TOKOSHIE

一条咲穂(花宮守から改名)

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第3章 桜が散る時

第14話*

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 五年の月日が流れた。これだけそばにいても、康平は、夫婦の行為を途中までしか許さなかった。幽霊妻と交わることで自分の身に起こる変化を、直感的に危惧していた。
(ひとつになりたいのに……)
 二人とも生きていた、あの頃のように。
 一時でもほかの男に身を委ねたことへの、これが罰なのだろうか。
(もっと私に触れて。あなたが好き……好きなの)
 最後の一線を越えられない。そのもどかしさが、尽きせぬ恋心となり、執着となった。彼の欲を取り込むことは、手っ取り早い浄化の方法ではあるが、加減によっては命を吸ってしまう。生かしながら、本当の死へと誘う行為。どう考えても矛盾しているが、溺れていった。
(あなたは私を刺した時、ほんの少しでも思わなかった? これで私を永遠に自分のものにできる、って。私はあなたのもの……あなたの命は私のもの……もっともっと、あなたが欲しい……)
「琴絵っ……」
 吐き出される精は甘く、彼の体の変容は明らかだ。陥落した方が楽になれるだろうに……と、かわいそうになってくる。怨霊退治の必要がある案件では、魂に傷を負うこともある。彼は確固たる目的を持っており、命の猶予ができたことで、その仕事を完成させつつある。琴絵に課せられたノルマはまだ残っているが……夫をこれ以上疲弊させてよいものだろうか。
(あなたを先に逝かせて、私は残る? 寂しいけど……)
 呼吸を乱し、額に汗を滲ませ、とろんとした瞳で見つめてくる康平が愛しい。充足感と愛情に満ちた微笑みは、どんなものより美しい。乱れても、喘いでも、意志が強くて頑固なところは譲らない。清廉で、よい意味で俗っぽくて、恋を宝物のように大切にしてくれる。妻を優しく宥めて眠りへと彷徨っていく彼に、毎日、毎晩、惚れ直す。
(『君の涙を乾かす手伝いをさせてください』……か)
 プロポーズの言葉を思い出す。
(あなたが怨霊に殺されたら、私は泣くでしょうね……それならいっそのこと)
 ライターの加賀一咲が接触を図ってきたのは、天啓かもしれない。彼女を抱けば、彼の中の禁はきっと解ける。一咲を二度、三度と抱いたって構わない……最後に抱かれ、康平を連れていくのは自分だから。
 恋、庇護欲、情欲が絡み合い、自分の中で渦を巻く。純粋ではなかった。彼が一咲に邪心を抱いたように、自分も結局は欲にまみれていた。眠っているはずの悪霊に、餌を与えてしまった。
 ――私の康平さん。
 一咲の言葉に、怒りが燃え上がった。
(あなたのじゃない! 康平は私のものよ!)
 何を馬鹿な、自分でそそのかしておいて……と理性が頭をよぎったが、遅かった。行使するつもりのない力が、一咲を殺した。ククッと聞き覚えのある嘲笑。康平を殺した悪霊の声だ。
 ――これがお前の望みだ。よく見るがいい。夫のため? かわいそう? フフ……結局は皆、自分のためなのだよ。自分だけがかわいいのだ。
 違う、と言えなかった。言う暇もなく乗っ取られた。自分の方が奥へ押し込められ、康平が逃げるのを黙って見ているしかなかった。彼はどんどん道を踏み外していった。悪霊は、彼が抱いた女を次々に殺した。
(やめて、やめて、もうやめてっ……康平が無差別殺人犯だなんて、嘘なのに! 彼を助けて……東雲警部、あなたまで……康平、康平、私があなたを絶対助けるから逃げてっ……)
 泣いた。叫んだ。借りた力のうち、悪霊に直接対抗する部分だけが封じられていた。諦めてはいけない。康平を見て舌なめずりしている悪霊は、いずれ慢心して隙ができる。
(それまで……ごめんなさい、みんな、ごめんなさい……)
 彼は一咲に会わないつもりだったのに、会えと言った。彼女を誘うように仕向けた。そのことも、戸部との関係も、自分は何もかも間違っていた。ただひとつ、康平が愛してくれたことだけが真実だった。愛することは……悉く、間違えた。
(私は地獄に落ちてもいい。未来永劫、成仏できず彷徨うのが罰ならそれでもいい。だから神様、康平だけは救ってください……)
 祈りを聞き入れてくれたのは、神様ではなく雪女だった。北国から彼を恋い慕ってきたものらしい。雪に飽きてやってきた海辺の町で、彼は凍えて死ぬところだった。雪女は場を完全に支配し、悪霊が入り込む隙間もなかった。チャンスだ。康平がぐったりとし、雪女は勝利を確信した。氷の指で、彼の唇を撫でている。
(油断してる……今なら!)
 表層をうろうろしている悪霊を押しのけ、雪女の中に入った。その先のことは、考えていなかった。押し込められていた力が爆発した。
 ――何でこんな女を抱くのよ!
 愛をぶつけたかったのに、発したのは怒気、憎悪、怨恨。悪霊に植え付けられたものかもしれないし、元から自分の中にあった小さな芽が育ったものかもしれない。康平に対する感情だけではなかった。修学旅行から楽しく帰ってきて、見たものは両親の酷い死に様――十年前のショックが凝り固まって、巨大な塊となっていた。制御不能の攻撃を受け、彼は気を失った。
「康平……」
 魂に穴が開いている。呆然と眺めた。
 このまま放っておけば、死ぬ。彼のためを思えば、その方がいい。少なくとも、これ以上の容疑をかけられずにすむ。
 長い迷いを吹き飛ばしたのは、窓の外に聞こえてきた東雲の声だった。
(だめ! 今はまだ私のもの……)
 咄嗟に彼を連れて飛んだ先が、あのペンションだった。
 疲れ果てた彼は、命を「やるよ」と言った。本当に終わりにするつもりだった。ところが朝を待つまでの間に、例の悪霊が彼の魂を攫っていこうとした。かろうじて救い出し、大崎の中へ逃がした。悪霊は、康平の気を感じられなくなったのを、消滅したからだと思い込んで満足していた。
 ――やっと死んでくれた……魂までも。
 そう言って、去っていった。
 うまく騙すことができたのは、大崎との相性がよかったからだと思うが、彼には気の毒なことをした……。
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