アネモネの花

藤間留彦

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風岡一温編

第四話 関係の終わり③

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一温ひいろ、こっち!」

 バーに入ると、カウンターに座っていたけんさんが手を振っていて、僕はその隣の席に座った。この間謙さんと入ったバーだったが、迷わず来られて良かった。

「またジンジャーエールでいい?」
「はい」

 謙さんと乾杯した後、僕は好きな人のことを忘れるにはどうしたらいいか訊ねた。

 あの日以来、僕は化学準備室には行くことができずにいて、先生から僕に話しかけてくるようなことも無かった。

 このまま先生を好きな気持ちが風化していくのを待つしかないのだろうけれど、週に何度も授業で顔を合わせることになっていては、想いが募っていくばかりだった。

 僕は大学生で相手はバイト先の店長ということにして、一方的に好きになって関係を持ったけど、相手に別れを告げられてしまったと説明した。

「忘れるのって難しいよ。俺だって今まで散々な彼氏だったけど、別れた後しばらくは絶対引き摺ったもんなあ」

 謙さんは頬杖をついてグラスを回し、氷をカラカラと鳴らした。

「いつも……どうやって立ち直るんですか」
「俺は適当な相手捕まえてセックスして忘れる、かな。そのうちの誰かと良い感じになってくっついて、って感じ。ぶっちゃけ俺はそれの繰り返しだから参考にならないよ」

 そう言って笑う謙さんを僕はじっと見詰めた。顔はいいと思うし、体格もがっしりしていて男らしい。モテそうなのに、恋人が居ないのが不思議なくらいだ。

「……僕を、抱いてくれませんか」

 と、謙さんは口に含んでいた酒を噴き出した。そして、驚いた顔で僕の方を見る。

「急にどうしたの? 一温は別に俺のことタイプじゃないっしょ?」

 テーブルに飛び散った酒をおしぼりで拭った後、困った顔で笑って僕の頭を撫でた。

「一温はそういう割り切ったこと出来るほど器用じゃないと思うよ。だから、今度はさ、ちゃんと恋人としなよ」

 優しく諭すように言われて、僕は小さく頷いた。謙さんは「俺は一温とすんの全然アリだけど」と笑って、グラスに残っていた酒を飲み干した。

 休日の早い時間から店に入ったが、十時前には帰った方がいいと言われ店を出た。もしかしたら、謙さんは僕が未成年だと分かっていたのかもしれない。

 真っ暗な家に帰り、ベッドに横たわる。今までは何も思わなかった独りの夜を淋しいと思うようになったのは、先生を好きになって、人肌の温もりを知ってしまったからだろう。

 ――いつか、きっとこの初めての恋を、懐かしく思う日が来るだろうか。

 僕は目を閉じ、自分以外誰も居ない静寂の中、眠りについた。



「一温、起きなさい」

 スマホのアラームが鳴る前に、枕元で声がして目が覚めた。驚いて身体を起こすと、冷たい目をした母が僕を見下ろしていた。

「着替えたら下に来なさい。話があるから」

 母の怒りを必死に抑えているような顔に僕は恐怖を覚えた。きっとこの後良くないことが起こるのだという予感がしたから。

 顔を洗い、制服に着替え一階に向かうと、いつも居ないはずの父が居て驚く。数日前に聞いた母の話では、こっちに来る予定はしばらくないようだったが。

「ここに座りなさい」

 両親が並んで座っているダイニングテーブルの向かいに座る。母の顔からは怒りが、父の顔からは落胆の色が滲み出ていた。
 テーブルの上には意味深に茶の大きい封筒が置いてある。

「……どうか、したの……?」
「どうかしたか……ですって?」

 母の眉がぴくりと動く。そしてテーブルの上に茶封筒の中のものをぶち撒けるように出した。

 それはいくつかの写真だった。そしてそこに写っていたのは、謙さんと並んで歩いている姿。恐らく十日ほど前に会っていた時のものだった。

「貴方、どうしてこんないかがわしいところに居たの? この男は誰なの?」

 どういうことか分からず頭が真っ白になる。身を乗り出し問い詰めるように言う母を押さえ、父が口を開く。 
「母さんは最近一温の様子が変だと心配して、探偵に依頼したんだ。その時に撮れたのがこの写真だ」

 茫然として、母の顔を見た。母は僕を軽蔑するような眼で見詰めていて、その視線に耐え切れず目を逸らした。

「ここは、同性愛者の人が行く店だそうだね」

 店に入っていく僕の写真と謙さんと一緒に店を出た時の写真を僕の前に突き付ける。

「一温は……同性愛者なのか?」

 僕を見詰める父は、黒と分かっている者を弾劾し更に追い詰めるような厳しい表情をしていた。僕にはもう、逃げ道はないと言うように。

 写真を見詰めたまま押し黙る僕に、父は「そうか」と納得するように呟いた。

「……じゃあ、この話も本当なのね?」

 そう言うと、母は自分のスマホを取り出して画面を操作する。と、店で謙さんと話した内容が流れ出した。そして話の途中で止めると、母は目に涙を浮かべながら立ち上がり、僕の隣に来ると、僕の両肩を掴んで僕を見下ろした。

「貴方、この男か誰かと、汚らわしいことをしたのね……! 誰なの、相手は? バイト先の店長って、どこの誰?」

 凄い剣幕で僕に詰め寄る母を、父は止めもせず、寧ろ一人息子が同性愛者だと知って、もうどうなろうと構わない、関係ないという様子で傍観していた。
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