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第4章 四つ目の恋
第5話
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注文したお蕎麦が運ばれてきて、二人ともお腹がぺこぺこなことに気が付いた。そのことに声を立てて笑い、一気に親密なものが生まれた。「いただきます」の声がそろう。お付き合いを開始して、初めて共にする食事。榊さんが、私だけを見てくれている。
「一生分の勇気を、ほぼ使い果たした気がするよ……ありがとう」
「いえ、私こそ。一昨日、車を降りてからすぐに答えは出ていたんですけど、きちんと会ってお返事がしたくて」
週末に気を揉ませてしまってごめんなさいの気持ちで言うと、高校生ぐらいの男の子みたいにストレートな笑みがパッと浮かんだ。もっと喜んでもらいたくて、正直に自分の気持ちを伝えたくなった。
「私の方は、ですね」
「うん?」
「就職活動でお会いした時から、気になってました」
「それは……」
「不真面目でごめんなさいっ。でもそれだけで会社を選んだわけじゃなくて、榊さんのいる会社で働けたらいいなって……あ、ええと……」
私の馬鹿ーっ。フォローになってないっ。彼はお箸を置いて、クスクス笑ってる。
「うん、分かったよ」
「……ほんとに?」
「総合的にうちの会社が、香原さん……衣純さんのお眼鏡に適ったというわけだね」
「はい……」
衣純さん。衣純さんって呼んでくれた。「いいだろ?」って言いたそうに瞳が躍ってる。ほわん、ほわんと……自分の体から、ハートマークが発生して飛び交う。まだ午後の予定が残ってるのに……。
彼は、ぽーっとなってしまった私をじっと見てる。お蕎麦も、お店の内装も視界から消えて、二人だけの世界に入っていく……。
ヴーッ ヴーッ
鞄の中で鳴り響いたのは、榊さんのスマートフォン。二人とも、ワンテンポ遅れてハッとした。
「メッセージでもいいのに、何だろうな」
邪魔された!って軽く苦笑いしているのが、大人の男の人の魅力全開で、またうっとり。
「もしもし……ああ、大丈夫だ。……え? そうか……それで……うん」
個室とはいえ、お店の中。気を遣って小声で話す彼が、ちらっと私に視線を投げた。何だろう。急いで会社に戻った方がいいかな? 首を傾げると、意外な言葉が続いた。
「分かった。ではこのあと、僕たちは半休ということでよろしく頼む」
は!?
「香原さん」
「あ、はい」
「社に置いてきた荷物はあるかな?」
「いえ、特には」
仕事の流れによっては直帰になる日もあるから、一応全部持ってきてる。榊さんは頷いて、電話の相手に告げた。
「彼女も僕も、特に取りに行くものはない。今日のことは、あとで僕から報告を上げる。……ああ、ありがとう。君も、働き過ぎはいけないよ。社長にくれぐれもよろしく」
それから二言三言交わして、電話が終わった。最後の方で、相手は真なんだろうなと思った。
「南條からだったよ。午後の予定がキャンセルになった。先方の担当者が私用で早退するそうでね」
あ、やっぱり真だった。
「それで、ちょうどいいから僕と君は、今日の午後は休めと。社長命令だそうだ」
「……はぁ」
何がちょうどいいのやら。社長命令って。
榊さんは、お蕎麦の残りを食べながら説明してくれた。産地直送のわさびがきいて、おいしい。
「君は入社以来、通常の倍以上の成果を上げている。五月病の時期は難なく乗り越えたが、このペースで行くとそのうちプツンと糸が切れてしまうんじゃないかと、みんなで気にしていたんだ」
「あー……」
またやってしまった。自覚なしに。
「ここで名前を出すのは悔しいんだが、特に南條はね。ライトナー氏からも言われている」
「王子が?」
「うん。君の仕事ぶりを見て、彼は大層感激してね。一方で心配もしている。『言って聞くならいいんだが……倒れないように、気にかけてやってほしい』と」
「そうですか……」
二人とも、変わってない。私に優しすぎるとこ。社長にも心の中で感謝して、お茶をひと口飲んだ。
「さて。どこへ行こうか」
「えっ」
「おや? 交際一日目の彼氏を置いて、直帰するつもりだったのかい?」
「そ、そういうわけじゃっ」
降って沸いた出来事が意外すぎて、即座に頭が追いつかない。榊さんといると、よくそういうことが起こる。新人をカリーダカンパニーの担当に抜擢したり、視察と言われて出かけた遊園地で交際申込みをされたり。私を驚かせることにかけては、元カレ三人といい勝負。回数はすでに三人を抜きつつある。年の甲かなぁ。
……彼氏。榊さん、私の彼氏になったんだよね。いい響き。
「君の午後の時間を、もらっていいかな」
「はい。……榊さんの午後の時間も、私がもらっていいですか」
「もちろん」
ひと言交わすたびに、トクンと胸が鳴る。どんな言葉が返ってくるか、自分がそれにどう反応するか、踏み出してみなければ分からない。手探りで、恋を育てていく。榊さんのプライベートの時間はどんなかな、って想像するだけだったのが、私をその中に入れてくれたんだ。初めての職場恋愛。分からないことがあっても焦らずに、彼についていきたい。
「よし。じゃあ、遊びに行こう。『視察』ではなくね」
「はい」
微笑み合う。波長が合う。私たちは今、『上司と部下』から解放されて、男女として向き合っている。
「その前に、ひとつお願いがあるんだ」
「何でしょう?」
「二人きりの時は、下の名前で呼んでもらえると嬉しい」
下の名前。榊竜司、だから……。
「りゅ……うじ、さん」
顔から火が出そう。
「よくできました」
幸せそうに顔を輝かせる彼。OKしてよかった!
