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第2章 若き刑事の苦悩
第11話
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恵麻は心を決めたのか顔を上げたが、大崎と目が合って俯いた。
「三日前なんですけど……婦人科にも行ってきました。検査結果を聞きに」
(うっ、三日前……頑張れ僕っ)
白骨化した葉桜をバッチリこの目で見てしまった日だ。乗っ取られて意識がない間も恵麻が悩んでいたことに、その時はまだ出会っていなかったことなどすっ飛ばして、申し訳ない気がしてくる。
突き付けられたばかりの現実を語るため、明るい色の紅をさした唇が震えている。言葉を紡ぐ前に、美しい透明の玉が瞳から零れ落ちた。
「あっ……」
考える前に体が動いていた。恵麻の向かい側から隣に移り、ポケットからハンカチを出して彼女の頬に当てた。涙が吸い込まれていく。
「大崎さん……」
紺色の布に染みが増える。堰を切ったようにとは正にこのことだった。恵麻が抱えていた涙が氷山の如く凝り固まっていたとしても、大崎の指先の熱に触れ、急激に溶かされていく。そっとハンカチを握らせてやると、恵麻は背を丸めて静かに泣いた。途切れ途切れの言葉が胸を刺す。
「私、一人っ子で……母はいつ孫を見られるのかって、楽しみに……してたんです。なのに私……生殖能力、失ったって……原因、わからないって……」
病気が発見されたということでもないらしい。二十代前半の女性には、受け入れがたい現実だろう。眼前で震える肩を放っておくことなどできない。刑事の領域も、おそらくは探偵としての領域も越えて、彼女の背を撫でた。ビリッと鋭い痛みが腕に上ってきた。
(静電気、静電気……)
自分に言い聞かせ、撫で続けた。
「母はショックで寝込んでしまいました。父も、私をずっと心配してくれていて、それで疲れてしまって……最近は元気がありません」
「杉下さんご自身は? 眠れてますか? 食欲は?」
「食事は……入院していた頃に全然食べられなかったのに比べたら、今は普通に食べています……でも」
恵麻は、しゃくり上げながら言葉を続けた。濡れたまつ毛が美しい。
「眠ると……真っ暗なところ……真っ暗で乾いた場所にいるんです。声が聞こえて……『内側から死んでいく』って」
くそっと毒づいたのは葉桜だ。大崎は、疑いは抱いたものの、自分にとっては推測の域を出ないことを、軽々しく恵麻に伝えることはできないと思った。
「それは、どんな声ですか? 男性か、女性か……年の感じでもいいです」
「夢でははっきり聞こえるんですけど、起きると印象がぼやけていて……私の声だったのかなと思うこともあります」
会話をするうちに、涙が止まってきた。頬に髪が張り付いて恥ずかしそうにしているのを、世界中でたったひとつの秘宝に手を伸ばす気持ちでよけてやった。恵麻の瞳を濡らした嵐が晴れ、優しい光が戻ってきた。
「すみません……家では言わないようにしているんですけど、自分がどうなってしまうのか怖くて」
僕がいます、と言いたかった。言えなかった。一課の刑事としては手に余る案件だし、幽霊探偵としてのスキルは、葉桜に比べればゼロに等しい――仮にこれが幽霊案件ならば、の話だ。できればそうあってほしくない。
昨日の二件が解決に至ったのは葉桜の力だ。自分は何もしていない。浅見家を訪問したのと、剣客幽霊の憑代めいたことをさせられただけだ。自分は幽霊が相変わらず大の苦手だし、多少慣れたとはいえ恵麻に何かしてやれる自信もない。それでも男として、せめて友人として何か言いたい。言わなくてはならない。
だから、提案した。
「この事務所に、時々来てみませんか。その、助手の助手っていうか。一緒に留守番みたいな」
葉桜の唇から、用をなしていない煙草がポロリと落ちた(床に落ちる前に霧散した)。「は?」と声を上げている。呆れたか、怒ったか。事後承諾になるが許してほしい。
「葉桜さんは、しばらくお留守なんですか?」
「ええ、ちょっと遠くに。その間、僕が担当してますので」
微妙に嘘だが、全部が嘘ではない。彼の魂はすぐそこにあるが、人には越えられない壁の向こう。大崎刑事にとっては、葉桜康平と彼に関することが現在の捜査対象だ。
「いいんでしょうか。私、部外者なのに」
答える前に、家主に目で尋ねた。彼は腕を組み、こちらをじっと見据えている。
「何があっても彼女を守れ。その覚悟はあるか」
空気が引き締まった。返事は、考えるまでもない。
「はい」
恵麻は、その声を自分に対する承諾ととらえた。ふわりと微笑み、「ありがとうございます」と言った。
