TOKOSHIE

一条咲穂(花宮守から改名)

文字の大きさ
45 / 59
第3章 桜が散る時

第3話

しおりを挟む
 会いたくてたまらなかった妻が、目の前にいる。ほかの男――よりにもよって戸部伸司――との情事の名残を、隠すどころか見せつけて。
「誰もいないようですな」
「だから言ったでしょう……」
 警部と戸部は寝室を出て話し続けたが、そんなのは後回しだ。
 自分を凝視する夫を、琴絵は幼子を諭すように目で宥めた。何の前触れもなく、体を隠す衣服が現れる。葉桜が初めてプレゼントしたワンピースだ。髪も綺麗にまとめ、何事もなかったかのようにベッドを離れた。ふわりと漂ってきたのを、ふわりと受け止める。一般的には、男として怒り心頭に発しても許される場面だ。しかし自分の所業と、琴絵が「寝る」ことの意味を思えば、戦慄するほかなかった。
 この世もあの世も含めた中で、最も愛しい存在が、耳元で毒を囁く。
「あと少しなの。見逃してくれない? 刑事さん」
「お前……まさか」
 ふふっと蠱惑的な笑みが返ってくる。
 廊下で話している戸部は、声に力がない。普通の人間の目には、少々疲れが表れている程度にしか見えないだろう。しかし、葉桜から見れば死亡寸前だ。恵麻が少しずつ、内側から殺されるところだったのとは、わけが違う。
(あの子は、大崎が最後の力を振り絞って浄化した……もとの健康体に戻っているはずだ。だが、戸部はもう……)
 恵麻に憑いていた怨霊は実にたちが悪かったが、戸部はある意味、それ以上に容赦のない存在に憑かれている。彼女は、なりふり構わずエネルギーを吸い取っているらしい。外見の衰えがその証拠だ。方法は――おそらくは毎晩、至上の快楽のうちに。男の方は、「懐かしい女の夢を最近よく見る」ぐらいにしか感じていないのだろう。兆候に気付く機会さえ与えられずに、間もなく死ぬ。
 無理もない。夫としての心情では、そんな言葉も出る。だが元刑事としては、目をつぶることなどできない。人が一人、命を奪われようとしているのだ。
「怖い顔。あなただって、一咲さんや、そのあと抱いた女たちを放って逃げたじゃない。あと一人、見ない振りをしてくれればいいの。それで、すべてが終わる」
「なぜだ……なぜ、お前はそこまで」
「外へ行きましょう。ここの空気は最悪」
 警部の動きが気になるが、ここは妻を追うしかなかった。天井を抜け、屋上へ出る。通勤時間となり、眼下には駅へ向かう人々の群れが見える。
 公園では捜査が続いている。ちょうど、大崎の遺体が運ばれていくところだった。時計塔の下のベンチは空になっていたから、恵麻は病院に搬送されたのだろう。
(彼女はもう大丈夫だぞ、大崎)
 容疑がかかることは避けられなくとも、少なくとも体は――。
「随分、頑張ってたわね。おかげで私も忙しかった」
 少し後ろから発せられた声に、心がとろけていく。振り返ると、琴絵は空中に安楽椅子でもあるかのような格好で寛いでいた。公園の方を悲しそうに見やったのは、大崎に対して思うところがあるのだろうか。
「冥界への案内人は続けていたんだな」
「ええ。予想よりずっと早くノルマ達成。……だからね、もう終わらせたいの」
「琴絵……一体、何がどうなってるんだ? この五年間、俺たちはどういう……」
「これが片付いたら、話すわ」
 戸部を殺したら、話すという意味だ。
「……どう言えば、やめる?」
 幽霊としての力は、どう考えても琴絵の方が上だ。説得して思いとどまらせるしかない。
「今更やめたって、手遅れ。私と同じ」
「琴絵っ……」
「警部さんが帰るわよ。ついていかなくていいの?」
 今は聞き入れそうにないが、離れたら、今日のうちにも戸部はとどめを刺されるかもしれない。
(じわじわと嬲り殺すつもりなら、数日……一週間はあるか? 何てことだ……)
「もう一度聞く。なぜ、そこまでする」
 答えは明快だった。
「あなたが好きだから」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

霊和怪異譚 野花と野薔薇[改稿前]

野花マリオ
ホラー
その“語り”が始まったとき、世界に異変が芽吹く。 静かな町、ふとした日常、どこにでもあるはずの風景に咲きはじめる、奇妙な花々――。 『霊和怪異譚 野花と野薔薇』は、不思議な力を持つ語り部・八木楓と鐘技友紀以下彼女達が語る怪異を描く、短編連作形式の怪異譚シリーズ。 一話ごとに異なる舞台、異なる登場人物、異なる恐怖。それでも、語りが始まるたび、必ず“何か”が咲く――。 語られる怪談はただの物語ではない。 それを「聞いた者」に忍び寄る異変、染みわたる不安。 やがて読者自身の身にも、“あの花”が咲くかもしれない。 日常にひっそりと紛れ込む、静かで妖しいホラー。 あなたも一席、語りを聞いてみませんか? 完結いたしました。 タイトル変更しました。 旧 彼女の怪異談は不思議な野花を咲かせる ※この物語はフィクションです。実在する人物、企業、団体、名称などは一切関係ありません。 本作は改稿前/改稿後の複数バージョンが存在します 掲載媒体ごとに内容が異なる場合があります。 改稿後小説作品はカイタとネオページで見られます

(ほぼ)1分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ1分で読める怖い話! 【ホラー・ミステリーでTOP10入りありがとうございます!】 1分で読めないのもあるけどね 主人公はそれぞれ別という設定です フィクションの話やノンフィクションの話も…。 サクサク読めて楽しい!(矛盾してる) ⚠︎この物語で出てくる場所は実在する場所とは全く関係御座いません ⚠︎他の人の作品と酷似している場合はお知らせください

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

それなりに怖い話。

只野誠
ホラー
これは創作です。 実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。 本当に、実際に起きた話ではございません。 なので、安心して読むことができます。 オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。 不定期に章を追加していきます。 2026/2/19:『おとしもの』の章を追加。2026/2/26の朝頃より公開開始予定。 2026/2/18:『ひざ』の章を追加。2026/2/25の朝頃より公開開始予定。 2026/2/17:『うしろまえ』の章を追加。2026/2/24の朝頃より公開開始予定。 2026/2/16:『おちば』の章を追加。2026/2/23の朝頃より公開開始予定。 2026/2/15:『ねこ』の章を追加。2026/2/22の朝頃より公開開始予定。 2026/2/14:『いけのぬし』の章を追加。2026/2/21の朝頃より公開開始予定。 2026/2/13:『てんじょうのかげ』の章を追加。2026/2/20の朝頃より公開開始予定。 ※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

百物語 厄災

嵐山ノキ
ホラー
怪談の百物語です。一話一話は長くありませんのでお好きなときにお読みください。渾身の仕掛けも盛り込んでおり、最後まで読むと驚くべき何かが提示されます。 小説家になろう、エブリスタにも投稿しています。

処理中です...