「一生分の勇気を、ほぼ使い果たした気がするよ……ありがとう」
「いえ、私こそ。一昨日、車を降りてからすぐに答えは出ていたんですけど、きちんと会ってお返事がしたくて」
週末に気を揉ませてしまってごめんなさいの気持ちで言うと、高校生ぐらいの男の子みたいにストレートな笑みがパッと浮かんだ。もっと喜んでもらいたくて、正直に自分の気持ちを伝えたくなった。
「私の方は、ですね」
「うん?」
「就職活動でお会いした時から、気になってました」
「それは……」
「不真面目でごめんなさいっ。でもそれだけで会社を選んだわけじゃなくて、榊さんのいる会社で働けたらいいなって……あ、ええと……」
私の馬鹿ーっ。フォローになってないっ。彼はお箸を置いて、クスクス笑ってる。
「うん、分かったよ」
「……ほんとに?」
「総合的にうちの会社が、香原さん……衣純さんのお眼鏡に適ったというわけだね」
「はい……」
衣純さん。衣純さんって呼んでくれた。「いいだろ?」って言いたそうに瞳が躍ってる。ほわん、ほわんと……自分の体から、ハートマークが発生して飛び交う。まだ午後の予定が残ってるのに……。
彼は、ぽーっとなってしまった私をじっと見てる。お蕎麦も、お店の内装も視界から消えて、二人だけの世界に入っていく……。
ヴーッ ヴーッ
鞄の中で鳴り響いたのは、榊さんのスマートフォン。二人とも、ワンテンポ遅れてハッとした。
「メッセージでもいいのに、何だろうな」
邪魔された!って軽く苦笑いしているのが、大人の男の人の魅力全開で、またうっとり。
「もしもし……ああ、大丈夫だ。……え? そうか……それで……うん」
個室とはいえ、お店の中。気を遣って小声で話す彼が、ちらっと私に視線を投げた。何だろう。急いで会社に戻った方がいいかな? 首を傾げると、意外な言葉が続いた。
「分かった。ではこのあと、僕たちは半休ということでよろしく頼む」
は!?
「香原さん」
「あ、はい」
「社に置いてきた荷物はあるかな?」
「いえ、特には」
仕事の流れによっては直帰になる日もあるから、一応全部持ってきてる。榊さんは頷いて、電話の相手に告げた。
「彼女も僕も、特に取りに行くものはない。今日のことは、あとで僕から報告を上げる。……ああ、ありがとう。君も、働き過ぎはいけないよ。社長にくれぐれもよろしく」
それから二言三言交わして、電話が終わった。最後の方で、相手は真なんだろうなと思った。
「南條からだったよ。午後の予定がキャンセルになった。先方の担当者が私用で早退するそうでね」
あ、やっぱり真だった。
「それで、ちょうどいいから僕と君は、今日の午後は休めと。社長命令だそうだ」
「……はぁ」
何がちょうどいいのやら。社長命令って。
榊さんは、お蕎麦の残りを食べながら説明してくれた。産地直送のわさびがきいて、おいしい。
「君は入社以来、通常の倍以上の成果を上げている。五月病の時期は難なく乗り越えたが、このペースで行くとそのうちプツンと糸が切れてしまうんじゃないかと、みんなで気にしていたんだ」
「あー……」
またやってしまった。自覚なしに。
「ここで名前を出すのは悔しいんだが、特に南條はね。ライトナー氏からも言われている」
「王子が?」
「うん。君の仕事ぶりを見て、彼は大層感激してね。一方で心配もしている。『言って聞くならいいんだが……倒れないように、気にかけてやってほしい』と」
「そうですか……」
二人とも、変わってない。私に優しすぎるとこ。社長にも心の中で感謝して、お茶をひと口飲んだ。
「さて。どこへ行こうか」
「えっ」
「おや? 交際一日目の彼氏を置いて、直帰するつもりだったのかい?」
「そ、そういうわけじゃっ」
降って沸いた出来事が意外すぎて、即座に頭が追いつかない。榊さんといると、よくそういうことが起こる。新人をカリーダカンパニーの担当に抜擢したり、視察と言われて出かけた遊園地で交際申込みをされたり。私を驚かせることにかけては、元カレ三人といい勝負。回数はすでに三人を抜きつつある。年の甲かなぁ。
……彼氏。榊さん、私の彼氏になったんだよね。いい響き。
「君の午後の時間を、もらっていいかな」
「はい。……榊さんの午後の時間も、私がもらっていいですか」
「もちろん」
ひと言交わすたびに、トクンと胸が鳴る。どんな言葉が返ってくるか、自分がそれにどう反応するか、踏み出してみなければ分からない。手探りで、恋を育てていく。榊さんのプライベートの時間はどんなかな、って想像するだけだったのが、私をその中に入れてくれたんだ。初めての職場恋愛。分からないことがあっても焦らずに、彼についていきたい。
「よし。じゃあ、遊びに行こう。『視察』ではなくね」
「はい」
微笑み合う。波長が合う。私たちは今、『上司と部下』から解放されて、男女として向き合っている。
「その前に、ひとつお願いがあるんだ」
「何でしょう?」
「二人きりの時は、下の名前で呼んでもらえると嬉しい」
下の名前。榊竜司、だから……。
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