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第2章 若き刑事の苦悩
第24話
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「えっ」
「彼女に憑いてるやつが、おとなしくなるのを待て。そしたら俺が祓ってやるから。今なら、無抵抗のやつを祓うぐらいは俺一人でもできる」
「恵麻さんを、事務所に寄越すなと?」
「来れば、彼女は現場に行くだろ。仕事熱心だからな。彼女もお前も、これ以上の刺激は当分控えた方がいいんだ。……酷なことを言ってるのはわかってる」
いい雰囲気になってきたのを邪魔したくはない。それでもお前が、お前たちが心配なんだ――と、顔に書いてある。無視する気にはなれないし、強硬に反対するつもりもない。でも、ひと言ぐらいは返したい。
「僕、何ともないですよ」
「それが危険だと言ってる」
調子に乗って、幽霊案件を大量にこなしてきたのは事実だ。恐怖感さえも、次第に麻痺してきている。
恐怖は大崎の防衛本能だった。自分の限界が……生の世界と死の世界との境界が、ぼやけてきた自覚はある。痛みを感じなければ体の不調に気付けないのと同じで、足が竦んだり震え上がったりすることも、命を守るためには必要なのだ。それが、無感覚になってきている。昨日は、いっそ自分も幽霊ならとまで考えた。
「今、答えを出さないといけませんか」
ずるい言い方だ。心配してくれているのに。頃合いを見て彼女に憑いた霊を祓うから、それから付き合えばいいと、助言してくれているのに――。恵麻がいる時間の心地よさに、慣れ過ぎた。明日、と言って別れることができる関係に。
(それが途切れてほしくないと願うのは、僕のわがままに過ぎない……)
人命は何よりも優先されるべきだ。疑ったことのないその信念が、自分の中で崩壊しかけている。誰よりも大切だから守りたい。必ず守ると約束した。ならば、首を縦に振るしか道はない。
葉桜は、大崎の顔を見ずに待っている。それまでの自分がすべて崩れていくような恋の恐ろしさを、彼も味わったのだろうか。
半分まで飲んだミルクが冷めていく。温度が変われば体積も変わる。
(物質の状態の変化、か。変わらないものなんて、ないんだよな)
自分が、自分でなくなっていく。
「ねえ、葉桜さん」
「何だ」
「本当の恵麻さんて……どんな子なんでしょう」
「……何が言いたい」
「僕が知っているのは、アレに憑りつかれた彼女です」
「だから?」
「祓えば……僕の好きな彼女じゃなくなるのかなって。また、一から好きになればいいですかね」
言っていることが、自分で恐ろしかった。
(操られてる?)
頭の隅を疑念が掠めたが、口から出た言葉は引っ込められない。葉桜はデスクに乗り上げ、大崎の胸倉をつかんだ。
「お前、何言ってんだ! 死ぬぞ!」
ぐいっと引っ張られて体が机に当たり、ミルクが揺れた。ああそんな顔で怒ることもあるんだと、他人事のような気持ちで眺めた。
「わかってるのかっ。お前の好きな子が、お前を殺した犯人にされるんだぞ!」
手を下すのは怨霊でも、容疑がかかるのはその場にいた人間だ。今日のような現象がエスカレートすれば、あり得ないことではない。
(恵麻さんが、僕を……?)
想像してみて、悪くないと思えた。それどころか、最高に甘い瞬間なのではないか?
「彼女に殺されるなら……構わない」
「しっかりしろ! 付け込まれるな! 大崎っ」
いくら呼びかけられても、声は遠くから、変にエコーがかかって聞こえる。夢想の方が鮮やかだった。
(ああ……恵麻さん……)
悪鬼の顔でとどめを刺した恵麻が、女神の顔で大崎を胸に抱く。「孝信さん。これであなたは永遠に私のもの」――死の接吻ですべてが終わる……。
「彼女に憑いてるやつが、おとなしくなるのを待て。そしたら俺が祓ってやるから。今なら、無抵抗のやつを祓うぐらいは俺一人でもできる」
「恵麻さんを、事務所に寄越すなと?」
「来れば、彼女は現場に行くだろ。仕事熱心だからな。彼女もお前も、これ以上の刺激は当分控えた方がいいんだ。……酷なことを言ってるのはわかってる」
いい雰囲気になってきたのを邪魔したくはない。それでもお前が、お前たちが心配なんだ――と、顔に書いてある。無視する気にはなれないし、強硬に反対するつもりもない。でも、ひと言ぐらいは返したい。
「僕、何ともないですよ」
「それが危険だと言ってる」
調子に乗って、幽霊案件を大量にこなしてきたのは事実だ。恐怖感さえも、次第に麻痺してきている。
恐怖は大崎の防衛本能だった。自分の限界が……生の世界と死の世界との境界が、ぼやけてきた自覚はある。痛みを感じなければ体の不調に気付けないのと同じで、足が竦んだり震え上がったりすることも、命を守るためには必要なのだ。それが、無感覚になってきている。昨日は、いっそ自分も幽霊ならとまで考えた。
「今、答えを出さないといけませんか」
ずるい言い方だ。心配してくれているのに。頃合いを見て彼女に憑いた霊を祓うから、それから付き合えばいいと、助言してくれているのに――。恵麻がいる時間の心地よさに、慣れ過ぎた。明日、と言って別れることができる関係に。
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人命は何よりも優先されるべきだ。疑ったことのないその信念が、自分の中で崩壊しかけている。誰よりも大切だから守りたい。必ず守ると約束した。ならば、首を縦に振るしか道はない。
葉桜は、大崎の顔を見ずに待っている。それまでの自分がすべて崩れていくような恋の恐ろしさを、彼も味わったのだろうか。
半分まで飲んだミルクが冷めていく。温度が変われば体積も変わる。
(物質の状態の変化、か。変わらないものなんて、ないんだよな)
自分が、自分でなくなっていく。
「ねえ、葉桜さん」
「何だ」
「本当の恵麻さんて……どんな子なんでしょう」
「……何が言いたい」
「僕が知っているのは、アレに憑りつかれた彼女です」
「だから?」
「祓えば……僕の好きな彼女じゃなくなるのかなって。また、一から好きになればいいですかね」
言っていることが、自分で恐ろしかった。
(操られてる?)
頭の隅を疑念が掠めたが、口から出た言葉は引っ込められない。葉桜はデスクに乗り上げ、大崎の胸倉をつかんだ。
「お前、何言ってんだ! 死ぬぞ!」
ぐいっと引っ張られて体が机に当たり、ミルクが揺れた。ああそんな顔で怒ることもあるんだと、他人事のような気持ちで眺めた。
「わかってるのかっ。お前の好きな子が、お前を殺した犯人にされるんだぞ!」
手を下すのは怨霊でも、容疑がかかるのはその場にいた人間だ。今日のような現象がエスカレートすれば、あり得ないことではない。
(恵麻さんが、僕を……?)
想像してみて、悪くないと思えた。それどころか、最高に甘い瞬間なのではないか?
「彼女に殺されるなら……構わない」
「しっかりしろ! 付け込まれるな! 大崎っ」
いくら呼びかけられても、声は遠くから、変にエコーがかかって聞こえる。夢想の方が鮮やかだった。
(ああ……恵麻さん……)
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