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第44話:対極の未来
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「旦那様! 王室の使者様が、お痺れを切らしております! 装飾の箱はどちらに!」
廊下から、青ざめた執事の叫び声が響いた。
セドリックはビクッと体を跳ねさせ、ステラは耳を塞いでうずくまった。
逃げ場はない。
セドリックは、絶望に歪んだ顔でゆっくりと立ち上がり、フラフラとした足取りで扉へ向かった。
「……行くしかない。僕が……、なんとか、言い訳を……」
彼の声は、もはや名君のそれではなく、処刑台へ向かう罪人のように掠れていた。
「ステラ……、君も来い。僕一人で、王族の怒りを買うわけにはいかない」
「嫌よ! 私、そんな恥ずかしいこと……!」
ステラが抵抗したが、セドリックは彼女の腕を乱暴に掴み、引きずり起こした。
「君が『私が献上する』と王宮中に言いふらしたんだろうが! 連帯責任だ!」
かつて愛と奉仕を語り合い、オリヴィアを見下していた二人が、醜く罵り合いながら部屋を出て行く。
バタン、と扉が閉まり、二人の足音が遠ざかっていくのを、オリヴィアは静かに見送った。
「……これで、終わりね」
オリヴィアは、深く息を吐き出し、立ち上がった。
セドリックたちが王宮でどれほど無様な言い訳をし、どれほどの違約金を請求されるか。ステラがどれほど世間から嘲笑を浴びるか。
それはもう、彼女の知ったことではない。
彼女は、机の上のダミーの端切れをゴミ箱に捨て、身支度を整えた。
質素な外套を羽織り、小さな鞄を手に持つ。
「奥様」
廊下から、マーサがそっと顔を出した。
「旦那様たちは、空の馬車に乗って王宮へ向かわれました。お屋敷の者たちは、皆玄関でお見送りをしております。裏口は、完全に無人です」
「ありがとう、マーサ。行きましょう」
オリヴィアは、三年間幽閉されていた自分のアトリエに、最後の一瞥もくれず、迷いのない足取りで部屋を出た。
裏口から、朝の光が眩しい王都の街へ抜け出す。
新鮮な冷たい空気が、彼女の肺を満たした。
長年彼女を縛り付けていた、埃と疲労と道徳という名の重苦しい空気は、もうどこにもない。
数区画離れた辻には、ハワード会頭の家紋が入った立派な馬車が、静かに待機していた。
御者が恭しく扉を開ける。
「オリヴィア・ウィンザー様ですね。会頭がお待ちです」
「……ええ。ただのオリヴィアとして、参ります」
オリヴィアは、過去の名前を捨てるように微笑み、馬車に乗り込んだ。
マーサもその後へ続く。
馬車が動き出し、ウィンザー伯爵邸がどんどん遠ざかっていく。
その一方で、王宮の方向からは、大祭典の始まりを告げる華やかな音楽と、群衆の歓声が風に乗って微かに聞こえてきた。
(今頃、セドリック様は王族の御前で、存在しない十五メートルのレースについて、冷や汗を流しながら弁明しているでしょうね)
オリヴィアは、馬車の窓から王宮の尖塔を眺めながら、心の中で冷ややかに想像した。
申し訳ございません、装飾は間に合いませんでしたと、彼がどれほど言葉を尽くしても、王室は納得しない。
無償でやると大見得を切りながら、当日に手ぶらで現れたのだから。
それは国家への反逆とみなされ、莫大な違約金が発生する。
そして、同時に、セドリックがステラの父親であるノースコート男爵の橋の架け替え工事を全額支援するとサインした誓約書も、彼の首を絞めにかかるはずだ。
二百枚のレースを編むはずのオリヴィアが消えたことで、資金源は完全に絶たれた。違約金と借金の二重苦が、外面だけを取り繕ってきた彼の人生を、跡形もなく押し潰す。
(私が動かしていた手。……その手が止まった瞬間、あなたたちの世界は崩壊するのよ)
オリヴィアは、自分の両手を見つめた。
かつては血が滲み、硬いタコができ、酷使され続けていたその手は、今はハワード会頭の手配した上質な手袋に包まれ、穏やかな温もりを取り戻していた。
「奥様……、ついに、自由になられたのですね」
向かいの席で、マーサが涙ぐみながら微笑んだ。
「ええ、マーサ。私はもう、誰かの名声のための道具ではないわ。これからは、私の才能を正当に評価してくれる場所で、私のために糸を紡ぐの」
馬車は、祝祭の喧騒を抜け、王都の商業区にあるハワード会頭の広大な別邸へと向かって、軽快に走り続けた。
オリヴィアの顔には、長年の理不尽な労働と精神的支配から完全に解放された、清々しく、そして誇り高い、本物の微笑みが輝いていた。
偽善者たちの破滅の幕開けと同時に、実力ある一人の職人の、新しい華麗な人生が始まった。
廊下から、青ざめた執事の叫び声が響いた。
セドリックはビクッと体を跳ねさせ、ステラは耳を塞いでうずくまった。
逃げ場はない。
セドリックは、絶望に歪んだ顔でゆっくりと立ち上がり、フラフラとした足取りで扉へ向かった。
「……行くしかない。僕が……、なんとか、言い訳を……」
彼の声は、もはや名君のそれではなく、処刑台へ向かう罪人のように掠れていた。
「ステラ……、君も来い。僕一人で、王族の怒りを買うわけにはいかない」
「嫌よ! 私、そんな恥ずかしいこと……!」
ステラが抵抗したが、セドリックは彼女の腕を乱暴に掴み、引きずり起こした。
「君が『私が献上する』と王宮中に言いふらしたんだろうが! 連帯責任だ!」
かつて愛と奉仕を語り合い、オリヴィアを見下していた二人が、醜く罵り合いながら部屋を出て行く。
バタン、と扉が閉まり、二人の足音が遠ざかっていくのを、オリヴィアは静かに見送った。
「……これで、終わりね」
オリヴィアは、深く息を吐き出し、立ち上がった。
セドリックたちが王宮でどれほど無様な言い訳をし、どれほどの違約金を請求されるか。ステラがどれほど世間から嘲笑を浴びるか。
それはもう、彼女の知ったことではない。
彼女は、机の上のダミーの端切れをゴミ箱に捨て、身支度を整えた。
質素な外套を羽織り、小さな鞄を手に持つ。
「奥様」
廊下から、マーサがそっと顔を出した。
「旦那様たちは、空の馬車に乗って王宮へ向かわれました。お屋敷の者たちは、皆玄関でお見送りをしております。裏口は、完全に無人です」
「ありがとう、マーサ。行きましょう」
オリヴィアは、三年間幽閉されていた自分のアトリエに、最後の一瞥もくれず、迷いのない足取りで部屋を出た。
裏口から、朝の光が眩しい王都の街へ抜け出す。
新鮮な冷たい空気が、彼女の肺を満たした。
長年彼女を縛り付けていた、埃と疲労と道徳という名の重苦しい空気は、もうどこにもない。
数区画離れた辻には、ハワード会頭の家紋が入った立派な馬車が、静かに待機していた。
御者が恭しく扉を開ける。
「オリヴィア・ウィンザー様ですね。会頭がお待ちです」
「……ええ。ただのオリヴィアとして、参ります」
オリヴィアは、過去の名前を捨てるように微笑み、馬車に乗り込んだ。
マーサもその後へ続く。
馬車が動き出し、ウィンザー伯爵邸がどんどん遠ざかっていく。
その一方で、王宮の方向からは、大祭典の始まりを告げる華やかな音楽と、群衆の歓声が風に乗って微かに聞こえてきた。
(今頃、セドリック様は王族の御前で、存在しない十五メートルのレースについて、冷や汗を流しながら弁明しているでしょうね)
オリヴィアは、馬車の窓から王宮の尖塔を眺めながら、心の中で冷ややかに想像した。
申し訳ございません、装飾は間に合いませんでしたと、彼がどれほど言葉を尽くしても、王室は納得しない。
無償でやると大見得を切りながら、当日に手ぶらで現れたのだから。
それは国家への反逆とみなされ、莫大な違約金が発生する。
そして、同時に、セドリックがステラの父親であるノースコート男爵の橋の架け替え工事を全額支援するとサインした誓約書も、彼の首を絞めにかかるはずだ。
二百枚のレースを編むはずのオリヴィアが消えたことで、資金源は完全に絶たれた。違約金と借金の二重苦が、外面だけを取り繕ってきた彼の人生を、跡形もなく押し潰す。
(私が動かしていた手。……その手が止まった瞬間、あなたたちの世界は崩壊するのよ)
オリヴィアは、自分の両手を見つめた。
かつては血が滲み、硬いタコができ、酷使され続けていたその手は、今はハワード会頭の手配した上質な手袋に包まれ、穏やかな温もりを取り戻していた。
「奥様……、ついに、自由になられたのですね」
向かいの席で、マーサが涙ぐみながら微笑んだ。
「ええ、マーサ。私はもう、誰かの名声のための道具ではないわ。これからは、私の才能を正当に評価してくれる場所で、私のために糸を紡ぐの」
馬車は、祝祭の喧騒を抜け、王都の商業区にあるハワード会頭の広大な別邸へと向かって、軽快に走り続けた。
オリヴィアの顔には、長年の理不尽な労働と精神的支配から完全に解放された、清々しく、そして誇り高い、本物の微笑みが輝いていた。
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