TOKOSHIE

一条咲穂(花宮守から改名)

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第3章 桜が散る時

第12話

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 帰宅してから、今後のことを考えて戸部にメールを送った。
『妊娠したみたいなの。どちらなのかはわからない。はっきりするまでは……。でも、会いたいな……。これ、見たら削除してね』
 行為は自重するがあなたに会いたいと。もちろん、妊娠は嘘だ。二分で返信があった。
『よかったら、事務員として通ってくればいい。君がいいと言うまでは我慢するよ。会えない方が辛い。体を大事に』
 読み終えたメールを削除し、ため息をついた。これで、情事を避けながらあの部屋に出入りする理由ができた。たちの悪い嘘をつくのは気が引けたが、お互い様だと思った。目的のためには、手段を選んではいられない……康平が欲しがっているものが、すぐそこにあるかもしれないのだ。
 煮え滾る頭。落ち着かなくてはと深呼吸をし、何か飲もうと立ち上がった時、メッセージの着信音が朗らかに鳴った。
『今日は帰れる! もうじき旅行だから荷物作ろうな。足りないものがあったら一緒に買いに行こう』
 文面も、弾み、踊っていた。まっすぐな、明るい愛情。
「子供みたい……」
 康平を愛している。こんなにも愛されている。
 彼が追っている相手こそ、戸部伸司だ。出会った頃のようにまた叱られるかもしれないが、引き返すつもりはない。
 康平と出会ったのは、このためかもしれない。別々の方向から戸部を追いつめ、制裁を下す。それで浮気が許されるとは思わない。離婚を言い渡されても、文句は言えない状況だ。康平と別れては生きていけないが……そのことは、戸部を警察に引き渡してから考えることにしよう。聞いてもらえないかもしれないが、説明しよう。今はまだ、刑事の妻でいさせてほしい。自分の殺意を抑え込むためにも――。
『待ってるね。早く会いたい』
 夫に送ったメッセージの「会いたい」は、本心だった。
 その三日後が、運命の日となった。
 康平の休暇の一日目。仕事がずれ込んだ場合を考えて、旅行は午後の出発を予定していた。前日、ほかの事件の応援に駆り出された夫からは、夜中にメッセージが入っていた。
『駅で落ち合おう。ごめんな、バタバタして。ついでに一件、用を済ませてから向かうよ。気を付けてな。楽しみにしてる』
 ひとつひとつの言葉を、目に焼き付け、胸に刻み込んだ。恋が始まった頃と同じで、彼の言葉はどれもキラキラと輝いていた。
『あなたこそ、気を付けてね。本当に楽しみ!』
 返事を送り、スマートフォンを握りしめた。旅行の前に、自分も済ませておきたいことがあった。
 戸部には、『事務員』としての初出勤がいつになるのか、告げていなかった。向こうからは、関係が切れることを危惧しているのか、頻繁に連絡が入る。今日は昼間は仕事で出ているが、いつ来てくれても構わない、大歓迎だと言われている。出発に間に合うよう戻るつもりで、旅行の荷物は置いたまま、アパートを出た。
 一人でも中へ入れるよう登録されているので、エントランスを抜けるのは簡単だった。八階へ上がるエレベーターの中、この日ほどドキドキしたことはなかった。
(お父さん……お母さん)
 ドアの前でしばらく迷ったが、後戻りはできない。真実を知り、先へ進みたい……。
 喉がカラカラに渇いていたため、キッチンに向かった。水をひと口飲んだところへ、夫が現れた。言い訳のできない状況だが、わかってもらいたかった。うまく説明できず、聞いてももらえないまま、突き飛ばされ、包丁が落ちてきた――。
(ああ……やっぱり、私を殺すつもりだったのかな……。いつも使ってる包丁とは違うな……悪いことをしてきた人だもの、侵入者向けの罠だったのかも……)
 出血で気が遠くなる中で、おかしなほど冷静に考えた。狼狽している夫。救急車を呼ぼうとしている。
(そんなの、いらない……)
「あなた、が……犯人、に、なっちゃうから……わたしの、胸、刺して……逃げて」
 伝わっているだろうか。声が出なくなり、必死に念じた。
 ――あなた以外の手にかかって、死にたくない。
 康平は、わかってくれた。胸に突き立てられた凶器。激痛を通り越して、幸せだった。
(愛してる……私はあなただけのもの)
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