(あなたを守る。当然だ。僕は、刑事なんだから)
葉桜も、刑事の目をしていた。
「三日前なんですけど……婦人科にも行ってきました。検査結果を聞きに」
(うっ、三日前……頑張れ僕っ)
白骨化した葉桜をバッチリこの目で見てしまった日だ。乗っ取られて意識がない間も恵麻が悩んでいたことに、その時はまだ出会っていなかったことなどすっ飛ばして、申し訳ない気がしてくる。
突き付けられたばかりの現実を語るため、明るい色の紅をさした唇が震えている。言葉を紡ぐ前に、美しい透明の玉が瞳から零れ落ちた。
「あっ……」
考える前に体が動いていた。恵麻の向かい側から隣に移り、ポケットからハンカチを出して彼女の頬に当てた。涙が吸い込まれていく。
「大崎さん……」
紺色の布に染みが増える。堰を切ったようにとは正にこのことだった。恵麻が抱えていた涙が氷山の如く凝り固まっていたとしても、大崎の指先の熱に触れ、急激に溶かされていく。そっとハンカチを握らせてやると、恵麻は背を丸めて静かに泣いた。途切れ途切れの言葉が胸を刺す。
「私、一人っ子で……母はいつ孫を見られるのかって、楽しみに……してたんです。なのに私……生殖能力、失ったって……原因、わからないって……」
病気が発見されたということでもないらしい。二十代前半の女性には、受け入れがたい現実だろう。眼前で震える肩を放っておくことなどできない。刑事の領域も、おそらくは探偵としての領域も越えて、彼女の背を撫でた。ビリッと鋭い痛みが腕に上ってきた。
(静電気、静電気……)
自分に言い聞かせ、撫で続けた。
「母はショックで寝込んでしまいました。父も、私をずっと心配してくれていて、それで疲れてしまって……最近は元気がありません」
「杉下さんご自身は? 眠れてますか? 食欲は?」
「食事は……入院していた頃に全然食べられなかったのに比べたら、今は普通に食べています……でも」
恵麻は、しゃくり上げながら言葉を続けた。濡れたまつ毛が美しい。
「眠ると……真っ暗なところ……真っ暗で乾いた場所にいるんです。声が聞こえて……『内側から死んでいく』って」
くそっと毒づいたのは葉桜だ。大崎は、疑いは抱いたものの、自分にとっては推測の域を出ないことを、軽々しく恵麻に伝えることはできないと思った。
「それは、どんな声ですか? 男性か、女性か……年の感じでもいいです」
「夢でははっきり聞こえるんですけど、起きると印象がぼやけていて……私の声だったのかなと思うこともあります」
会話をするうちに、涙が止まってきた。頬に髪が張り付いて恥ずかしそうにしているのを、世界中でたったひとつの秘宝に手を伸ばす気持ちでよけてやった。恵麻の瞳を濡らした嵐が晴れ、優しい光が戻ってきた。
「すみません……家では言わないようにしているんですけど、自分がどうなってしまうのか怖くて」
僕がいます、と言いたかった。言えなかった。一課の刑事としては手に余る案件だし、幽霊探偵としてのスキルは、葉桜に比べればゼロに等しい――仮にこれが幽霊案件ならば、の話だ。できればそうあってほしくない。
昨日の二件が解決に至ったのは葉桜の力だ。自分は何もしていない。浅見家を訪問したのと、剣客幽霊の憑代めいたことをさせられただけだ。自分は幽霊が相変わらず大の苦手だし、多少慣れたとはいえ恵麻に何かしてやれる自信もない。それでも男として、せめて友人として何か言いたい。言わなくてはならない。
だから、提案した。
「この事務所に、時々来てみませんか。その、助手の助手っていうか。一緒に留守番みたいな」
葉桜の唇から、用をなしていない煙草がポロリと落ちた(床に落ちる前に霧散した)。「は?」と声を上げている。呆れたか、怒ったか。事後承諾になるが許してほしい。
「葉桜さんは、しばらくお留守なんですか?」
「ええ、ちょっと遠くに。その間、僕が担当してますので」
微妙に嘘だが、全部が嘘ではない。彼の魂はすぐそこにあるが、人には越えられない壁の向こう。大崎刑事にとっては、葉桜康平と彼に関することが現在の捜査対象だ。
「いいんでしょうか。私、部外者なのに」
答える前に、家主に目で尋ねた。彼は腕を組み、こちらをじっと見据えている。
「何があっても彼女を守れ。その覚悟はあるか」
空気が引き締まった。返事は、考えるまでもない。
「はい」
恵麻は、その声を自分に対する承諾ととらえた。ふわりと微笑み、「ありがとうございます」と言った。
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葉桜も、刑事の目をしていた。
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