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第1章 幽霊探偵
第2話
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「出てきたな。名前を言えるか?」
「関原純」
ゆかりの同級生、と母親が呟いた。
「あの子は一年生の時に亡くなって……そんな」
パニック寸前の彼女を夫に任せ、尋ねる。
「ゆかりちゃんのそばにいる訳を聞かせてもらえるかな。一緒に遊びたいのか?」
「本を返したかったの……」
葉桜の目にはベッドの上で膝を抱える女の子が見えるが、声帯はゆかりのものを借りている。葉桜の中に、純の記憶が流れ込んできた。
体が弱く、あまり学校へ行けなかった純にとって、ゆかりは初めて家に招いてくれた大切な友達だった。読んだことのない漫画があり、数ページしか読まないうちに帰りの時間が来てしまった。「一週間貸してあげる」とゆかりが言ってくれて、赤いバッグに大事に入れて持ち帰った。親が買ってくれる本以外に興味を示すと、怒られる。特に漫画は厳しく制限されていたので、友達から借りたと言えず、物置の中でこっそり読んだ。
「ほんとは、お父さんとお母さんに言いたかったの。ゆかりちゃんは優しくて、本も貸してくれたんだよって。親友なんだよって……いっぱい、ゆかりちゃんのこと話したかった」
霊は、しくしくと泣いている。
「本は今も、物置にあるのか?」
「うん……赤いバッグに入ってる。あたし、入院することになったからその前に返さなくちゃって……病院に行く前にお庭で倒れちゃったの」
(覚えているのはそこまでか……。ん? 五年前……関原……あの子か!)
今度は自分の記憶をたどる。刑事時代に携わった事件の関係者に、幼い娘を病気で失った男がいた。手術のために入院する矢先だったと聞いた。
「もうひとつ教えてくれ。君のお父さんは、関原正信さんか?」
「うん。おじさん、知ってるの?」
(ぐっ……いや、怒るな康平。小一から見れば三十代は立派なおじさんだ)
話しているうちに、ゆかりの頬に人間らしい赤味がさし、生気が戻ってきた。
「ああ。おじさんの知り合いなんだ。君はもう何も心配しなくていい。長い旅をしてきて、疲れただろう? ここらで少し休もうな」
ゆかりの呼吸が規則的なものとなり、そこから先、純の話は葉桜にしか聞こえなくなった。
――あのね、おじさん。本を持ってゆかりちゃんを追いかけようとしたの。でも、うまく持てなかったの。あとで取りに行こうと思ってゆかりちゃんを追いかけてたら、どんどんお家から遠くなって。帰り道、わかんないの……。
「君の行くべき道を教えてくれる、親切なおば……お姉さんがいるんだ。彼女の言うことをよく聞いて、もう迷子にならないようにな」
後ろに控えている真沢夫妻には、探偵が虚空に話しかけているようにしか見えないだろう。だが、純には真意が伝わった。
――うん……誰かが抱きしめてくれてるから、あたし、このまま行くね。ありがとう。
涙に濡れた頬が、微笑みが、背景に溶けていく。やがて完全に、純の姿は見えなくなった。
「終わりました」
ベッドのそばを両親のために空け、自分は、夢から覚めたようにぼんやりとする頭を慣らすため、深く息を吸った。それから、スマートフォンを操作しながら両親に説明した。
「純ちゃんは遠くへ行きました。関原さんの現住所は、今確認しています。本を返してもらわないといけませんからね」
「そこまで気にしていたなんて、かえって申し訳なくて……ゆかりは、本を貸したきりになっていることへの不満を口にしたことはありませんし……私としては、純ちゃんのお墓に入れてあげたい気持ちです……」
すやすやと眠るゆかりの頭をなでながら、母親が提案した。人の情としてわからなくはないが、仕事で来ている以上、同意はできない。
「借りていた本を返すことで、純ちゃんの心残りが消えるんです。いつまでも自分のところにあったら、この先も成仏できません。ゆかりちゃんに憑りついたままになりますよ」
依頼人はハッとした。ゆかりのことを言われて、事の重大さに思い至ったようだ。
