聖獣様は愛しい人の夢を見る

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16 北の森の魔女

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 慧吾はまずは人化を解き、不安と期待の入りまじった複雑な気持ちを抱えて、宿の自分の部屋から転移の魔法を使った。何度か行き来しているうち時空魔法が上がったら、なんと行ったことのあるところへ転移できるようになったのだ。

 着いたところは鬱蒼とした森の中――――北の森の奥深くだ。

 目の前には簡素な家と小さな庭がある。しばらくすると、銀色の毛の大きな魔獣がガサガサっと現れた。

――銀毛! 元気だったか! お迎えありがとう。

 銀毛はきゃーんと鳴いて鼻をくんくんシスイにくっつけた。顔をひとしきりぺろぺろ舐めて満足したのか、先導するように歩きだす。

――銀毛……あの、預けたあの子さ……

 恐る恐る話しかけてもお構いなしに銀毛は進み、古びたドアの前に立った。シスイを仰いで「入れ」とでも言うように鼻をきゅーんと鳴らし、先に家に入っていく。
 シスイはそううっと家の中を覗きこみ、誰もいないのを確認するとふうっと息をついた。


「シスイさま……?」

 と、背後からあの子の声が聞こえる。やっぱり怒ってるのか? 振りむきたくない。

「無視なさってるの?」

 今度は耳元で聞こえた。ひーーっとシスイは首をすくめ、耳をぺたんと後ろにつけて身体を回転させた。

 ピンクゴールドの髪、薄桃色の瞳に小柄な身体……声の持ち主だ。

「何十年も待ったのよっ……!」

 と、みるみる薄桃色の瞳に涙が溜まり、とうとうぽろぽろ溢れだした。

「もう二度と、あ、会えないかと……聖獣様は、と、年をとらな、いから、私もずっと、ここに、待って」

(しまった、泣かせてしまった……。どうしよう)

 中途半端で放りっぱなしになってしまったから、すごく怒っているか、とっくにいなくなって人生を続けているかだろうと思っていた。
 まさかそんなふうに思ってくれるとは考えていなかったのだ。
 シスイはジルが泣きやむまで、あやすようにそっと寄りそった。

「……あれからすぐにお触れが出たんですって。私もうお尋ね者じゃないのよ。でも帰ってあげなかったわ。……いまさら聖女なんてやれないもの」

 ジルは今度は何かを思いだしふふっと笑った。

「私浄化しまくって時空魔法をレベルアップしてやったのよ。それで転移できるようになって、ときどき王都に行ってたの。だっているものもあるじゃない? あのね、私今では『魔女』って呼ばれてるの!」

(はあああ!?)

 びっくり仰天だ。なぜ聖女から魔女に。

「だって何年もこの姿だしさ。怖がられているわ」

 シスイは尾を垂らし、しょんぼりとジルを見あげた。

「あなたは冤罪をかけられた私を匿ってくれたんだもの。ありがとう」

 そのとき、シスイは銀色の太い尾でビシビシ叩かれた。

――いてて、忘れてないってー。銀毛もありがとうな。


 最初に銀毛を撫でたときのこと、あとで気づいたが銀毛はシスイの眷属になっていた。銀毛は結界を得意とし、驚いたことにその結界内では時間が進まないのだ。そこにジルを匿ってもらっていた。

「あの……私にシスイ様について行けって、しばらくしたら帰っていいよって言ってくれた方は……」


 それは慧吾のことだ。ジルを守るため、とりあえず銀毛に頼んだ。ジルは偽者の聖女に嘘つき呼ばわりをされ、その偽者をエングリット王太子も貴族も信じてしまった。ジルをここに匿ったあと、慧吾の活躍のおかげで冤罪が晴れたのだった。
 それからすぐに日本に転移してしまい、慧吾は少なからず心配をしていた。だがまさかずっと待っていてくれたとは。


 シスイは、ジルが自分のことを聞いてくれたことに、胸がじんわりと暖かくなった。

(覚えていてくれていたんだ。俺を覚えてくれてる人がいるっていいな)

 ジルの前におすわりをし、頭をぺこりと下げる。そして心配いらないよというようにわふ! と一度吠えた。

 ジルは意味がわかったのか優しい微笑みを浮かべてうれしそうにしている。その様子はまさに聖女だ。というよりもむしろ天使のようだ。
 これを魔女と言うとは……と思ったら、目立ちすぎる容貌を隠すため、いつも黒いローブを被っているからだとのちに判明する。同じいでたちの慧吾と並んだら怪しすぎるかもしれない。

「……待ってて良かったわ。来てくれたもの」

(やっぱり聖女様だ、いい子だな……)





 慧吾は宿をキープするため料金を払いに一度行った。街に転移するときに便利だからだ。宿にはたまに使うけれども食事はいらないと伝えてある。

 それから森に帰ってシスイとして数日をジルと過ごした。本当は人間の成人男子だと伝えないのは騙しているようだが、そのほうがお互いにとって安全な気がした。
 ジルと言葉を交わせないことだけが、なんだか残念だ。


