ハルとアキ

花町 シュガー

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夏休み編

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「シズマ、明日はスーツで大学においで」

いつも通りふらりとやって来た龍ヶ崎が、にこりと微笑んで言ってきた。

「は? 何故……」

「ふふふ。着て来なかったら強制的に買い与えるから」

「それじゃぁね」と早々に帰っていくのを、いつも通り見送った。

あの異例のスピーチから3ヶ月ほど経つが、未だに私は彼の言葉ひとつひとつを憶えている。

心に刺さったものも、まだ抜けない。
今まで他の学生から聞かされてきたものは、全て直ぐに忘れる事ができたのに。

(この感覚は、一体何なのだろうか)

これまで感じたことの無い感情が、最近私の中をうごめいている。

「はぁぁ…スーツか……」

(あの何を考えてるかわからない喰えないタヌキは、今度は一体何をするんだ?)

「取り敢えずは、スーツで来た方が良さそうだな……」

(全く、自分のペースが乱されっぱなしだ)


彼と出会って今月で7ヶ月目。
まるで嵐のような人だ、とつくづく思う。










「やぁ。ちゃんとスーツで来たね」

次の日。
言われた通りにスーツで登校した私を、龍ヶ崎は既に校門前で待っていた。

「クスクス、それもしっかり気合が入ってるじゃないか」

「そういう貴方も、分家の次男坊なのにしっかり〝T・Richardson〟を持っているんですね」

〝: T・Richardson(ティー・リチャードソン)〟

正式には〝:Taylor Richardson(テイラー リチャードソン).〟と呼ばれるそれは、最高級のスーツのブランド。
品質に関しては〝世界一〟と言われており、幼い子どもから高齢の方まで幅広い年齢層のスーツを作っている。
世界中で愛されているそのスーツは、注文すれば生地や糸・裏地・細やかな刺繍・柄などを全ていちからオーダーメイドし仕立ててくれるが、その予約は早くて3年待ちと言われる程。
日本でも有名で特にこの世界じゃ身だしなみのひとつとして認知されており、大事な取引や会議の時の勝負服のような役割を果たしている。

〝T・Richardson〟と入っているスーツを知らない人は、日本中…いや世界中にいないと思う。

(そんなスーツを身につけているということは、それ程の場所へ行くということか……)

もしもを想定してこれを着て来ていて、良かったかもしれない。

「ふふん、こういうのは形が大事だからね、前々から持っていたさ。手に入れるのは至難の技だったが。
さて、そんなことより。
今日の君の授業は全て休みだよ。もう休む事も申請してある。 はい、鍵。君が運転してね」

「……は?」

「ん? 運転くらいできるだろ、シズマ?」

「ほら、行くよー」と、龍ヶ崎はさっさと助手席に乗り込んでしまった。

(………っ、くそ……)

朝からこいつのペースか……
しかも何で私が運転する側なんだ。
お前から誘ったし、お前の車なんだから自分で運転しろよ。

「はぁぁぁ……ったく………」

降りてくる気配が無いのを見ると、もう完全に私に運転させる気だ。

仕方ないとため息を吐きながら、私は運転席のドアを開けた。





「ーーで、どこに向かうんですか?」

適当に車を走らせながら問いかける。

「◯◯◯ビルかな」

「………かしこまりました」

(…? そんなところに何の用だ?)

あそこは、確かただの貸し会議室やらがあるビルの筈。
特別何のテナントも入っていなかった気が……

チラリと助手席を見ると、龍ヶ崎はとても楽しそうに鼻歌を歌っている。

何をするかを答える気は、無いようだ。

(はぁぁ……取り敢えず、行くしかなさそうだな)







「ーー着きました」

「ん。ありがとうシズマ。行こうか」

ビルのエントランスを抜け、エレベーターの7階を押した。

「一体、何処へ向かってるんですか?」

「クスッ、それは着いてからのお楽しみかな?」

(だろうな……)

「はぁぁぁ…」とため息を吐くと、楽しそうにふふふと微笑まれた。

やがてチンッと音がし、扉がゆっくりと開く。


「ーーっ、ここ、は」


壁には、張り紙で【山之口家具・新作発表会】と書かれていた。

その会場のドアを、龍ヶ崎は何の戸惑いもなくバンッと一気に開け放し、たくさん並ぶ椅子のひとつに平然と座った。

「……ん? どうしたの? ほら、おいで?」

「っ、」

私も彼に習うようにして、何事もないように隣へ座る。

ヒソヒソ……

「ぉ、おい、これって招待状とかが無いと入れないやつなんじゃないのか」

「ふふ、そうだろうねぇ」

「何勝手に入ってるんですか」

「いやぁ、我が物顔でいると怪しまれないもんだねぇ」

「俺は龍ヶ崎だから一応ライバル会社だけど、分家の次男だから顔も特定されてないしねっ」とウインクされる。

(いやいやいや、そういう意味では……)

っというか、ここの警備ザルすぎるだろ。

たくさんの招かれている客たち。
報道陣のカメラ。
多くの人々が、始まるのを今か今かと待ち望んでいる。

(今更出て行くと、逆に怪しまれる…か……)

これは、完全に巻き込まれたな……

「はぁぁ……」と心の中で息を吐きながら、ステージの方へ目をやった。




『皆さま!本日は我々山之口家具の新作発表会へお越し頂き、誠に有難う御座います!!』

社長が、直々に挨拶している。

『本日お見せする商品のうち、今回の1番の目玉はこちらです!』

バサッと布が取られ、ひとつの椅子が出てきた。

『こちらの椅子は非常に画期的でしてーー』

それからは、続々と出てくる業界シェア1位の山之口家具の新作をただただ見つめていた。

ふと、気になってチラリと隣へ目をやる。


「ーーっ」


そこには、今まで見たことのないくらい厳しい表情をした龍ヶ崎がいた。
あの貪欲な黒い瞳で、発表される家具たちをただただ真っ直ぐに見つめている。

それはスーツの力もあるかもしれないが、まるで1人の経営者の様な品格と雰囲気で。


『俺は、〝龍ヶ崎〟を継ぐ者だ』

『ーー龍ヶ崎は、家具の世界を変えるよ』


(っ、馬鹿な……)

だが、それが現実となってもおかしくはないかもしれないと、私は心のどこかで思っているらしい。


(一体どうしたんだ、私は………)





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