29 / 59
第2章 若き刑事の苦悩
第15話
しおりを挟む
頭が事実を受け入れると、すべて腑に落ちた。怖いが、逃げるつもりはない。
「このままいくと……彼女も?」
しばらくは生きられるにしても、ある時に急激に悪化して、死を待つばかりになってしまうのか。
「そうならないように、お前がいるんだろ」
優しい声に、頭の中のパズルのピースがひとつはまった。殺人容疑がかかっている葉桜康平の行動は謎が多く、無茶なのか慎重なのか、正直わけがわからなかった。
(だけど今、これだけはわかった)
「あなたも……奥さんを助けようとしたんですね」
「うまくいかなかったけどな」
泣きそうな顔だ。事実を追うだけでは真実は解明されない……追っている相手の心理を理解しなければ本当の解決には至らないことを、新米刑事は知った。少なくとも目の前に今いる男は、後輩の恋を適度な距離で見守る、度量の大きい先輩だ。
(奥さんが亡くなった頃のこと、ちゃんと調べてみようかな。それがないと、葉桜さんが幽霊化した原因も見えてこないかもしれない)
捜査の端緒が開いた思いでいると、彼が「おい」と緊張した声を出した。
「急いで戻るぞ」
ヒュンッと飛んでいく。方向は、夫人の寝ている母屋だ。
(恵麻さんに何か!?)
「恵麻さん!」
駆けつけると、恵麻は夫人のそばに横たわっていた。起き上がった夫人に固く手を握られたまま。神経が衰弱し意識が混濁する中にも、穏やかな笑みを見せていた女性は、どこにもいなかった。目に異様な光を湛え、恵麻を見つめている。唇の端がつり上がり、昼間の部屋に黒いものが広がっていく。不気味な霧。夫人の背中からゆらりと立ち昇るものがあった。色は霧と同じだ。揺らめきながら形をとり、天井まで届くほど大きくなり……顔に見える部分が、恵麻を見て舌なめずりをしたようだ。
「待て!」
大崎は土足で部屋へ上がり、恵麻を背中に隠した。夫人の体は、今や用をなさないと言わんばかりだ。糸が切れたように、半身を起こしたまま目を閉じている。
――邪魔をするのか。そのように手も足も震えて、何ができる。
脳に直接届く声があざ笑う。
「お、お、お前の目的は何だっ」
――目的などない。
「え……?」
断言され、思考が追いつかない。犯罪者を追う訓練をしてきた大崎にとって、突き詰めるべきは「動機」だ。近年は「誰でもよかった」などという闇雲な行動に走る者も増えたが、それだって「人を殺したい」という怪しからぬ動機が根底にある。
――我は力が欲しい。その娘は実によい。とんでもないものを飼い慣らしておるわ。食らえばさぞ美味かろう。
全身に悪寒が走り、凍り付きそうな感覚。それを体内で――あるいは意識の果てで――打ち払うものがあった。脳裏で微笑んだのは、まだ少年と言ってもいいほどの剣士。
「あっ、あなたは!」
――借りは返したぞ。
恵麻に出会う前日、なつを連れて出向いた墓所で、大崎の中をすり抜けていった男。声を聞くのは二度目だが、会ったことなどもちろんない。何しろ相手は百六十年前に死んでいる。そうかこういう姿だったのかと、こんな場面であっても感動した。
(幽霊に感動するなんておかしい。でも、助けてくれた……)
誠の旗を掲げていた集団の一員だけあって、義理堅い男だ。ありがとう、と呟いて立ち上がった。体が動く。
――馬鹿なっ。
相手はうろたえている。その間に、葉桜は恵麻に何かの術を施した。
「この子には結界を張った。お前は大丈夫だな?」
「はいっ」
結界って何だとか、大丈夫かどうかわかったもんじゃないとか、言える状況ではない。正に、食うか食われるかだ。
部屋に立ち込める黒い霧が渦を巻き始めた。
「このままいくと……彼女も?」
しばらくは生きられるにしても、ある時に急激に悪化して、死を待つばかりになってしまうのか。
「そうならないように、お前がいるんだろ」
優しい声に、頭の中のパズルのピースがひとつはまった。殺人容疑がかかっている葉桜康平の行動は謎が多く、無茶なのか慎重なのか、正直わけがわからなかった。
(だけど今、これだけはわかった)
「あなたも……奥さんを助けようとしたんですね」
「うまくいかなかったけどな」
泣きそうな顔だ。事実を追うだけでは真実は解明されない……追っている相手の心理を理解しなければ本当の解決には至らないことを、新米刑事は知った。少なくとも目の前に今いる男は、後輩の恋を適度な距離で見守る、度量の大きい先輩だ。
(奥さんが亡くなった頃のこと、ちゃんと調べてみようかな。それがないと、葉桜さんが幽霊化した原因も見えてこないかもしれない)
捜査の端緒が開いた思いでいると、彼が「おい」と緊張した声を出した。
「急いで戻るぞ」
ヒュンッと飛んでいく。方向は、夫人の寝ている母屋だ。
(恵麻さんに何か!?)
