書いていた。
『特許の権利を、開発者である私個人の名義に変更する手続きを進めてください。セドリック・ウィンザーの同意が必要な書類には、私が彼から署名を取り付けます』
(書類の束の中に紛れ込ませれば、彼は必ず内容も読まずにサインするわ)
オリヴィアの唇に氷のように冷たく、確信に満ちた微笑みが浮かんだ。
セドリックは、名声を高めるための表の仕事には熱心だが、地味で細かい法的手続きや経理の書類などには一切目を通さない。
これまではオリヴィアが全てをチェックし、彼には「ここにサインをお願いします」と最終確認だけを求めていたからだ。
「彼が実務を私に丸投げしてきたこと。それが、彼自身の首を絞める最大の武器になるなんてね」
ペンを走らせる音が、静かな部屋に響く。
これまでのオリヴィアなら、夫を騙すようなことに激しい罪悪感を覚えていただろう。
しかし、今の彼女の心には、一片の迷いも、良心の呵責もなかった。
彼がオリヴィアの命を削って無償の奉仕という名声を手に入れようとするなら、オリヴィアは自身の正当な権利を奪い返すだけだ。
静まり返った廊下を、人影が音もなく足早に通り抜けていく。
それは、オリヴィアが最も信頼する古参のメイド、マーサだった。
マーサの懐には、一通の分厚い封書が忍ばせられていた。
宛先は、王都でも屈指の財力と権力を持つ豪商、ウォルター・ハワード会頭。
彼は以前、オリヴィアのレースを高く評価し、「もし独立する気があるなら、いつでも出資する」と名刺を渡してくれた人物だ。
マーサは黒いマントを深く被り、屋敷の裏口から暗い夜の街へと滑り出た。
一方、自室にこもったままのオリヴィアは、机に向かっていた。
彼女の目の前には、セドリックが王室からの依頼として安請け合いしてきた、大聖堂の祭壇を飾るレースの指定寸法が書かれた羊皮紙が、無造作に放り出されている。
幅五メートル、長さ十五メートル。
王室の紋章百箇所。
本来であれば、今頃は死に物狂いで絹糸を編んでいなければならない時間だ。
しかし、オリヴィアの手元にあるのは銀のボビンではなく、インクの染み込んだ羽ペンだった。
彼女が今日、マーサに託した手紙。
それは、ハワード会頭への脱出後の生活基盤の確保と新たな事業提携の打診を記した、極秘の書簡である。
手紙の内容は、極めて論理的で、冷徹な計算に基づいていた。
『現在、私はウィンザー伯爵家から離縁し、独立する準備を進めております。つきましては、私の持つ手刺繍および独自のボビンレース製法に関する専門知識を、貴商会にて独占的に提供する契約を結びたく存じます。見返りとして、私の安全な居住地とアトリエの提供、そして正当な報酬を要求いたします』
それは、単なる庇護を求める哀れな女の手紙ではない。
自分にはそれだけの価値があると確信している、有能な実務者としての対等なビジネスの提案だった。
(セドリック様は、私をただの便利な道具だとしか思っていない。私に才能を鼻にかけていると罵ったけれど、私の価値を一番低く見積もっているのは、彼自身だわ)
オリヴィアは、冷ややかな目を細めた。
王都の貴族や商人たちが、ウィンザー家のレースを高く評価しているのは、セドリックの名君という外面や、ステラの聖女という飾りがあるからではない。
純粋に、オリヴィアが生み出す緻密なデザインと、他に類を見ない丈夫で美しい編み方が、圧倒的な品質を誇っているからだ。
「私がこの屋敷を去れば、あのレースは二度と作れない。……彼らは、それを理解していないのね」
オリヴィアは小さく呟き、新しい羊皮紙を引き寄せた。
次に取り掛かるのは、彼女の特許を法的に守るための準備だった。
実は、オリヴィアが考案した独自のボビンレースの製法は、王国の特許庁に正式な手続きを踏んで登録されていた。
しかし、結婚当時、波風を立てるのを恐れた彼女は、その権利の名義をウィンザー伯爵家、つまりセドリックとしてしまっていたのだ。
このまま家を出れば、セドリックは他の職人を雇い、ウィンザー家の特許製法として粗悪な模造品を作らせ、利益を独占し続けるだろう。
それだけは、絶対に許すわけにはいかない。
彼女は、密かに王都の法律家(かつて実家の借金問題で世話になった、信頼できる老弁護士)にも手紙を書いていた。
『特許の権利を、開発者である私個人の名義に変更する手続きを進めてください。セドリック・ウィンザーの同意が必要な書類には、私が彼から署名を取り付けます』
(書類の束の中に紛れ込ませれば、彼は必ず内容も読まずにサインするわ)
オリヴィアの唇に氷のように冷たく、確信に満ちた微笑みが浮かんだ。
セドリックは、名声を高めるための表の仕事には熱心だが、地味で細かい法的手続きや経理の書類などには一切目を通さない。
これまではオリヴィアが全てをチェックし、彼には「ここにサインをお願いします」と最終確認だけを求めていたからだ。
「彼が実務を私に丸投げしてきたこと。それが、彼自身の首を絞める最大の武器になるなんてね」
ペンを走らせる音が、静かな部屋に響く。
これまでのオリヴィアなら、夫を騙すようなことに激しい罪悪感を覚えていただろう。
しかし、今の彼女の心には、一片の迷いも、良心の呵責もなかった。
彼がオリヴィアの命を削って無償の奉仕という名声を手に入れようとするなら、オリヴィアは自身の正当な権利を奪い返すだけだ。
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