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【第4章】告白、そして……

第1話

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 成績表が返却された日の放課後。

 一人教室に残ってペンを走らせていた。

「勉強なら家でやればいいのに」
「そうなんだけど、試験前ってなんかワクワクするだろ? 自分の努力の成果をやっと試せるんだって! 安中先生の話を聞いたらやる気がみなぎってきてな。とりあえず今日の復習だけでも早くやりたかったんだ」
「本当に太田君は変わっているわ。いや、学生の鏡なのかしら」

 言葉自体は褒めているが引き気味の前橋さん。
 そんなこと気にせず黙々と今日の授業でやったことを一からなぞる。

「よし、こんなもんだろ」

 そこまで時間はかからず一通り復習を終えた。さて帰ろうかとしたとき、あることを思い出す。

「あ、そうだ。黒板の日付を変えとかないと」

 今日は日直だったため、黒板の日付と当番の名前を変えないといけない。

 えっと、明日は7月1日の木曜日で、次の日直は……

 もう7月に入るのか。
 時が経つのはあっという間だな。
 黒板の文字を書き換え、教室の扉に向かう。

 すると、今朝も見た覚えのあるものが床に落ちているのを発見。

「ん? 成績表か。よいしょっと……あっ! やべっ!」

 さすがにこのままにしておくのもまずかろうと思い、成績表を拾い上げた。
 が、手にした拍子にうっかりページがめくれてしまい、中に書いてあるものが目に入る

「これは……」
「お世辞にもいい成績とは言えないわね。むしろ酷いわ」

 俺とは違い、前橋さんはかまわずガン見。
 辛辣なコメントを添えて。

 まぁ否定はできないんだけど。

 中に書いてある成績は、どの教科も赤点ギリギリだった。
 いくら県内トップクラスのこの学校でも、成績により順位がついてしまう。
 今手元にあるこの成績表の持ち主は、明らかに下から数えたほうが早そうだ。

 そっと机に戻しておいてあげよう。

 持ち主を確認するために裏表紙を確認する。
 もしかしたらバカ友助あたりかもしれない。
 そう思っていたら、まさかの名前がそこにあった。


「えっ……。高崎……さん?」


 クラス、いや、この学校の中でも指折りの美少女。
 清楚でどこか上品さも兼ね備えているのに、壁を作らず誰とでも気兼ねなく話してくれる、あの高崎可憐。

 当然のように勉強もできるんだろうなと思っていた。
 しかし、勝手にそう思い込んでいただけだったようだ。
 見かけだけで判断してしまうのは良くないってことだな。
 本人にも申し訳ないし、そっと机に戻しておこう。

 タッタッタッタッタッ!
 ガタン!

 全速力で走る足音がしたかと思うと、ものすごい勢いで扉が開く。

「ハァ、ハァ、ハァ」

 まるで全力で持久走した後のように肩で息をして、こちらを見つめる女の子。

「ハァ、ハァ、ハァ……。もしかして……その成績表……」

 目の前に現れたのは、今抱えている爆弾の持ち主、高崎さんだ。
 息を切らして疲れ切っている姿でも可愛らしさと品の良さを保っている。すごいな。

「あっ……その……そうみたい……。今、机の中に戻しておこうかと————」
「見ちゃった?」

 目をそらしている隙に、一瞬で俺の目の前までやってくる。

「ねぇ、見ちゃった……?」
「はい」

 もしかしたらここで嘘をつけたのかもしれない。しかし、目の前に迫る圧力を前に、素直に認めてしまった。

「わぁ~~! めちゃくちゃ恥ずかしいよ~~!」

 顔を手で覆いながらしゃがみこんで叫ぶ。普段は優しく微笑む姿しか見てこなかったので、こんな感情を露わにするのは珍しい。

 おっと、いけない。

 これ以上叫ばれたら人が来て、俺が痴漢をしたと勘違いされてしまう。フォローしておかないと。

「で、でも、ちらっと見ただけだから……」
「でも私が酷い成績だってのは分かっちゃったんでしょ?」
「ひ、酷いというか……そ、そう! 個性的だった」
「個性的な成績ってなにぃ~!? 全然フォローになってないよぉ! むしろ酷いってきっぱり言ってくれた方がありがたいよぁ」
「ご、ごめんなさい」

 まずい、火に油を注ぐ結果になってしまった。

「バカ」

 前橋さんもやれやれと言った感じで俺を罵倒。
 他に何かフォローできるような言葉がないか考えあぐねていると、高崎さんが口を開いた。

「見られちゃったものはしょうがないよね。ごめんね太田君、取り乱しちゃって」
「いや、俺こそ……本当に見るつもりはなかったんだけど、見ちゃったことは事実だし、ごめんなさい……」
「ふふふっ」

 さっきまで取り乱していた高崎さんが急に噴き出す。

「今まで全然喋ったことなかったのに、変なとこ見られちゃった」
「誰にも言わないから……」
「そうしてくれるとありがたいかな。でも、幻滅したでしょ?」
「えっ?」

 幻滅?

