「君は自分の利益しか考えてないのか?」と私の成果をタダで配る偽善者の浮気夫。〜やりがい搾取に疲れたので、すべての権利をいただいて去ります〜

水上

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第29話:夫の歪んだ自己評価

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 オリヴィアが自室にこもり、特許の名義変更という法的な自立の盾を密かに完成させていた頃。

 ウィンザー伯爵邸の主、セドリックは、自室の豪奢な姿見の前に立ち、来月の国家規模の祭典で着るための最高級の礼服を仕立て屋に合わせさせていた。

「伯爵様、この真紅のベルベットはいかがでしょうか。王族の方々が並ばれる祭典の席でも、伯爵様の高潔なオーラを一層引き立てること間違いございません」

 仕立て屋が媚びへつらうように布地を肩に当てると、セドリックは満足げに金髪を撫でつけた。

「うむ、悪くない。だが、あまり華美になりすぎるのは避けたいな。僕はあくまで、民と国家に寄り添う無私の奉仕者としてあの場に立つんだ。質素でありながら、どこか気品を感じさせる……、そう、神に仕える聖職者のような、純白と金糸の意匠で頼む」

「ははっ、畏まりました! 伯爵様のそのお心がけ、まさに王都の貴族の鑑でございます」

 セドリックは、仕立て屋の称賛の言葉を全身に浴びながら、鏡の中の自分に爽やかな微笑みを向けた。

 彼は本気で、自分が素晴らしい領主であり、良き夫であると信じて疑わなかった。
 彼にとっての世界は、とてもシンプルで美しい法則で成り立っている。

 つまり、自分が高い理念を掲げ、人々に愛と奉仕を説くことで、周囲の人間は喜んで働き、世界は豊かになるという法則だ。

(オリヴィアも、ようやく僕の教えを理解してくれたようだ)

 かつて彼女は、数字や利益、疲労といった、あまりにも世俗的で泥臭いことにこだわっていた。

『領民が餓死する』だの『物理的に不可能だ』だの、心が貧しい言葉ばかりを並べ立て、セドリックが築き上げようとしているウィンザー家の崇高な名声に泥を塗ろうとしていた。

 しかし、セドリックが当主としての威厳を示し、時に厳しく(一度だけ手を上げたが、あれも彼女を正しい道へ導くための愛の鞭だ)、時にステラという真の無私の心を持つお手本を見せることで、彼女はついに改心したのだ。

(やはり、女というものは、優れた男が正しい道を示し、導いてやらなければならない生き物なのだな)

 セドリックは自分の指導力と、妻をコントロールできているという優越感に深く酔いしれていた。

 彼には、オリヴィアが限界を超えた過労で土気色の顔をしていたことも、指先から血を流していたことも、もはや記憶の彼方だった。

「セドリック様……」

 不意に、部屋の扉が開き、ステラが小走りで駆け寄ってきた。
 彼女は、仕立て屋が用意した純白のドレスのカタログを胸に抱き、潤んだヘーゼルアイでセドリックを見上げた。

「私、祭典の献上の儀式で着るドレス、これに決めましたわ。王族の方々にお配りするオリヴィア奥様のレースが、私のこのドレスの白さと合わさって、どれほど素晴らしい愛の象徴になるか……、想像しただけで胸がいっぱいです!」

「ああ、ステラ。君ならどんなドレスでも、聖女のように美しいよ」

 セドリックは仕立て屋を下がらせると、優しくステラの肩を抱き寄せた。

「君が祭典の舞台で微笑む姿を、国中の人間が称賛するだろう。君こそが、我がウィンザー家の慈善活動の心臓であり、僕の魂のパートナーだ」

「セドリック様……、嬉しいですわ」

 ステラは頬を染め、セドリックの胸に顔を埋めた。

「でも、少し心配なのが……、オリヴィア様です。あんなに途方もない量のレース、本当に当日までに間に合うのでしょうか? もし奥様の手が遅くて、私のお披露目が台無しになってしまったら……」

 ステラは、本当に心配しているというよりは、自分が失敗した時の責任をあらかじめオリヴィアに押し付けておくような、計算高い上目遣いをした。

「心配いらないよ、ステラ」

 セドリックは、自信満々に笑い飛ばした。

「彼女には才能があるし、何より、僕が『間に合わせろ』と命じたんだ。万が一遅れるようなことがあれば、それは彼女の怠慢であり、王室への反逆だ。我が家から追放される覚悟でやっているはずさ」

「まあ、奥様、可哀想に……。でも、それも全ては皆様に愛を届けるためですものね。私、奥様が裏方で頑張れるように、毎日祈って差し上げますわ」

 二人は、自分たちがどれほど高潔で美しい存在であるかを確認し合うように、甘く微笑み合った。

(そうだ。僕は、こんなにも純粋なステラを愛し、領民のために身を粉にして働き、愚かな妻をも正しい道へ導いている。僕ほど素晴らしい男は、この王都に二人といないだろう)

 セドリックの脳内では、自分が手を下しているやりがい搾取も、妻への過労の強制も、全てが美しく漂白され、社会貢献のための尊い指導にすり替わっていた。

 自分が実務の現場を一度も見ず、図案の複雑さも、絹糸の残量も、資金繰りの破綻も、何一つ把握していないこと。

 その圧倒的な無能さに、彼は微塵も気づいていなかった。
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