「恵麻さん!」
駆けつけると、恵麻は夫人のそばに横たわっていた。起き上がった夫人に固く手を握られたまま。神経が衰弱し意識が混濁する中にも、穏やかな笑みを見せていた女性は、どこにもいなかった。目に異様な光を湛え、恵麻を見つめている。唇の端がつり上がり、昼間の部屋に黒いものが広がっていく。不気味な霧。夫人の背中からゆらりと立ち昇るものがあった。色は霧と同じだ。揺らめきながら形をとり、天井まで届くほど大きくなり……顔に見える部分が、恵麻を見て舌なめずりをしたようだ。
「待て!」
大崎は土足で部屋へ上がり、恵麻を背中に隠した。夫人の体は、今や用をなさないと言わんばかりだ。糸が切れたように、半身を起こしたまま目を閉じている。
――邪魔をするのか。そのように手も足も震えて、何ができる。
脳に直接届く声があざ笑う。
「お、お、お前の目的は何だっ」
――目的などない。
「え……?」
断言され、思考が追いつかない。犯罪者を追う訓練をしてきた大崎にとって、突き詰めるべきは「動機」だ。近年は「誰でもよかった」などという闇雲な行動に走る者も増えたが、それだって「人を殺したい」という怪しからぬ動機が根底にある。
――我は力が欲しい。その娘は実によい。とんでもないものを飼い慣らしておるわ。食らえばさぞ美味かろう。
全身に悪寒が走り、凍り付きそうな感覚。それを体内で――あるいは意識の果てで――打ち払うものがあった。脳裏で微笑んだのは、まだ少年と言ってもいいほどの剣士。
「あっ、あなたは!」
――借りは返したぞ。
恵麻に出会う前日、なつを連れて出向いた墓所で、大崎の中をすり抜けていった男。声を聞くのは二度目だが、会ったことなどもちろんない。何しろ相手は百六十年前に死んでいる。そうかこういう姿だったのかと、こんな場面であっても感動した。
(幽霊に感動するなんておかしい。でも、助けてくれた……)
誠の旗を掲げていた集団の一員だけあって、義理堅い男だ。ありがとう、と呟いて立ち上がった。体が動く。
――馬鹿なっ。
相手はうろたえている。その間に、葉桜は恵麻に何かの術を施した。
「この子には結界を張った。お前は大丈夫だな?」
「はいっ」
結界って何だとか、大丈夫かどうかわかったもんじゃないとか、言える状況ではない。正に、食うか食われるかだ。
部屋に立ち込める黒い霧が渦を巻き始めた。
0
あなたにおすすめの小説
霊和怪異譚 野花と野薔薇[改稿前]
野花マリオ
ホラー
その“語り”が始まったとき、世界に異変が芽吹く。
静かな町、ふとした日常、どこにでもあるはずの風景に咲きはじめる、奇妙な花々――。
『霊和怪異譚 野花と野薔薇』は、不思議な力を持つ語り部・八木楓と鐘技友紀以下彼女達が語る怪異を描く、短編連作形式の怪異譚シリーズ。
一話ごとに異なる舞台、異なる登場人物、異なる恐怖。それでも、語りが始まるたび、必ず“何か”が咲く――。
語られる怪談はただの物語ではない。
それを「聞いた者」に忍び寄る異変、染みわたる不安。
やがて読者自身の身にも、“あの花”が咲くかもしれない。
日常にひっそりと紛れ込む、静かで妖しいホラー。
あなたも一席、語りを聞いてみませんか?
完結いたしました。
タイトル変更しました。
旧 彼女の怪異談は不思議な野花を咲かせる
※この物語はフィクションです。実在する人物、企業、団体、名称などは一切関係ありません。
本作は改稿前/改稿後の複数バージョンが存在します
掲載媒体ごとに内容が異なる場合があります。
改稿後小説作品はカイタとネオページで見られます
(ほぼ)1分で読める怖い話
涼宮さん
ホラー
ほぼ1分で読める怖い話!
【ホラー・ミステリーでTOP10入りありがとうございます!】
1分で読めないのもあるけどね
主人公はそれぞれ別という設定です
フィクションの話やノンフィクションの話も…。
サクサク読めて楽しい!(矛盾してる)
⚠︎この物語で出てくる場所は実在する場所とは全く関係御座いません
⚠︎他の人の作品と酷似している場合はお知らせください
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
それなりに怖い話。
只野誠
ホラー
これは創作です。
実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。
本当に、実際に起きた話ではございません。
なので、安心して読むことができます。
オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。
不定期に章を追加していきます。
2026/2/19:『おとしもの』の章を追加。2026/2/26の朝頃より公開開始予定。
2026/2/18:『ひざ』の章を追加。2026/2/25の朝頃より公開開始予定。
2026/2/17:『うしろまえ』の章を追加。2026/2/24の朝頃より公開開始予定。
2026/2/16:『おちば』の章を追加。2026/2/23の朝頃より公開開始予定。
2026/2/15:『ねこ』の章を追加。2026/2/22の朝頃より公開開始予定。
2026/2/14:『いけのぬし』の章を追加。2026/2/21の朝頃より公開開始予定。
2026/2/13:『てんじょうのかげ』の章を追加。2026/2/20の朝頃より公開開始予定。
※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。
百物語 厄災
嵐山ノキ
ホラー
怪談の百物語です。一話一話は長くありませんのでお好きなときにお読みください。渾身の仕掛けも盛り込んでおり、最後まで読むと驚くべき何かが提示されます。
小説家になろう、エブリスタにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる