「妻ならわかってよ」浮気夫が、私の成果を愛人の手柄にしました。〜私なしでも事業が回ると思っているようなので、現実を見せて差し上げましょう~

水上

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第15話:反撃の狼煙

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「クロエ! いるんだろ?」

 機嫌の良い、酒の入った赤い顔をしたアーサーが、廊下へ顔を出した。
 トーマスは素早くクロエの後ろに下がり、表情を取り繕う。

 クロエもまた、一瞬で完璧な伯爵夫人の仮面を顔に貼り付けた。

「はい、旦那様。何かご用でしょうか?」

 クロエは静かに歩み寄り、淀みのない丁寧語で応えた。

「いや、ワインが足りなくなってさ。君、地下の貯蔵庫から、一番いい年代の赤ワインを持ってきてくれないか? イザベラがどうしても飲みたいって言うんだよ」

 妻をまるで給仕のメイドのように扱うその言葉。
 クロエは、微かに視線をダイニングルームの中に向けた。

 イザベラが、ふかふかの椅子に深く腰掛け、勝利の笑みを浮かべてこちらを見ている。
 その小悪魔のような瞳は「ほら、あなたの夫は私の言いなりよ。悔しいでしょう?」と雄弁に語っていた。

 しかし、クロエの心は一ミリも動かなかった。

「承知いたしました。すぐに極上のワインをお持ちいたします。……どうぞ、イザベラ様と素晴らしい夜をお過ごしくださいませ」

 クロエは深く頭を下げ、従順な笑みを浮かべた。
 アーサーは、そのクロエの態度を見て、満足げに鼻を鳴らした。

「うん、助かるよ。やっぱり君は物分かりがいいな。……ほら見ろ、イザベラ。僕の妻は、僕の事業のためなら、なんだって喜んでやってくれるんだよ。僕の浮気だって、僕の息抜きとして許してくれてる。僕に惚れ込んでるから、絶対に僕から離れていかないんだ」

 アーサーは、得意げにイザベラに向かってそう言い放った。
 彼の頭の中では、クロエの沈黙と従順さは愛と服従の証に変換されている。

 彼女がどれほど疲弊しようと、自分の元から去るなどという選択肢は、一ミリも存在しないと信じ切っているのだ。

「ふふっ、さすがアーサー様! 奥様も、アーサー様に見捨てられたら生きていけないですものね~」

 イザベラの嘲笑が続く。

(……見捨てられたら、生きていけない?)

 クロエは、地下室へと向かう階段を下りながら、内心で冷ややかな笑いを漏らした。

 彼らの事業を支え、その莫大な富を生み出している根幹は、クロエの頭脳と手の中にある。
 彼女が去った後、彼らがどうなるか。

 一滴の精油も抽出できず、香りの配合も分からない彼らが、王太后の生誕祭という大舞台で、一体何を発表できるというのか。

(私はもう、あなたたちの踏み台にはならない)

 冷たい地下室の空気の中、クロエの翡翠の瞳は、圧倒的な自信と決意に満ちていた。
 彼女の脱出劇は、単なる逃避ではない。

 自立という名の、美しく、残酷な反撃の狼煙だった。
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