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第3話
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その日、新しい参加者があり、夕一との組み合わせを望んだ。藤山紫乃、四十代女性。十代で父が蒸発。二十代で祖母の介護が始まり、母がストレスで発狂状態に近くなった。その母も今では介護を必要とする身だ。「毎日悲鳴を上げたくなるので、限界だと思って」、ここへ来たのだという。彼女の話は、数か月前に契約した、不動産購入の件から始まった。
「何で私が借金背負わないといけないのよ!? いい加減にして! もうヤだからね!」
「だってあなた、あの家欲しいんでしょ? だから……」
「お母さんが前に欲しいって言ってたからだよ。あそこ買わないとうちが不利になるからって。でもお母さん、もうローン組めないでしょ。お姉ちゃんも兄貴も自分が出すなんて言わないしさ……だから、私が買うしかないって」
でも、もういや。こんなことばっかり。あの物件、次はあっちの物件。「あなたのためになるから」って、善意の押し付け。お金を返すっていう重圧を背負うのは私。家族経営の事業に絡めてくるからたちが悪い。私が買わざるを得ない方向に追い込んでくる。もうそんなのはいやなの!
お父さんは土地ころがしで財産を失って、消息不明になり、三年前に死亡通知が来た。お母さんはお父さんの借金を全部返して、私たちを育てながら貯金をかなり作ったけど、私をお父さんの代わりにしてる気がする。「土地を買うのって楽しいでしょ? あそこは絶対買いたい」と、いやらしい顔で笑って、私をATM代わりにする。さすがに今回、私が切れて嫌だと言ったら「ショックで」寝込んでしまった。自分をかわいそうがることばっかり。
私は人生に興味がない。そういう振りをしてきたし、一方で、本当にそうなのかもしれない。
十代の時、家の中がめちゃくちゃで、みんなバラバラになってしまえばいいと願った。そしたら、本当にバラバラになった。何かを願っちゃいけないんだ、と思った。
逆境に入り込むと、それを補うような出来事も、結果的には起こってきた。「あの時、あれでよかったんだ」って思える。それは何年も経ってから。私はその「何年も」を繰り返して、ただ年を取っていく。
お見合い話も来たけど、「いい家の長男のお世話係」が欲しいんだなっていう内容のものばかり。全部断った。家のことを知られるのも恥ずかしかった。
仕事は、家の外にも縁があって続けてきたけど、消費者は勝手なことを並べ立てる。私に仕事を紹介してくれた人も、その代わり俺の日常の世話をしろって求めてくる。それは、介護保険が入って免れたけど……。「俺がいなければ仕事は潰れるんだ。だから当然だ」って。これがパワハラか……。
もういや! 私の人生、人の陰になって、その人たちに当然のような顔をされて、「もっと頑張れ」って言われ続けて終わるの? それならいっそ、ここで終わってしまえばいい――。
「……って、思ってしまったので。精神状態、危ういですよね」
紫乃は、自嘲気味に小さく笑って話を終えた。アラフィフだと自己紹介したが、話に熱が入るとせいぜい三十代にしか見えない。目に炎が燃え上がり、パッと眩しくなるのだ。配られたペットボトルの緑茶を、喉を湿らせる程度に飲んだ。冷えた液体を体内に取り込んでなお、頬は紅潮している。
夕一は、すぐには言葉を発することができなかった。
「母が寝起きしてるの、私の部屋の隣なんです。うち、廊下がなくて部屋がつながってるので、観てるテレビの音とか、杖の音とか、聞こえるんですよね……」
「それが、ストレスに?」
彼女が言いたくて言えない、最後の部分を代わりに付け足す。「こういうことを言っては親不孝者だ」と罪悪感を抱き、それがさらなるストレスになるから、ここで吐き出させる。強い口調でなくとも、ひと言漏らし、それを否定されることなく受け入れてもらえる空間。
具体的な解決策を滔々と提示されたいわけではない。そんなのはただのお節介だ。ここに集う人々の大半が求めているのは、「気持ちを表現していいんだよ」という受容の場。泣きたい時に泣く、歌いたい時に歌う、笑いたい時に笑うのと、同じ。怒りを表明する、悔しさを叫ぶ、終わりの見えない暗い日々を自分の中からいったん取り出す。
――自分は一人かもしれないが、世界はとりあえず、今ここにあるじゃないか。
一瞬、そう思えればいい。心の風邪の熱が一時的にでも下がってくれば、深呼吸をしてまた自分の世界を取り戻せる。自分にとってここがそういう場所であるように、彼女にもそうであってほしいと願った。
「何で私が借金背負わないといけないのよ!? いい加減にして! もうヤだからね!」
「だってあなた、あの家欲しいんでしょ? だから……」
「お母さんが前に欲しいって言ってたからだよ。あそこ買わないとうちが不利になるからって。でもお母さん、もうローン組めないでしょ。お姉ちゃんも兄貴も自分が出すなんて言わないしさ……だから、私が買うしかないって」
でも、もういや。こんなことばっかり。あの物件、次はあっちの物件。「あなたのためになるから」って、善意の押し付け。お金を返すっていう重圧を背負うのは私。家族経営の事業に絡めてくるからたちが悪い。私が買わざるを得ない方向に追い込んでくる。もうそんなのはいやなの!
お父さんは土地ころがしで財産を失って、消息不明になり、三年前に死亡通知が来た。お母さんはお父さんの借金を全部返して、私たちを育てながら貯金をかなり作ったけど、私をお父さんの代わりにしてる気がする。「土地を買うのって楽しいでしょ? あそこは絶対買いたい」と、いやらしい顔で笑って、私をATM代わりにする。さすがに今回、私が切れて嫌だと言ったら「ショックで」寝込んでしまった。自分をかわいそうがることばっかり。
私は人生に興味がない。そういう振りをしてきたし、一方で、本当にそうなのかもしれない。
十代の時、家の中がめちゃくちゃで、みんなバラバラになってしまえばいいと願った。そしたら、本当にバラバラになった。何かを願っちゃいけないんだ、と思った。
逆境に入り込むと、それを補うような出来事も、結果的には起こってきた。「あの時、あれでよかったんだ」って思える。それは何年も経ってから。私はその「何年も」を繰り返して、ただ年を取っていく。
お見合い話も来たけど、「いい家の長男のお世話係」が欲しいんだなっていう内容のものばかり。全部断った。家のことを知られるのも恥ずかしかった。
仕事は、家の外にも縁があって続けてきたけど、消費者は勝手なことを並べ立てる。私に仕事を紹介してくれた人も、その代わり俺の日常の世話をしろって求めてくる。それは、介護保険が入って免れたけど……。「俺がいなければ仕事は潰れるんだ。だから当然だ」って。これがパワハラか……。
もういや! 私の人生、人の陰になって、その人たちに当然のような顔をされて、「もっと頑張れ」って言われ続けて終わるの? それならいっそ、ここで終わってしまえばいい――。
「……って、思ってしまったので。精神状態、危ういですよね」
紫乃は、自嘲気味に小さく笑って話を終えた。アラフィフだと自己紹介したが、話に熱が入るとせいぜい三十代にしか見えない。目に炎が燃え上がり、パッと眩しくなるのだ。配られたペットボトルの緑茶を、喉を湿らせる程度に飲んだ。冷えた液体を体内に取り込んでなお、頬は紅潮している。
夕一は、すぐには言葉を発することができなかった。
「母が寝起きしてるの、私の部屋の隣なんです。うち、廊下がなくて部屋がつながってるので、観てるテレビの音とか、杖の音とか、聞こえるんですよね……」
「それが、ストレスに?」
彼女が言いたくて言えない、最後の部分を代わりに付け足す。「こういうことを言っては親不孝者だ」と罪悪感を抱き、それがさらなるストレスになるから、ここで吐き出させる。強い口調でなくとも、ひと言漏らし、それを否定されることなく受け入れてもらえる空間。
具体的な解決策を滔々と提示されたいわけではない。そんなのはただのお節介だ。ここに集う人々の大半が求めているのは、「気持ちを表現していいんだよ」という受容の場。泣きたい時に泣く、歌いたい時に歌う、笑いたい時に笑うのと、同じ。怒りを表明する、悔しさを叫ぶ、終わりの見えない暗い日々を自分の中からいったん取り出す。
――自分は一人かもしれないが、世界はとりあえず、今ここにあるじゃないか。
一瞬、そう思えればいい。心の風邪の熱が一時的にでも下がってくれば、深呼吸をしてまた自分の世界を取り戻せる。自分にとってここがそういう場所であるように、彼女にもそうであってほしいと願った。
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