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第2章 若き刑事の苦悩
第28話
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大崎孝信の体は、活動を止めた。
心は思い残すことなく、よって幽霊になることもない。ただ、恵麻を保護する結界が、誓いの口づけを受け入れた花嫁の涙のように、恥じらいに揺らいだ。
眠っていて何もわからないはずの恵麻が、ビクッと体を震わせた。ほぅ……と満たされた吐息を漏らし、唇が「孝信さん」と動いた。額にはうっすらと汗が浮かんでいる。目を覚ますことはしない。大崎の背広から彼の匂いを感じたのか、「ふふっ」と幸せそうに笑い、また深い眠りへと落ちていく。
(今は、その方が幸せだ……)
葉桜は、怒りをもエネルギーに変換して力をため込みながら、怨霊を睨んだ。調子づいた敵は葉桜を吸収しようと、涎を垂らさんばかりのあさましい欲を剥き出しにしている。
「舐めるなよ。こっちにも、幽霊探偵としての矜持ってものがあるんだ」
大崎と恵麻と、三人で過ごしたひと月の間に、スキルは格段に上がった。いつ非業の死を遂げてもおかしくない二人だったが、本人たちは幸せそうだった。
「好きな子のために何かしたいって……それだけだったんだよな!」
自分もそうだった。だから大崎を止められなかった。尻込みすれば悔いが残る。男として、相棒に情けない思いをさせたくはなかった――。
(だけど、死んじまった……こうなることがわかってたのに、俺はっ)
迫りくる怨霊は、霊力を貪りたいという自分の欲に引きずられ、ほかの部分が無防備になっている。キラリと核が見えた。どす黒く染まった魂の中心だ。
「『解放』!」
意識を集中させ、核に向けて力を放った。
――僕だって!
「大崎!?」
ぐわぁっと怨霊が叫んだ。葉桜の攻撃で核が割れ、破片が渦巻いている。その渦の中から、最初はあんなにも怖がりだった後輩の声が、確かに聞こえた。渦がスピードを増す。欠片が煌めいて光に戻り、暗雲が徐々に薄れていく。浄化の作用だ。
「お前の力なのか……?」
もう、彼の声は聞こえない――。
これまでは『解放』のあと、核はすぐに消失した。今回は粘り強く残った。大崎が力を貸してくれなければ、恵麻は再び取り込まれ、葉桜は半端に吸収されて残りは風に散っていたかもしれない。
フッと最後の欠片が消えた。
辺りは静まり返っている。
琴絵にここで愛され、一咲に目撃されたあの日が、遠い昔のように思えた。
二人の若者の上に降る雪は、そろそろやむだろう。結界は解けてしまったが、恵麻は大崎の魂を抱き、幸福な眠りの中にいる。夜明けが近い。この公園なら、通りがかった人間が助けてくれるだろう。
「大崎……」
そばに降り立ち、無念を噛みしめる。彼は血を流して倒れていた。体中の血液を、地に全部吸わせるかのように。そうまでして、恵麻を守りたかったのだ。魂の最後の力を振り絞って想い人を助け、彼女の中で永遠の眠りについた。
「すまない……」
自分が憑りつかなければ、彼は死ななかったのではないか。こんな戦いに巻き込むことさえしなければ。けれど、大崎との出会いがなければ恵麻が救われることもなかった――。
何が間違いで、何が正しかったのか。何の、どんな報いで、青年はこのような無残な死を迎えなければならなかったのか。
「俺の……」
すべては、自分が犯した過ちに端を発しているのではないか。だとすれば……悲劇の連鎖はまだ終わっていない。
「琴絵を……探さないと」
昇る朝日は、罪を照らして魂を焼き尽くすかのようだ。大崎の死の真相は、いずれ警部の耳に入れるつもりだ。その前に、やらなければならないことがあった。
「ん? この紙……」
大崎のズボンのポケットから、紙片がはみ出している。メモの一部が透けて見えた。ガン、と頭を殴られた気がした。
――あなたも、やり残した、こと、あるはず……。
「お前ってやつは、本当に……」
大崎孝信と葉桜康平は似ていた。
