TOKOSHIE

一条咲穂(花宮守から改名)

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第2章 若き刑事の苦悩

第16話

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 ――どういうわけか浄化の力が働いているようだが、根城から離れている今は好都合。骨の髄まで食らい尽くしてくれるわ。
(根城? 葉桜探偵事務所のことか。恵麻さんは事務所を離れるとこういうやつに狙われるっていうのか!?)
「そうはさせないっ。お、お前なんかにこの人を渡せるかっ」
 ――愚かよのぅ。死の世界に体を明け渡した者に惚れておるのか。
「彼女は死んでなんかいないっ」
「大崎、挑発に乗るんじゃない。手伝え」
「え? うわっ」
 葉桜に手首を掴まれ、じゅわっと腕が溶けてしまうかと思うほどの熱さを感じた。
「悪い、補充させてもらった。事務所に戻れば回復するからなっ」
「は? え? あのっ」
 手を離した彼はふわりと浮かび、ギュインッと庭へ飛び出した。それに引きずられるように渦が崩れ、光の中へ誘い出される。直射日光のもと、それは端からキラキラと様相を変え、空気に溶け始めている。
 ――おのれ!
 咆哮と共に、夫人についていた霊が彼を追う。その姿もまた、衝撃で歪んでいた。夫人はぐらりと倒れ、恵麻の隣に突っ伏した。
「大崎! 二人のそばを離れるなよ。耳を塞いでろ!」
 所長の指示に、疑問を挟む余地は残されていない。空にまで暗雲が立ち込め、雷鳴が轟き始めた。
(太陽の光を遮ったのか。……渦がまた大きくなってる!)
 二人の女性を背に庇いながら、両手で自分の耳を塞ぎ、不思議な思いに囚われる。アレはおそらく、怨霊と呼ばれる類いのものだ。葉桜と同様、普通の人間の目に見えるものではない。ならばアレが作り出した嵐の空も、ほかの人には見えないのだろうか。
 葉桜が不敵な笑みを浮かべた。黒雲に隙間ができ、日の光が差し込んでくる。彼は両手を前に突き出して叫んだ。
「『解放』!」
 ――何……だと……!?
 怨霊が言葉らしきものを吐いたのはそれが最後だった。耳を塞いでいても聞こえてくる、痛ましくも恐ろしい悲鳴。恨み、苦しみ、憎しみ、嘲り、絶望……それらが混ざり合ったもの――救いを拒絶した黒い魂。
「あれは……?」
 怨霊の中心に、菱形の多面体が浮かんでいる。葉桜の手が放ったビームが直撃し、粉々に砕け散った。
 ――ギャアァァァァァッ……。
 断末魔の叫びは空へと吸い込まれ、陽光が戻ってくる。
 ふぅ、と息を吐いて――呼吸はしていないはずだが――下りてきた葉桜が、後ろを見ろと目で合図してきた。
「ん……」
「恵麻さん?」
 腰を抜かした格好になっていたのが何とも情けないが、振り向くと、愛しい女性が目を覚ますところだった。夫人の顔色も人間らしくなり、うっすらと開けた目は、若い頃からよく知られた力強い輝きが宿っている。霊が祓われ、正気に戻ったのだ。
「奥様? ……ああ、よかった!」
 自分が気を失っていたことよりも夫人の方を気遣う恵麻が、眩しくてならない。
「あなたは? 私、今までどうしていたのかしら……」
「もう大丈夫ですよ。今、ご主人をお呼びしますね」
「あ、僕が行きます。恵麻さんは休んでてください」
 立ち上がろうとして、よろけた。
「大崎さんっ」
 咄嗟に立って支えようとした恵麻と二人、バランスを崩して畳の上に逆戻り。怪我をさせまいと自分が下になり、恵麻を受け止めた。温かい。
(生きてる……そうだよ、君は生きてるんだ)
 どさくさに紛れてそっと抱きしめ、顔を真っ赤にしている彼女に微笑みかけた。
「あらあら、仲がいいのね」
 身を起こしてコロコロと笑う夫人の声は、快い。聞きつけて走ってきたのは、この家の主人だ。若い二人は目で会話をし、見つめ合う議員夫妻の邪魔をしないよう、布団の上にしゃがみ込んだ彼と入れ替わりでさっと部屋を出た。抱きしめ合う彼らは、互いの姿しか目に入っていない。
 廊下に出て玄関へ向かうまでの間、恵麻の手を取りたいと、こっそり何度も挑戦した。抱きしめることができたのだから、できるはずだと。だが、できなかった。
(む、難しい……)
「大崎さん? どうかしました?」
 玄関を出たところで肩を落とした大崎を、彼女は何とも無邪気な笑顔で振り返った。
「いえ、何でも。ははは……」
 首を傾げ、門へ向かう恵麻。葉桜は、その背を凝視しつつ、励ますように大崎の肩に手を置いた。
 うっかり持ち帰りそうになった請求書は、門を出たところで気付き、郵便受けに入れた。
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