「わかりました……。本は、返していただくことにします」
「それが賢明です。関原さんには私が話しましょう」
純の父が経営している関原物産は、五年前と同じ場所にあることがわかった。ならばおそらくは自宅もと、当時かけたことがある番号に電話をすると、本人につながった。霊の話はせず、純がゆかりの夢に何度も出てきて「本を返したい」と言っていることにした。
「……ええ。物置だそうです……もちろん、夢の話ではありますがね。お気に入りの赤いバッグに入れてあるんだとか」
関原正信は、すぐに探して折り返し電話をすると約束した。十分後、涙が止まらない状態で電話をしてきた。
『ありましたよ、葉桜さん。本と……あの子が書いた手紙も』
「手紙……ひょっとして、ゆかりちゃんあてですか」
『はい、そうです……ありがとう、これからもなかよくしてね、と……』
父親なら、娘が最後に書いたものは形見として持っていたいだろう。それが通常の感情だ。
(だがこれは……本よりも執着が深そうだ)
複雑になってきたかと警戒したが、関原は良くも悪くもバランス感覚に優れた男だった。
『この手紙も、もちろん一緒に送りますよ。純は誰よりも、ゆかりちゃんに持っていてほしいでしょうからね』
五年前の事件も、未解決になりかねないところを、関原の証言で好転した。「また助けられました」と謝意を述べ、あとは送り先など事務的なことを伝えた。
ここまで進んでもなお、真沢夫妻は不安そうに部屋の中を見渡している。電話を切った葉桜は、明るい声で請け合った。
「大丈夫ですよ。いい道案内がいますから、迷わず冥界へたどり着けます。もうお嬢さんを悩ませることはありません」
「あなたには、見えるのですか……その、すべて」
父親の声には、恐怖と好奇心が入り混じっている。長居は無用だ。
「企業秘密でしてね」
持参した請求書を手渡し、真沢家を辞した。
「本数少ないから時間かかったなあ」
帰りは電車だ。事務所の最寄り駅ではなく、その少し前で下車した。乗り換え専用の改札へ向かう途中、電話が入った。東雲警部だ。
「はい。……ええ、先ほど。ご紹介ありがとうございました。……大丈夫ですよ、もう悪さはしないでしょう」
『それはよかった。しかし不思議でならんよ。君は何か、人には見えないものでも見えているのかね』
「警部は見ない方がいいですよ」
明確な答えを避ける言い方になる理由を、相手は百も承知だ。
『すまんすまん。詮索はしない約束だったな。で、もう次の依頼人のところへ向かっているのかね。途中下車したんだろう?』
アナウンスの声を聞きつけて、なおも探りを入れてくる。
「職業病ですね。たまには休んでくださいよ」
それ以上は聞かずに元上司からの電話を切り、人混みへ戻った。目指す駅は、二度乗り換えた先にある。
「関原純」
ゆかりの同級生、と母親が呟いた。
「あの子は一年生の時に亡くなって……そんな」
パニック寸前の彼女を夫に任せ、尋ねる。
「ゆかりちゃんのそばにいる訳を聞かせてもらえるかな。一緒に遊びたいのか?」
「本を返したかったの……」
葉桜の目にはベッドの上で膝を抱える女の子が見えるが、声帯はゆかりのものを借りている。葉桜の中に、純の記憶が流れ込んできた。
体が弱く、あまり学校へ行けなかった純にとって、ゆかりは初めて家に招いてくれた大切な友達だった。読んだことのない漫画があり、数ページしか読まないうちに帰りの時間が来てしまった。「一週間貸してあげる」とゆかりが言ってくれて、赤いバッグに大事に入れて持ち帰った。親が買ってくれる本以外に興味を示すと、怒られる。特に漫画は厳しく制限されていたので、友達から借りたと言えず、物置の中でこっそり読んだ。
「ほんとは、お父さんとお母さんに言いたかったの。ゆかりちゃんは優しくて、本も貸してくれたんだよって。親友なんだよって……いっぱい、ゆかりちゃんのこと話したかった」
霊は、しくしくと泣いている。
「本は今も、物置にあるのか?」
「うん……赤いバッグに入ってる。あたし、入院することになったからその前に返さなくちゃって……病院に行く前にお庭で倒れちゃったの」
(覚えているのはそこまでか……。ん? 五年前……関原……あの子か!)