 確かに想像とは違った成績だったけど、そこまでのことじゃないと思う……
 近くにある椅子に静かに座る高崎さん。一つ席を挟んで合わせて座る。

「もう分かってると思うけど、私、勉強できないんだぁ。自分で言うのもなんだけど、周りのみんなはすごく良くしてくれてる……。でも、それと同時に自分のハードルも上げられてる気がして……。みんなに期待してもらえるのはすごく嬉しいんだけど、本当に自分はそこまですごくないし、こんな成績取ってるのがバレたら幻滅されちゃうなって思った。だからクラスで一番仲の良い陽子ちゃんにも、成績だけは絶対に見せなった。なのに、今までほとんど話したことがなった男の子に見られちゃった」

 恥ずかしさを多く含みながら優しく微笑む。
 高崎さんには、高崎さんなりの苦労があったようだ。
彼女の日頃の姿を見てて、みんなから好かれているし、何でもできて、当然勉強だってそれなりにできるんだって思っていた。
 リア充で苦労という苦労のない完璧人間だという「高崎可憐像」を勝手に作り上げていたんだ。
 そして高崎さんは、そういう空気を察して必死にその期待に応えようとしていた。

 でも、そんな彼女なら勉強も克服できると思うけど……

「あ~! もしかして、勉強サボってると思ってるでしょ?」

 ほんわかしているが、冗談交じりにちょっと怒ったような雰囲気。

「あ、いや……」
「これでもちゃんと勉強やってるんだよ? 中学までは成績も良かったし。だからこの学校に入れた。でも、高校から一気に勉強が難しくなって……。ついていこうと必死になるんだけど、どこか空回りしちゃって、いつの間にかこんな体たらくになってしまいました……。こんな悩みを打ち明けたのは太田君だけだよ」

 頬をポリポリと可愛らしく搔きながら、本来は言いたくないであろうことを話してくれた。
 それに高崎さんの口から「太田君だけ」というワードを聞くとドキッとしてしまう。
 偶然とはいえ、高崎さんの知られたくないことを知ってしまったんだ。
 墓まで持っていくことにしよう。
 これ以上高崎さんに恥ずかしことを話させるわけにもいかないし、このままヌルっと家に帰ろうかな。

 そんなことを思っていたとき、高崎さんは何かひらめいたご様子。

「そうだ! 太田君って、たしか成績良いんだよね? 渋川君が前に教室で自慢してたし! よかったら私に勉強を教えていただけませんか?」
「おっ?」

 神様に祈るかのごとく手を合わせ、さらに頭を下げる高崎さん。
 突然の提案に驚いてしまった。

 それにしても友助のやろう…… 
 前橋さんが知っていたからある程度は予想していたけど。
 高崎さんにもバレバレだったか。

「成績が良いっていうのは、友助が勝手に言っているだけで————」

 言葉を遮るように高崎さんは俺に向けて手をかざす。

「わざとじゃないのは分かったけど、私の成績表を見たのは事実でしょ? だったらフェアにいきましょ? ふふっ」

 その優しい笑顔が逆に怖いです。

 しかたなく成績表を見せる。

「すご~い! こんな成績、中学のときでも取ったことないよ。本当に頭良いんだね!」
「……ありがとうございます」
「やっぱり太田君しかいないよ! 来週からテスト前で部活もお休みだし、その期間だけででもいいの! 勉強を教えてください!」
「で、でも……」

 さすがに二人で勉強するのは身体が持たない。
 ようやくこうやって女の子と話せるようにはなったけど、まだたどたどしいし、これ以上のステップに進むにはレベルが達していない。
 前橋さんは、両手をグーにして「頑張りなさい」と圧をかけてくる。

 ん~、でもなぁ~。

 某マスオさんのごとく心の中で葛藤し、返答できずにいると————

「私ね、実家がパン屋やってるの。お母さんとお父さんが作るパンが好き。本当においしいの。このパンの味をずっと守っていきたい。でも、私には二人みたくおいしいのが作れなくて……。だから私は、経営の面から二人をサポートしたいと思うようになったの! いつかはお店を大きくして、世界中の人にお母さんとお父さんのパンを届けたい。そのためには、ちゃんと苦手な勉強と向き合って、少しでも成績を上げて、良い大学に進学しておきたいの! 自分がものすっごく我がままなことを言ってるのは分かってる。でも、太田君さえよければ、私に勉強を教えてくれませんか?」

 高崎さんの目にはうっすら光るものがある。今にも溢れ出しそうだ。
 ここまで将来のことを思って必死に抗おうとしたことが俺にはあったか?

 いや、ない。

 きっかけは偶然に過ぎなかったかもしれないけど、この女の子のことは本気で応援してあげたい。
 少し間を置いてしまったことを不安に思ったのか、前橋さんが俺に近づいてくるが、手で制する。

 分かってる。
 答えはもう出ているんだから。

「わかった。引き受けるよ。」
「えっ、本当に? やったぁ~!!」

 周りにお花畑があるんじゃないかと思えるくらい、ぱぁっと笑顔の花を咲かせる高崎さん。素直に可愛いと思った。

「ありがとね、太田君!」

 両手を握られ、感謝の意を示される。

「あ、ちょっ……」

 手を離そうとするけど、華奢な手からは想像できないほど、力強く握られているため離れられない。

「あっ! ごめんね、急に」

 高崎さんも気持ちが高ぶってやってしまっただけなのか、素に戻り、急いで距離を取る。
 手を後ろに組みながら「えへへ」と恥ずかしそうに微笑む。

 こうして俺は、臨時的ではあるが、高崎さんに勉強を教えることになった。
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