アネモネの花

藤間留彦

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観月脩編

第四話 愛を知る②

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 慌ててグラスを持つ。きっとこのグラスも高級品だろうから、割ってしまわないかと心配になりつつ、軽くグラスを上げて一口だけ含んだ。美味しい、ような気がする。
 運ばれてきた料理は、海老と雲丹の上に何らかのソースが掛けられた料理だった。ギャルソンが料理名を教えてくれたけれど、使われた材料くらいしか理解できなかった。

「……今日は……どうして、いつもと違うんですか」

 次々と運ばれてくる高級な料理を食べ終わって、コーヒーが出たところで、これが最後だと覚悟を決めて訊く。先生のことだ、きっとどう切り出そうか困っていただろうから。

「お付き合いを始めて、ひと月の記念です」
「……は?」

 予想の斜め上の答えに、完全に思考が停止する。先生は俺のぽかんとしている顔を見て噴き出すように口元を隠して笑った。

「若い人は、付き合って一ヶ月などの区切りで祝うものだと、ゼミの子が言っていたので、私もそれに倣ってみたのですが」
「いやいや、それは普通の男女の話で、俺達男同士じゃないですか……!」

 少し興奮して声が大きくなってしまった。周囲の様子を気にして俯き加減に咳払いする。

「そもそも、俺達付き合ってませんし……」

 その瞬間、空気が変わったのに気付いた。

「……付き合ってなかったんですか、脩君と私は」

 はっとして顔を上げると、先生は傷付いたような、悲しげな表情で俺を見詰めていた。

「いや、違……そうじゃなくて……! 俺は……芳慈さんの、本当の恋人に……」

 ああ、望んでいいものじゃないのに。欲しがってはいけないのに。俺は、先生の魂を欲しがってしまった。
 言葉はそれ以上続かず、尻すぼみに消えていった。膝の上に握り締めた拳に視線を落とす。

「一度も脩君を恋人でないと思ったことは無いです」

 今、どんな顔で、そんな台詞を言っているのだろう。真実を直視するのが怖い。それでも、俺はゆっくりと顔を上げた。

「私は脩君が好きだ」

 目の前の景色が、歪んで見える。それが溢れた涙のせいだと分かって、零れないように奥歯を噛み締め、ぐっと堪えた。

「君が私を好きならいいと、ずっと思っていました。でも君は違った――」
「そんなの、好きに決まってんじゃないですか……! 好きじゃなかったら、こんなめんどくさいことしねえし……!」

 もう訳が分からなくなって、混乱のあまりつい言葉遣いが荒っぽくなってしまう。先生は一瞬面喰っていたが、包み込むような優しい笑顔で俺を見詰めた。

「面倒に付き合わせてすみませんでした。しかし、脩君のお陰で、私は心から人を愛せる人間だと知れた」

 テーブルの上に、先生が手を掌を上にして差し出した。俺は恐々とその掌の上に手を置く。

「君を心から愛している。そう、強く想う」
「……それは、俺と……してもいいって、ことですか」

 手を握り返される。周りの人から見られているかもしれないと思った。でも、そんなことはもう、どうでもいい。俺の前に居る先生以外、何も要らない。

「上に、部屋を取ってあるんです」

 少し照れたように笑う先生を見て、俺は噴き出す。

「それ、もしかしなくても、ゼミの子がそういうのが良いって言ったんじゃ」
「ええ、そうです。駄目でしたか?」

 心臓の音が大きくなる。笑って誤魔化そうとしたけど無駄だった。俺は、今、この人に抱かれたい。

 首を横に振る。先生がそっと手を離して立ち上がる。俺は先生の斜め後ろをついていく。顔が熱い。右手が熱い。心臓は破裂しそうだ。

 エレベーターに乗り込んで、何階だかも分からないまま、先生がドアを空けた部屋に入った。絨毯が敷かれていて靴を脱ぐのかどうかも分からない。
 もたついていると、肩を掴まれて先生の方を振り向いた。瞬間、強引に引き寄せられる。

 時が止まったように感じた。その後に唇に、柔らかい感触がすること、目の前に先生の顔があること、強く抱き締められていること。自分の置かれている状況に順番に気付いていく。

 唇が、身体が離れ、先生の顔を頭が真っ白のまま見上げた。さっきまでどこか余裕があったのに、今は少し髪も乱れて熱い息を吐いている。ああ、この人もちゃんと雄なんだなと思う。そして、その欲情の起因が俺だということに、興奮した。

 俺は芳慈さんのネクタイを掴んで引き寄せ、唇を押し付けるようにして衝動に任せて口付けた。俺が薄く口を開けると、先生の舌が侵入してきて唾液を絡め取るように動く。先生の首に腕を回し、舌に舌を絡めて、深く長く、溺れるようにキスをした。

 恍惚として唇を離す。艶めかしく、唾液が二人を繋ぐように、離れ難いように、糸を引く。
 見詰め合う。間接照明だけが灯った部屋では正確には分からない。それでも先生の眼鏡の向こうの瞳には、俺しか映っていないと解る。言葉など要らなかった。先生がこんなにも強烈な、熱い視線を向けるのは、俺だけなのだから。
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