元カレに囲まれて

一条咲穂(花宮守から改名)

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第5章 嵐

第5章 嵐 第9話

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 やがて時間が来て、彼は私の髪にキスを落とし、名残惜しそうに立ち上がった。再会してから、私に唇で触れたのはこれが初めて。ふわっと薔薇の香りに包まれた気がした。
 直感した。
 彼は、昨日のことを知っている。
 榊さんが話したんだろうか。それとも、あの男の会社から伝わった……?
 問いを含んだ私の目にまっすぐに向けられた、青と緑の宝玉が揺れた。何だか、急に王子が幼く見えた。ごまかすような咳払いに、お見合いの日の夜の電話を思い出した。あの時、敬語はやめましょう、と私から提案した。
 ――今日は楽しかった。ありがとう、衣純。
 照れ隠しの咳払いのあと、そう言ってくれた彼に、恋はもう始まってると思えた。
 ああ、そうか。
 幼く見えたんじゃない。かわいいんだ。基本的に自制心が強くて、年下だということを忘れそうなほど頼れる彼氏だったけど、私には子供っぽい面を見せてくれてた。今、まるであの頃に戻ったかのような顔を覗かせたけれど……それ以上は触れることなく、手の中から出現させた薔薇を一輪、手渡してくれた。色は、透明感のあるピンク。
「ありがとう……いい香り」
 お礼を言って立ち上がろうとしたら、「そのままでいい」と言われた。そんなわけにはいかない。そこへノックの音がして、私ではなく王子が「どうぞ」と答え、扉の向こうに現れたのは真だった。王子と何やら頷き合っている。首を傾げる私に、
「衣純。俺、ちょっと打ち合わせ入ったから。連絡事項を机の上に置いといた」
「あ、うん」
「じゃあ、行きますか」
「ああ」
 ほかに説明してくれる様子もなく、二人で連れ立って部屋を出ていこうとしている。訳が分からない。真は、王子が来るのを知らなかったんだよね? 何で、全部決まってたことみたいに動いてるの?
「待ってよ……」
 私の顔は、クエスチョンマークでいっぱいになっていたに違いない。あとを追って部屋を出ようとすると、真に釘を刺された。
「戻っておとなしくしててくれ」
「……はい」
 彼は会社では先輩で、私の教育係でもある。あまり強く異を唱えるわけにはいかない。それ以前に、私のことを本当によく見ててくれるから、今の言葉も心配してのことだとわかってる。
 王子は王子で、
「君を待つ間に、彼に連絡を入れておいたんだ」
 それしか教えてくれない。じとっと二人を見比べてしまう。
「そんな顔するなって。今日はお前は、自分の体のことだけ考えてくれ。榊さんにも、くれぐれもと言われてるんだ」
 榊さんの名前を出されたら、引き下がるしかない。うーん、それにしても一体何だろう? 
「あと、これは男同士の秘密だから」
「そういうことだ」
 ……は?
 特大のクエスチョンマークを顔にはり付けた私を置いて、二人はやけに颯爽と出かけていった。
 自分の席に戻ると、真の引継ぎメモがあった。と言っても、どれもほんの少しの作業で終わるものばかり。赤く大きな字で、「残業するなよ!」と書かれていた。
 ほかの人たちにも、事情はともかくとして私が本調子ではないことは伝達されていて、無理をしないようにとみんなで気遣ってくれた。昨日、あれだけのショックを受けたあとということもあって、涙が出そうなくらい嬉しかった。
 ここでやっていこう、って思えた。

 帰りの電車の中では、三人の人からのメッセージを読むことになった。
 一通目は、午前中に届いていた榊さんのメール。昼休みは真と一緒だったから、それをいいことに先延ばしにしていた。さすがに、もう延ばせない。「言える時が、来てからでいいから」という真の言葉を、不意に思い出した。真は、昨日の会食の件だけじゃない……ほかにも私に悩み事があると気付いていたんだ。
「さすが……」
 ラッシュにはまだ早く、ガラガラではないけど十分余裕をもって座れた座席で、エアコンの風を感じながら、榊さんのメールを開いた。真摯な言葉が並んでいた。あんな思いをさせて申し訳なかった、今そばにいられないことが悔しくてならない……離れていても君を心に抱きしめている……。
 胸が詰まった。ハンカチで汗を拭う振りをして口を押さえ、乱れる感情を押しとどめた。返事を書かないといけない。
『おかげ様で、皆さんに気遣っていただいて、無事一日が終わりました。ありがとうございます』
 どんなに考えても、それしか書けなかった。頭の芯が、言うことを聞いてくれない感じがした。
 何とか送信したあと間もなく、王子からのメールが届いてびっくりした。彼からの個人的なメールは、当然ながら、別れて以来もらったことがなかった。
『世界は広い。時には広すぎる。だが、ありがたいことに僕には君がいる。君を苦しめる人間を、僕は決して許しはしない』
 らしいと言えば、この上なく王子らしいメールだった。やっぱり、昨日のことを知っているんだ。それと……彼は、あんな風に私に突然別れを告げたことを、自分で許せずにいるのかもしれない――。私が、先生に一方的に終わりを告げて、忘れられずにいたように……。
 返事は、榊さんに対するものよりは、書きやすかった。
『いろいろ、本当にありがとう。また頑張ろうっていう気持ちになれたよ。博士にまた会ったら、タイムマシンのこと応援してるよって伝えてね』
 タイムマシン、か……。
 三月の終わりから四月の初めにかけて、思い出が一気に押し寄せて、それこそ時間旅行をしているみたいだったな。
 流れていく外の景色は、まだまだ明るい。なのにふと思い出したのは、何度も見た夢の中の雪景色。寂しそうな、先生の……恭一郎さんの姿。王子の腕の中で眠っていた頃も、あの夢を見た。
 大好きな先生。彼の中で、私との恋は終わっていなかった。私の中でも、終わりにしようとしただけで、本当は終わってなんかいなかった……。
 ぎゅっと胸がしめつけられそうになった時、メッセージの着信で端末が震えた。
「あ……」
『特売の卵を買いすぎた。よってメシは卵焼き。甘いのとだし巻き、半々でいいか』
 同じ家に帰る、あの人からの言葉。切ない思いに囚われかけていた胸が、ぽわんと温かくなる。すいすいと返信を書いた。
『うん! 楽しみにしてるね! 甘いのもだし巻きも好き』
 自然に笑顔が浮かぶ。さっき通過した駅の名を書いて、帰り着く大体の時間を知らせる。ただの連絡事項と言える類いのものかもしれないけど、あの人とのそんなやり取りが無性に嬉しい。
 大丈夫。傷は癒していける、少しずつ。
 みんな、ありがとう。

 榊さんには……出張から帰ったら、折を見て話そう。

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