決定的に違うのは、杉下恵麻は生きていて、葉桜琴絵は死んでいるということだ。
サイレンの音が近付いてきた。
心は思い残すことなく、よって幽霊になることもない。ただ、恵麻を保護する結界が、誓いの口づけを受け入れた花嫁の涙のように、恥じらいに揺らいだ。
眠っていて何もわからないはずの恵麻が、ビクッと体を震わせた。ほぅ……と満たされた吐息を漏らし、唇が「孝信さん」と動いた。額にはうっすらと汗が浮かんでいる。目を覚ますことはしない。大崎の背広から彼の匂いを感じたのか、「ふふっ」と幸せそうに笑い、また深い眠りへと落ちていく。
(今は、その方が幸せだ……)
葉桜は、怒りをもエネルギーに変換して力をため込みながら、怨霊を睨んだ。調子づいた敵は葉桜を吸収しようと、涎を垂らさんばかりのあさましい欲を剥き出しにしている。
「舐めるなよ。こっちにも、幽霊探偵としての矜持ってものがあるんだ」
大崎と恵麻と、三人で過ごしたひと月の間に、スキルは格段に上がった。いつ非業の死を遂げてもおかしくない二人だったが、本人たちは幸せそうだった。
「好きな子のために何かしたいって……それだけだったんだよな!」
自分もそうだった。だから大崎を止められなかった。尻込みすれば悔いが残る。男として、相棒に情けない思いをさせたくはなかった――。
(だけど、死んじまった……こうなることがわかってたのに、俺はっ)
迫りくる怨霊は、霊力を貪りたいという自分の欲に引きずられ、ほかの部分が無防備になっている。キラリと核が見えた。どす黒く染まった魂の中心だ。
「『解放』!」
意識を集中させ、核に向けて力を放った。
――僕だって!
「大崎!?」
ぐわぁっと怨霊が叫んだ。葉桜の攻撃で核が割れ、破片が渦巻いている。その渦の中から、最初はあんなにも怖がりだった後輩の声が、確かに聞こえた。渦がスピードを増す。欠片が煌めいて光に戻り、暗雲が徐々に薄れていく。浄化の作用だ。
「お前の力なのか……?」
もう、彼の声は聞こえない――。
これまでは『解放』のあと、核はすぐに消失した。今回は粘り強く残った。大崎が力を貸してくれなければ、恵麻は再び取り込まれ、葉桜は半端に吸収されて残りは風に散っていたかもしれない。
フッと最後の欠片が消えた。
辺りは静まり返っている。
琴絵にここで愛され、一咲に目撃されたあの日が、遠い昔のように思えた。
二人の若者の上に降る雪は、そろそろやむだろう。結界は解けてしまったが、恵麻は大崎の魂を抱き、幸福な眠りの中にいる。夜明けが近い。この公園なら、通りがかった人間が助けてくれるだろう。
「大崎……」
そばに降り立ち、無念を噛みしめる。彼は血を流して倒れていた。体中の血液を、地に全部吸わせるかのように。そうまでして、恵麻を守りたかったのだ。魂の最後の力を振り絞って想い人を助け、彼女の中で永遠の眠りについた。
「すまない……」
自分が憑りつかなければ、彼は死ななかったのではないか。こんな戦いに巻き込むことさえしなければ。けれど、大崎との出会いがなければ恵麻が救われることもなかった――。
何が間違いで、何が正しかったのか。何の、どんな報いで、青年はこのような無残な死を迎えなければならなかったのか。
「俺の……」
すべては、自分が犯した過ちに端を発しているのではないか。だとすれば……悲劇の連鎖はまだ終わっていない。
「琴絵を……探さないと」
昇る朝日は、罪を照らして魂を焼き尽くすかのようだ。大崎の死の真相は、いずれ警部の耳に入れるつもりだ。その前に、やらなければならないことがあった。
「ん? この紙……」
大崎のズボンのポケットから、紙片がはみ出している。メモの一部が透けて見えた。ガン、と頭を殴られた気がした。
――あなたも、やり残した、こと、あるはず……。
「お前ってやつは、本当に……」
大崎孝信と葉桜康平は似ていた。
決定的に違うのは、杉下恵麻は生きていて、葉桜琴絵は死んでいるということだ。
サイレンの音が近付いてきた。
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