 ジルにはたっぷりとお金を用意していたのだけれど、自分でも稼いでいたようだ。たまに薬草を採ってきて調薬をしている。本を買ってきて自分で勉強したらしく、古びた本が何冊かあった。そしてそれを王都の薬屋に卸しに行っている。

 シスイは薬屋に行くジルと王都に行くことにした。門の手前まで一度転移し、きちんと薬師として王都に入る。それからニ十分ほど歩くと薬屋だ。
 その薬屋は何代にも渡って利用しているらしく、店主のことも小さな頃から知っているんだそうだ。そのせいか店主もジルを怖がらない。ここに来る途中、街の人たちからは畏怖の目で見られていたのだ。そしていつもと違い、横に白い大型犬がいるのを二度見されていた。

 シスイは店には入らず、入り口でおとなしくおすわりして待っていた。たまに誰かが頭を撫でていく。苦手な人は遠回りして歩いている。撫でられてもじっとしているのを見て、おっかなびっくり手を出してくる人もいるし、全然だめな人もいる。しかし、おとなしい犬だということはわかってもらえたようだ。

 その人々も、店から出てきたジルにシスイが近づいていったのを見て驚きを隠せない。魔女のだったのか! 魔女があんなかわいい犬を……とざわざわしている。
 ジルは意に介さず、「買い物に行きましょう」とシスイを連れて去っていった。


 ひと通り用事が済んで、帰ろうと門を潜っていたとき、シスイは遠くからレヴィンがよろよろ歩いてきているのを見つけて駆けだした。

(レヴィンだ! またひとりで……。ちょうど会えたことだし、やっぱりどうにかしてついていこう)


「え?」

 レヴィンは突然目の前に現れた大きな犬に目を丸くした。ふらつきながらも微笑んでシスイの頭をなでなでしている。後ろからやっとジルが追いついてきた。

「どうしたの? シスイ様」
「この子、シスイ様って名前なんですか?」
「え、ええ、まあ」

 ジルは目を泳がせた。シスイはジルに向かってひとことわふ! と吠え、ぺこりと頭を下げた。そしてジーっとレヴィンの顔を見あげる。

「シ、シスイ様……もしかしてその人に鞍替え、いえ、いっしょに行きたいの?」

 シスイはもう一度ぺこりと頭を下げた。すがるようにシスイに手を伸ばしていたジルは、目を潤ませて鼻をすすった。レヴィンはわたわたと慌てている。

「ぼ、僕、そんな、あなたの犬を取ろうなんて!」
「いえ、いいのよ。ぐす……行きたいのよね? でもたまには会いに来てくれるでしょ?」

 シスイは転移できるため、ちょくちょく会いに行くことができる。シスイはもちろん! わふ! と答えた。ジルは仕方なく認めた。聖獣は自分の飼い犬でもないし、何か気になることがあるからレヴィンについていくのだろう。

「ねえ、……あなた、お名前は?」

 レヴィンは困ってジルとシスイを交互に見た。

「レヴィンです。王立学園の生徒なんですけど。あの、寮なので飼えないんです」
「あら、それは平気よ。使い魔って言えばいいわ? 使い魔だとずっといっしょにいられるんでしょ?」

(えっ、使い魔って学園に入ってもいいんだ。良かった!)

 使い魔は、魔獣を魔術で縛って契約する。ここ百年ほどでその方法が確立していた。売り物を購入したり、森で捕獲したりする。王立学園でも、持ちこみが許可されるようになり、主に魔術科の生徒が数人所持していた。前回はまだ許可されておらず、シスイは知らなかったのだ。
 使い魔としてそばに行くことができれば、時間も進まず都合が良い。この先何年もいることになれば人として過ごすのは難しいだろう。今は夏休みとはいえ、ゼミに通えていないのも心配だった。

「え、使い魔? 犬なんじゃ……」
「シスイ様は犬じゃないわよ。似ている……そう、何かね。魔法も使えるのよ」
「えっ!」

 レヴィンはシスイをマジマジと観察した。犬だ。でもそういえば紫の瞳の犬は珍しいかも?

「私の名前を言ってなかったわね。私は『北の森の魔女』と言われてるジルよ」

 レヴィンはそれにも驚き、口をぱかりと開けている。ジルはシスイを見おろして背中を撫でた。

「この前再会したの。でもまた行っちゃうのね。絶対遊びに来てね?」

 寂しそうなジルにシスイはくぅんと鳴いた。

「でも……ほんとに? いいのかな」
「ええ。シスイって呼んであげてね。それと、使い魔契約はしなくていいわ。シスイ様は人の言葉がわかるし、すごく賢いの。縛る必要ないから。……でもそうね。ネームタグは変えたほうがいいわね」

 シスイはハッとした。これを外すのはすごく嫌だ。俯き、しょんぼりと尾を垂れる。諦め、そして収納した。動揺して泣きそうだ。何もなくなった首にジルが腕を回す。

「新しいのをつけてあげてね。大事にしてあげて」

 見守っていたレヴィンはしっかりと頷いた。

「はい。大事にします」

 満足したジルと別れ、新しい主となったレヴィンとシスイは街に足を向けた。



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すみません、前の話が一話抜けていました。お手数おかけします。
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