アネモネの花

藤間留彦

文字の大きさ
52 / 75
陽川花火編

第三話 再会⑦

しおりを挟む
 俺は照明を元に戻して、ベッドに腰を下ろす。水音が聞こえて、ふと壁の方に目を遣る。そしてそこで、ようやく芳慈さんが慌てていた理由が分かった。

「……あー、マジか」

 ベッドから正面に見える壁の一部が、磨りガラスになっていてシルエットが映っていたのだ。色を変えて遊んだりしたから、不用意に芳慈さんの注意を引き付けてしまった可能性が高い。

 本来、俺は裸のシルエットを見られたくらい、それ以上のことをいくらでもしているから平気なタイプの人間なのだが、しかし芳慈さんが照れているのを見たせいで羞恥心がこちらにまで伝染してきてしまった。

 この後どういう風に話をすればいいやらとタオルで頭を拭いながら考える。結果を言うと、ラブホテルの設備についての話はしないでおいた。変な空気が流れて気まずいだけだから。

 芳慈さんはソファに座って、俺は布団を足に掛けるような状態で話をした。芳慈さんが俺の脚が見えるのが気になるというので。芳慈さんって結構スケベなのでは、と今更ながらに思う。

「俺があの店に居るって、何で分かったんですか? それとも当てずっぽうで?」
「当てずっぽうです。最初は脩君が前に住んでいたアパートに行ってみたのですが空振りで、他に思い当たる場所もなかったものですから」

 あの後連絡先も変えたし、卒業を機にアパートも引っ越した。俺と芳慈さんを繋いだのは、始まりと同じ場所だったということだ。俺が未練がましくあの店に行き続けたことは、結果として今のこの時間を生んだ。

「君に会えて、話せて良かったです。もし会えなかったら、私はただ君に焦がれたまま、老いて屍になるのを待つだけの人生だったでしょうから」

 「大袈裟ですよ」と笑うと、「私は大真面目です」と真顔で言われてしまう。少しくらい茶化さないとこっちの心臓がもたないのだが。

「しかし、脩君に気持ちを伝えることも、君の気持ちを聞くこともできました。少なくとも君に愛されていると思いながら、年を取ることはできそうです」
「……愛だなんて」
「違うんですか?」

 わざとなのか天然なのか、雨に打たれた捨て犬のように悲しげな表情をする。こういうところが狡い。分かっているくせにわざと訊いてるだろ、と言いたい。でも、きっと想いをちゃんと言葉にしなかったから、俺は、俺と芳慈さんは、今こうなっているのだと思うから。

「愛、してますよ。とても」

 照れながらも、目を逸らさなかった。芳慈さんは目を大きく開いて何度か瞬きをした後、ふうと息を吐いて微笑んだ。

「私が今この歳で良かったと、初めて思いました。私があと二十、いえ十歳若かったら、脩君の想いを無視して抱きしめていたでしょうから」

 一瞬もしそうなっていたら、と想像してしまい、どきりとする。

「なんか、あの……すみません」
「いえ、構いません。私が言うのも何ですが、脩君は真面目ですから」

 自分のことを真面目だと思ったことは一度もないけれど、俺が何も気にせずに芳慈さんの胸に飛び込んでいくような下衆ではなかったことは褒めてやりたいと思う。

「私はいつまでも待ちますよ。君の贖罪が終わるまで」

 そんな日が来るだろうか。俺が俺を許して、前を向いて――芳慈さんと手を携えて、歩いて行ける日が、来ると良い。

 そうして朝まで俺は教師生活の話、芳慈さんはアメリカでの生活や研究の話をした。互いに風岡一温の話、元妻の話はしなかった。それらの話は、俺と芳慈さんが共有するべき話ではないから。

 ホテルを出て、朝焼けの空を見上げる。夕陽は目に染みるのに、朝陽に目が眩んだことはないのは何故だろう。
 夕陽を見ると、芳慈さんに遮光眼鏡を勧められたことを思い出してしまうから、好きではなかったけれど、夕陽を見てしまう自分がいた。思い出すことを辞めたくなかったのかもしれない。

 これからは朝陽を見て、今日この日のことを思い出すのだろうか。微笑みを浮かべて手を挙げて去っていく愛しい人のことを、想いながら。

 どうすれば、俺の罪は償えるのか、まだ分からない。彼に許しを請うのは、違うと思えた。風岡が俺を許すかどうかではなく、俺が俺を許すかどうかなのだから。
 ただこれからは、手の中にある確かな愛を糧に生きていこうと、そう思えた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

学校一のイケメンとひとつ屋根の下

おもちDX
BL
高校二年生の瑞は、母親の再婚で連れ子の同級生と家族になるらしい。顔合わせの時、そこにいたのはボソボソと喋る陰気な男の子。しかしよくよく名前を聞いてみれば、学校一のイケメンと名高い逢坂だった! 学校との激しいギャップに驚きつつも距離を縮めようとする瑞だが、逢坂からの印象は最悪なようで……? キラキライケメンなのに家ではジメジメ!?なギャップ男子 × 地味グループ所属の能天気な男の子 立場の全く違う二人が家族となり、やがて特別な感情が芽生えるラブストーリー。 全年齢

[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった

ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン モデル事務所で メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才 中学時代の初恋相手 高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が 突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。 昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき… 夏にピッタリな青春ラブストーリー💕

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

隣の席のイケメンに懐かれた

しょうがやき
BL
隣の席のイケメンに懐かれた平凡男子の話

一軍男子と兄弟になりました

しょうがやき
BL
親の再婚で一軍男子と兄弟になった、平凡男子の話。

【創作BL】溺愛攻め短編集

めめもっち
BL
基本名無し。多くがクール受け。各章独立した世界観です。単発投稿まとめ。

おすすめのマッサージ屋を紹介したら後輩の様子がおかしい件

ひきこ
BL
名ばかり管理職で疲労困憊の山口は、偶然見つけたマッサージ店で、長年諦めていたどうやっても改善しない体調不良が改善した。 せっかくなので後輩を連れて行ったらどうやら様子がおかしくて、もう行くなって言ってくる。 クールだったはずがいつのまにか世話焼いてしまう年下敬語後輩Dom × (自分が世話を焼いてるつもりの)脳筋系天然先輩Sub がわちゃわちゃする話。 『加減を知らない初心者Domがグイグイ懐いてくる』と同じ世界で地続きのお話です。 (全く別の話なのでどちらも単体で読んでいただけます) https://www.alphapolis.co.jp/novel/21582922/922916390 サブタイトルに◆がついているものは後輩視点です。 同人誌版と同じ表紙に差し替えました。 表紙イラスト:浴槽つぼカルビ様(X@shabuuma11 )ありがとうございます!

処理中です...