今度は自分の記憶をたどる。刑事時代に携わった事件の関係者に、幼い娘を病気で失った男がいた。手術のために入院する矢先だったと聞いた。
「もうひとつ教えてくれ。君のお父さんは、関原正信さんか?」
「うん。おじさん、知ってるの?」
(ぐっ……いや、怒るな康平。小一から見れば三十代は立派なおじさんだ)
話しているうちに、ゆかりの頬に人間らしい赤味がさし、生気が戻ってきた。
「ああ。おじさんの知り合いなんだ。君はもう何も心配しなくていい。長い旅をしてきて、疲れただろう? ここらで少し休もうな」
ゆかりの呼吸が規則的なものとなり、そこから先、純の話は葉桜にしか聞こえなくなった。
――あのね、おじさん。本を持ってゆかりちゃんを追いかけようとしたの。でも、うまく持てなかったの。あとで取りに行こうと思ってゆかりちゃんを追いかけてたら、どんどんお家から遠くなって。帰り道、わかんないの……。
「君の行くべき道を教えてくれる、親切なおば……お姉さんがいるんだ。彼女の言うことをよく聞いて、もう迷子にならないようにな」
後ろに控えている真沢夫妻には、探偵が虚空に話しかけているようにしか見えないだろう。だが、純には真意が伝わった。
――うん……誰かが抱きしめてくれてるから、あたし、このまま行くね。ありがとう。
涙に濡れた頬が、微笑みが、背景に溶けていく。やがて完全に、純の姿は見えなくなった。
「終わりました」
ベッドのそばを両親のために空け、自分は、夢から覚めたようにぼんやりとする頭を慣らすため、深く息を吸った。それから、スマートフォンを操作しながら両親に説明した。
「純ちゃんは遠くへ行きました。関原さんの現住所は、今確認しています。本を返してもらわないといけませんからね」
「そこまで気にしていたなんて、かえって申し訳なくて……ゆかりは、本を貸したきりになっていることへの不満を口にしたことはありませんし……私としては、純ちゃんのお墓に入れてあげたい気持ちです……」
すやすやと眠るゆかりの頭をなでながら、母親が提案した。人の情としてわからなくはないが、仕事で来ている以上、同意はできない。
「借りていた本を返すことで、純ちゃんの心残りが消えるんです。いつまでも自分のところにあったら、この先も成仏できません。ゆかりちゃんに憑りついたままになりますよ」
依頼人はハッとした。ゆかりのことを言われて、事の重大さに思い至ったようだ。
「わかりました……。本は、返していただくことにします」
「それが賢明です。関原さんには私が話しましょう」
純の父が経営している関原物産は、五年前と同じ場所にあることがわかった。ならばおそらくは自宅もと、当時かけたことがある番号に電話をすると、本人につながった。霊の話はせず、純がゆかりの夢に何度も出てきて「本を返したい」と言っていることにした。
「……ええ。物置だそうです……もちろん、夢の話ではありますがね。お気に入りの赤いバッグに入れてあるんだとか」
関原正信は、すぐに探して折り返し電話をすると約束した。十分後、涙が止まらない状態で電話をしてきた。
『ありましたよ、葉桜さん。本と……あの子が書いた手紙も』
「手紙……ひょっとして、ゆかりちゃんあてですか」
『はい、そうです……ありがとう、これからもなかよくしてね、と……』
父親なら、娘が最後に書いたものは形見として持っていたいだろう。それが通常の感情だ。
(だがこれは……本よりも執着が深そうだ)
複雑になってきたかと警戒したが、関原は良くも悪くもバランス感覚に優れた男だった。
『この手紙も、もちろん一緒に送りますよ。純は誰よりも、ゆかりちゃんに持っていてほしいでしょうからね』
五年前の事件も、未解決になりかねないところを、関原の証言で好転した。「また助けられました」と謝意を述べ、あとは送り先など事務的なことを伝えた。
ここまで進んでもなお、真沢夫妻は不安そうに部屋の中を見渡している。電話を切った葉桜は、明るい声で請け合った。
「大丈夫ですよ。いい道案内がいますから、迷わず冥界へたどり着けます。もうお嬢さんを悩ませることはありません」
「あなたには、見えるのですか……その、すべて」
父親の声には、恐怖と好奇心が入り混じっている。長居は無用だ。
「企業秘密でしてね」
持参した請求書を手渡し、真沢家を辞した。
「本数少ないから時間かかったなあ」
帰りは電車だ。事務所の最寄り駅ではなく、その少し前で下車した。乗り換え専用の改札へ向かう途中、電話が入った。東雲警部だ。
「はい。……ええ、先ほど。ご紹介ありがとうございました。……大丈夫ですよ、もう悪さはしないでしょう」
『それはよかった。しかし不思議でならんよ。君は何か、人には見えないものでも見えているのかね』
「警部は見ない方がいいですよ」
明確な答えを避ける言い方になる理由を、相手は百も承知だ。
『すまんすまん。詮索はしない約束だったな。で、もう次の依頼人のところへ向かっているのかね。途中下車したんだろう?』
アナウンスの声を聞きつけて、なおも探りを入れてくる。
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