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第55話:同情を誘う聖女
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王宮の大祭典から叩き出され、セドリックと共にウィンザー邸を無惨に追放されてから、数日が経った。
かつて慈愛の聖女ともてはやされたステラは、王都の裏路地にある薄暗くカビ臭い安宿のベッドで、毛布に包まりながらガタガタと震えていた。
彼女が身に纏っているのは、祭典の日に着るはずだった、あの最高級の純白のシルクドレスである。
しかし、その裾は泥にまみれ、金糸の刺繍はほつれ、髪を飾っていたはずのダイヤモンドのティアラは、昨夜、この宿の代金を払うために安値で質屋に叩き売ってしまっていた。
(どうして……、どうして私がこんな目に……!)
ステラは、濁ったヘーゼルアイからボロボロと涙をこぼし、汚れた毛布を握りしめた。
彼女の頭の中は、今でも理解不能な理不尽さで満たされていた。
ウィンザー邸から着の身着のままで追い出されたあの日。
彼女は「こんな平民の男と一緒に野垂れ死ぬもんですか」とセドリックを見捨て、実家であるノースコート男爵邸へと泣きつきに走った。
「お父様! あの無能なセドリックが破産したの! 私を助けて!」
しかし、屋敷の門前に着いた彼女を待っていたのは、無惨にも差し押さえの札が貼られた門扉と、借金取りに追われて夜逃げの準備をしている両親の姿だった。
『ステラ! お前のせいだ! お前がウィンザー伯爵に橋の工事を全額支援してもらうなどと大見得を切るから、その誓約書を担保に商会から借金をしてしまったんじゃないか!』
『お前のせいで、ノースコート家は終わりだ。疫病神め!』
両親は、ステラを助けるどころか、全ての責任を彼女に押し付け、罵声を浴びせて馬車で逃げ去ってしまった。
頼るべき実家も、パトロンであったセドリックも失い、一文無しで王都の路上に放り出されたのだ。
「私……、私は悪くないわ! 悪いのは全部、あのオリヴィア奥様よ!」
ステラは、カビ臭い部屋で一人、ギリッと歯を食いしばった。
(あの女が……、私が献上するはずだった大聖堂のレースを隠したから! 橋の工事の資金になるはずだった二百枚のレースを編むことなく逃げたから! 私が悪いんじゃないわ!)
彼女は本気で、オリヴィアが自分のためにレースを編まなかったのは、単なる嫉妬と嫌がらせだと思い込んでいた。
自分たちが不可能な労働を無償で強要したことなど、一ミリも理解していない。
彼女にとっての世界は、自分が愛を配り、人々から称賛されるという美しい表舞台だけで完結しており、その裏側でどれほどの泥臭い労働と血の滲むような調整が行われているかなど、想像する能力すら持ち合わせていなかったのだ。
「そうだわ……、まだ、私には領民たちからの支持がある!」
ステラは、突然顔を上げ、泥だらけのドレスの裾を握りしめた。
ウィンザー領の領民たちや、王都の貧民街の者たち。
彼らは皆、ステラが配ったレースや毛布を受け取り、心優しき聖女様と涙を流して感謝してくれたではないか。
セドリックや実家が破産しても、自分が彼らの前に立ち、愛と奉仕を訴えかければ、きっと誰かが哀れみ、救い上げてくれるはずだ。
(いや、私のような崇高な存在は、彼らに救われる権利がある)
ステラは、藁にもすがる思いで立ち上がり、よろめく足取りで安宿を飛び出した。
目指すは、かつて彼女が愛の象徴として華々しくお披露目の式典を開いた、王都の大広場。
そこには今日も、炊き出しや日雇いの仕事を求める貧しい人々が多く集まっていた。
「皆様! 私です! あなたたちの聖女、ステラです!」
ステラは、広場の中心に設けられた木箱の上に立ち、精一杯の慈愛に満ちた、悲しげな微笑みを顔に貼り付けて叫んだ。
広場にいた人々が、一斉に彼女の方を振り向いた。
しかし、その視線は、かつてのような熱狂や感謝に満ちたものではなかった。
泥だらけの純白のドレスを着て、髪を振り乱した薄汚れた女を、怪訝そうに見つめている。
「ステラ様……?」
「ああ、ウィンザー伯爵の……、あの、大祭典で王族を騙したっていう……」
ひそひそと、冷ややかな噂話が広がる。
王宮での大失態は、すでに王都の平民たちの間にも知れ渡っていたのだ。
「皆様、聞いてください! 私は、皆様を救うためにこの身を捧げてきました! でも、ウィンザー家の冷酷な妻の陰謀で、私は全てを奪われてしまったのです!」
ステラは、大げさに身振り手振りを交え、悲劇のヒロインを演じきった。
「私は今、住む場所も食べるものもありません。でも、私の心には、皆様への愛が溢れています! どうか……、どうか、かつて私が皆様に愛を配ったように、今度は皆様の温かい手を、私に差し伸べてください!」
彼女は、広場の人々に向かって、両手を広げた。
自分がかつて用意してあげたのだから、見返りに彼らがステラを崇め、施しをくれるのは当然だ、という傲慢な計算が働いていた。
しかし、広場はしんと静まり返った。
誰一人として、彼女に駆け寄り、手を差し伸べようとする者はいなかった。
かつて慈愛の聖女ともてはやされたステラは、王都の裏路地にある薄暗くカビ臭い安宿のベッドで、毛布に包まりながらガタガタと震えていた。
彼女が身に纏っているのは、祭典の日に着るはずだった、あの最高級の純白のシルクドレスである。
しかし、その裾は泥にまみれ、金糸の刺繍はほつれ、髪を飾っていたはずのダイヤモンドのティアラは、昨夜、この宿の代金を払うために安値で質屋に叩き売ってしまっていた。
(どうして……、どうして私がこんな目に……!)
