元カレに囲まれて

一条咲穂(花宮守から改名)

文字の大きさ
70 / 80
第4章 四つ目の恋

第6話

しおりを挟む
「職権乱用、ということになるのかな」
「え?」
「上下関係を利用して、若いお嬢さんを連れ回してる」
「まあ、確かに。……でも、それだけじゃないですから」
 隣で歩く距離をほんの少し縮めてみた。
 思いがけず空いた時間。やってきたのは、都内とは信じられないほどの、広大な自然を楽しめる公園。今年は紫陽花が早いそうで、もう見頃を迎えてる。吸い込まれそうな青。
 榊さんは私の言葉に、照れたように上を向いた。かっこいいのに、いちいちかわいい。
「ここには時々、一人で休憩に来るんだけどね。こんなにゆったりした気持ちになれたのは初めてだ」
「こうやって、お仕事中に?」
「時間調整の時なんかにね。実は僕も、休むのが下手なんだよ」
 そんな気がしてた。社長は、榊さんのことも心配したからこそ、お休みをくれたんだ。
「普段、お休みの時は……読書とかですか?」
「うん。あとはドライブだね。今は、こうしてかわいい子と、心から解放されて自然に囲まれてる」
 両手を上げて、伸びをして。「んーっ」て思わず漏れた声にまた照れている。
「一緒に働いて、一緒に休んで。……一緒に、歩いていこう」
「はい」
 差し出された大きな手に、指を滑り込ませた。公園を出るまで、ずっと手を繋いでいた。
 
 公園で自然を満喫したあとは、映画館へ。平日、通勤帰りの人たちはまだ来ない時間。職場で話題に上っていた恋愛映画が、車ならすぐに行ける映画館でやっていたから。ハリウッドの大作で、『観るともっと恋をしたくなる!』がキャッチコピー。その通りだった。彼は主演の二人が結ばれる場面で私の手を握り……エンドロールの間に、どちらからともなく引き寄せられ、口づけを交わした。「やっと出会えた奇跡……決して離さない……」と歌う、力強い女性歌手の声に包まれて。
 榊さんとの恋は、そうやって始まった。
 
 会社では、以前と同じ距離感を保った。お互い忙しくて、ゆっくり話す時間もなく、仲を疑われる暇もなかったというのもある。社内で私に任される仕事が増えるにつれて、榊さんと連れ立っての外出は減っていった。
 ロマンチックな時間がやってきたのは、関東梅雨明け宣言の日だった。ちょうど来たエレベーターの扉が閉まりそうになり、声をかけた。
「すみません、乗りますっ」
 中にいた人が「開」ボタンを押してくれて、挟まれずに乗ることができた。
「ふぅ……。ありがとうござい……まし、た」
 語尾が途切れたのは、中にいたのが一人だったからではなく。その一人が、私の彼氏だったから。にこっと慈しむような笑みを浮かべてる。
「行き先は、同じフロアでいいのかな」
「はい」
 私が抱えている資料を見て、何階に行くのか言い当てた。上昇を始めた箱の中に、特別な空気が漂う。呼吸の音さえ聞かれてしまうんじゃないかっていう緊張と、聞いてほしいという欲求。とんでもないことを言い出しそう。
「なかなか時間を作れなくてすまない」
「いえ、私こそ」
「大変な思いをさせているけど……同じ会社の中に君がいると思うと、元気が出るんだ」
「私もです」
 短い言葉しか出てこない。話したいこと、たくさんあるのに。全身、ドキドキしてる。
「衣純さん」
 肩を抱かれた。会社の中で下の名前呼ばれるの、初めて。私の心臓、目的のフロアに着く前に爆発するんじゃないだろうか。
「今日、少し時間をもらえるかな」
 甘く、妖しい色を帯びた囁き。ああ、今日がそうなんだ。今夜は先生は行事の関係で遅くなるって言ってたから……心配かけずに済む、よね。
 榊さん……竜司さんの目は、「逃さない」って宣言してる。手が塞がっているから、頭をぴたっと彼にくっつけて、頷いた。

 夕方、コーヒーを飲みにきた王子を見送り、急に入ってきた案件を真と手分けして一時間で済ませ、帰り支度をして会社玄関に向かいながら先生のメールを読んだ。
『日付が変わってから帰ることになりそうだ。戸締りをきちんとすること』
「了解、気を付けてね……と」
 返信を作成しながら、後ろめたい気持ちと、どこかホッとしている気持ちとがせめぎ合う。後ろめたいって……何で? それはまあ、元カレだけど。
 私も遅くなること、書いた方がいい? ――子供じゃないんだから。いや、子供だけど、そういう意味じゃなくて。
 榊さんと付き合ってること、先生には言ってない。これがお母さんなら……「今、付き合ってる人いるの?」と聞かれれば、「まあねー」ぐらいは答えるかも。先生とは……そういう話にならないように、お互いに蓋をしているのかもしれない。
 恭一郎さん、大丈夫かな。私がほかの人とうまくいって、結婚……なんてことになっても。
「大丈夫に、決まってる……」
 玄関を出るところで、送信しながら呟いた。結局、「了解、気を付けてね」だけ。
 榊さんとは、まだ始まったばかり。結婚なんて、あるとしても年単位で先の話だろう。第一、先生はお母さんと結婚してる。私の……お義父さん、なんだから。

 榊さんとの待ち合わせは、近くのカフェ。時間は、三十分の幅を持たせてある。お互いの仕事がずれ込む可能性を考慮してのこと。彼は、三十分の後の方にやってきた。
「ごめん、ごめん」
「いえ、お疲れ様です」
 鞄を持っていない。ということは、彼は会社に戻るんだ。
「何か食べるかい?」
「んー……胸がいっぱいで。あ、でも榊さんは何かお腹に入れた方が」
 私を見つけてテーブルに来た彼の手にも、コーヒーだけ。
「『竜司さん』、だろ?」
 向かい側に腰かけ、緊張気味の私を安心させるように微笑んだ。
「僕も、胸がいっぱいなんだ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

密室に二人閉じ込められたら?

水瀬かずか
恋愛
気がつけば会社の倉庫に閉じ込められていました。明日会社に人 が来るまで凍える倉庫で一晩過ごすしかない。一緒にいるのは営業 のエースといわれている強面の先輩。怯える私に「こっちへ来い」 と先輩が声をかけてきて……?

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...