TOKOSHIE

一条咲穂(花宮守から改名)

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第2章 若き刑事の苦悩

第18話

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 それからというもの、恵麻の出勤日には三人で怨霊退治に励んだ。若い助手のコンビは評判がよく、紹介で仕事が増え、週三日でも追いつかなくなった。東雲警部には「随分手広く探偵業をやってたんですね。関係者への聞き取りを詳しく行いたいので、もう少し時間をください」と頼み、「いくらでも、君の気が済むまでやりたまえ」と快諾された。
 恵麻は週四日、週五日と出勤日数が増え、丸一日調査で出かけることもあった。
「疲れませんか」
「いいえ、ちっとも! こんなに元気なのは生まれて初めてです」
「なら、よかった」
 決定的な言葉はなくても、彼女の瞳には今やはっきりと、甘い熱が宿っている。自分の声も、これほど柔らかくなるものかと驚くほどだ。約束の日を指折り数えて待ちながら、想いがふくらんでいく。あと五日という時になって、ついに、隣を歩いていて指を触れ合わせることに成功した。「あっ」と言って、すぐ離れたが。
 あと四日。触れ合った指先を、息を詰めて十秒間、そのままにしてみた。彼女は何も言わず、大崎の瞳を覗き込んだ。
 あと三日。人差し指を絡めた。
 あと二日。恵麻が、パソコンで調査結果をまとめている時だった。大崎は彼女の左側から、葉桜は右側から画面を眺めていた。
「ええと、ここの住所は……」
 彼女の左手が、パソコンから資料の方へと伸びてきた。ハンドクリームを丁寧に塗っているから、肌がきめ細やかだ。気付いたら、自分の手を重ねていた。ピューッと聞こえたのは、所長の口笛。当然、恵麻の耳には届かない。彼は助手に睨まれる前に外へ消えた。あとに残ったのは、真っ赤になって動けない人間二人。
(うわわわわっ。バレンタイン・ホラーを無事終えてから口説くつもりだったのに、心の準備がっ)
 我慢のきかない自分の手をぴしゃりと叩いてやりたい。いっそこのまま抱きしめた方がよいのだろうか。顔を上げた恵麻に、ちょうど窓からの日が当たった。髪の色も目の色も、瞬間、薄くなったように見えた。光の加減ではなく、変質。彼女の輪郭も、ゆらりとぼやけた。
(え……?)
 目の錯覚かと瞬きをすると、色が戻った。普段通りの恵麻が、恥ずかしそうに自分を見ている。ところが今度は、彼女の背後にいやなものが現れた。黒い霧。動揺して机にぶつかり、ガタンと大きな音を立てた。膝の上を変な風にぶつけてしまい、なかなかに痛い。恵麻が慌てて立ち上がった。
「孝信さんっ」
(今度は、耳の錯覚かよ? いてー……)
「大丈夫ですか? すごい音しましたよ。あざになっちゃうかも……ここ、座ってください」
 言われるままに、譲られた椅子によろよろと腰を下ろした。痛みはじんじんと強くなっていくが、部屋の中の異様な雰囲気はどこかへ行ったようだ。
(気のせいだったのか?)
「ちょっと待っててください。お薬か何か、あるかも……」
 戸棚へ向かおうとした恵麻の手首を軽くつかみ、引き留めた。
「大丈夫です、こんなの大したことありませんよ」
「でも……」
「痛み止めなら、帰れば自分のがありますし」
 死人なのに生きていた葉桜が、救急箱を用意していたとは思えない。あるとしても、五年前の薬かもしれない。できれば使いたくない。それにしても痛い。
「それより……今、何て?」
「あざになっちゃうかも、って」
「その前です」
「その前……」
 どうやら、無意識に呼んだらしい。数秒考えて、「あ」と言った彼女は、バッグをひっつかみ、玄関へ走った。
「恵麻さん、どこへっ」
「お薬買ってきますっ」
「待っ……いてー……」
 立って追いかけようとしたが、椅子に逆戻りだ。入れ替わりに、葉桜が天井からすぅと入ってきた。
「かわいいな」
「異論はありません」
 少し歩けばドラッグストアがある。彼女はそこへ行ったのだろう。
「何か、変な感じしたんで。ついててあげてくれませんか」
「人前で凶暴化するようなことはないはずだ」
 恵麻ではなく、恵麻に憑いている怨霊の話だ。
「それでもです」
「わかった」
 玄関のドアをすり抜ける所長を見送り、「はぁ……」とデスクに突っ伏した。
(いっそ僕も幽霊なら……恵麻さんを守れるのになあ。って、そうじゃないだろ……)
 彼女に憑いているモノは、これまで、事務所内で動きを見せたことはなかった。力が強まってきたのだろうか。
(または……琴絵さんの守護が弱まってきたか。あの人もよくわからないもんなあ。女性は謎だ……)
 壁にかかったカレンダーは、約束の日に赤丸がついている。控えめなハートマークも書き添えられて。
 運命の時が迫っていた。
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