ステラは、濁ったヘーゼルアイからボロボロと涙をこぼし、汚れた毛布を握りしめた。
彼女の頭の中は、今でも理解不能な理不尽さで満たされていた。
ウィンザー邸から着の身着のままで追い出されたあの日。
彼女は「こんな平民の男と一緒に野垂れ死ぬもんですか」とセドリックを見捨て、実家であるノースコート男爵邸へと泣きつきに走った。
「お父様! あの無能なセドリックが破産したの! 私を助けて!」
しかし、屋敷の門前に着いた彼女を待っていたのは、無惨にも差し押さえの札が貼られた門扉と、借金取りに追われて夜逃げの準備をしている両親の姿だった。
『ステラ! お前のせいだ! お前がウィンザー伯爵に橋の工事を全額支援してもらうなどと大見得を切るから、その誓約書を担保に商会から借金をしてしまったんじゃないか!』
『お前のせいで、ノースコート家は終わりだ。疫病神め!』
両親は、ステラを助けるどころか、全ての責任を彼女に押し付け、罵声を浴びせて馬車で逃げ去ってしまった。
頼るべき実家も、パトロンであったセドリックも失い、一文無しで王都の路上に放り出されたのだ。
「私……、私は悪くないわ! 悪いのは全部、あのオリヴィア奥様よ!」
ステラは、カビ臭い部屋で一人、ギリッと歯を食いしばった。
(あの女が……、私が献上するはずだった大聖堂のレースを隠したから! 橋の工事の資金になるはずだった二百枚のレースを編むことなく逃げたから! 私が悪いんじゃないわ!)
彼女は本気で、オリヴィアが自分のためにレースを編まなかったのは、単なる嫉妬と嫌がらせだと思い込んでいた。
自分たちが不可能な労働を無償で強要したことなど、一ミリも理解していない。
彼女にとっての世界は、自分が愛を配り、人々から称賛されるという美しい表舞台だけで完結しており、その裏側でどれほどの泥臭い労働と血の滲むような調整が行われているかなど、想像する能力すら持ち合わせていなかったのだ。
「そうだわ……、まだ、私には領民たちからの支持がある!」
ステラは、突然顔を上げ、泥だらけのドレスの裾を握りしめた。
ウィンザー領の領民たちや、王都の貧民街の者たち。
彼らは皆、ステラが配ったレースや毛布を受け取り、心優しき聖女様と涙を流して感謝してくれたではないか。
セドリックや実家が破産しても、自分が彼らの前に立ち、愛と奉仕を訴えかければ、きっと誰かが哀れみ、救い上げてくれるはずだ。
(いや、私のような崇高な存在は、彼らに救われる権利がある)
ステラは、藁にもすがる思いで立ち上がり、よろめく足取りで安宿を飛び出した。
目指すは、かつて彼女が愛の象徴として華々しくお披露目の式典を開いた、王都の大広場。
そこには今日も、炊き出しや日雇いの仕事を求める貧しい人々が多く集まっていた。
「皆様! 私です! あなたたちの聖女、ステラです!」
ステラは、広場の中心に設けられた木箱の上に立ち、精一杯の慈愛に満ちた、悲しげな微笑みを顔に貼り付けて叫んだ。
広場にいた人々が、一斉に彼女の方を振り向いた。
しかし、その視線は、かつてのような熱狂や感謝に満ちたものではなかった。
泥だらけの純白のドレスを着て、髪を振り乱した薄汚れた女を、怪訝そうに見つめている。
「ステラ様……?」
「ああ、ウィンザー伯爵の……、あの、大祭典で王族を騙したっていう……」
ひそひそと、冷ややかな噂話が広がる。
王宮での大失態は、すでに王都の平民たちの間にも知れ渡っていたのだ。
「皆様、聞いてください! 私は、皆様を救うためにこの身を捧げてきました! でも、ウィンザー家の冷酷な妻の陰謀で、私は全てを奪われてしまったのです!」
ステラは、大げさに身振り手振りを交え、悲劇のヒロインを演じきった。
「私は今、住む場所も食べるものもありません。でも、私の心には、皆様への愛が溢れています! どうか……、どうか、かつて私が皆様に愛を配ったように、今度は皆様の温かい手を、私に差し伸べてください!」
彼女は、広場の人々に向かって、両手を広げた。
自分がかつて用意してあげたのだから、見返りに彼らがステラを崇め、施しをくれるのは当然だ、という傲慢な計算が働いていた。
しかし、広場はしんと静まり返った。
誰一人として、彼女に駆け寄り、手を差し伸べようとする者はいなかった。
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