煙の向こうに揺れる言葉

らぽしな

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エピソード12-6

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普通の幸せと言われるゴール兼スタートの結婚はした。
今は子供もいる。他人の話を聞けばかなり手のかからない理想的な子供。
夫の仕事は一流企業に括られるサラリーマン。狭くもなくわりと快適な部屋もある。
そして私は専業主婦。

言葉の羅列だけで言うと、私は普通の家庭の普通の主婦だ。

でも、こんな事を考えて悩んでいる私は、普通の中で孤独と戦っている。

どこが間違っているのだろう。

きっと、きっかけさえあれば、夫がいない時間の汐音の話をしたり、その日にあった些細な出来事を話しさえすればそれだけで良かったのだと気づくのだろう。

もっと相談できる友達がいたり親身に語り合うネット上のコミュニティあたりを千草が見つけられていれば、同じような悩みに誰かが寄り添ってくれて、このくらいのほころびはきっと簡単に解決されたのかもしれない。

ただ、まだ千草は精一杯で、そういう機会にも恵まれず、自分のことだけしか見れないそんな隙間に落ちてもがいていた。

ただただ、明るい居場所を求めていた。



気を取り直して用意してあった晩御飯と、買ってきた惣菜の一部をテーブルに並べる。揃った頃に、匡尋がやってきた。子供部屋の方から足音が聞こえたので、汐音のところにいったらしい。
「ぐっすり眠っていたよ。」
しばらく見ていたが、起きる気配がなかったから戻ってきたそうだ。

2人きりの食卓になった。この前は見えるところで汐音が遊んでいたが、ほんとうの意味での二人きりの食事は本当に久しぶりだった。
あのカレーの夜以来だ。
昔は、当たり前の光景だったのに。その時間だけじゃ語り足りなくて食べ終わった後も、寝室に行ってからもずっと朝まで語り尽くした日もある。

だけど今は箸が動いて、時折茶碗に当たる音だけが響いている。

匡尋は頭の中には言いたいことがいっぱいあるというのに、無音に耐えかねて押しのけて出てきた言葉は
「たまには、惣菜もうまいな。」
と、どうでもいい内容だった。

その時間が重苦しくて、聞きたいこと言いたいことを飲み込んで口にした言葉が物悲しい。
「ええ、そうですね。」
気の利いた話じゃないので、続かないのは当たり前だ。

たった1回のキャッチボールで僕はもう、何を話せばいいのかわからなくなっていた。
どこで間違ってしまったんだろうか。知らず知らず、そんな時千草と同じようなことを考えていた。
昔はもう少し楽しく話せていただろうに、きっかけになるような話なんて…、話なんて…。

あ、そうか今日に限ってはあるじゃないか。
今日の事と明日の事が…。

「あ…あの。も、森さんは、どうして帰っちゃったのかな、君がその、夕食を誘ったのに。」
と、極力普通をよそおいながら視線だけチラッと横目で、妻をみる。

突然話しかけたから、びっくりしたようだ。
何に驚いてているのかわからない。
突然僕が話しかけたことに驚いているのか、森さんの事を聞かれて驚いているのか。

少し間があって
「今日、偶然町で会って、
そしたら汐音がなついてしまって、
それでどうしてもって言うことになって、
夕食一緒にどうですかって言うことに
なったんです。」

箇条書きのような、無機質な言い回しだった。
僕は平静を装うので精一杯だった。何かに怒っていて、その怒りがどこからやってきているのかわからない。

「そうか、汐音よほど森さんが気に入ったんだな。明日も来るから、また喜ぶだろうな。」
「ええ、そうだといいですね。」

「・・・。」
「・・・。」

会話が続かない。明日のことを話せと頭のどこかで叫んでいる。でも、手を止められなかった。黙々と食べ続けながら、次の言葉を出すタイミングを探し出せないまま、目の前に準備された夕ご飯だったものがなくなった。あれだけあったのに、何を食べたかすら覚えていない。

そしてやっと出てきた言葉が
「ご馳走様。」だった。

そういって僕はまた、タバコを持っていつもの場所へと逃げ出した。

千草はその去っていく姿を見送った。
最近、なんだか夫と特に会話が続かない。知らない事務所にすがるほど言いたいことがあるのに、言葉にできない。

彼は、以前は普通だった気がする。というかなんでも話してくれたし、聞いてもくれた。タバコの件も本当は思えば些細なことだ。その前の大きな不満のほころびなのだ。

毎年、中間決算や年度末は忙しくしていたけれど、年々忙しさを理由に帰宅が遅くなったり接待とかで飲みに行ったり、それが次第に週末まで侵食してきた。

実はそれは出世するための通過儀礼のようなことで、伝えておけば済むことだったのだが、仕事のことを家で話さなかった匡尋の失態で、色々と不安定な時期にそれが重なり、千草の気遣いが距離を遠ざけ始めたのだが、話し合いしないできたツケでもあった。

どこの新婚夫婦でも陥りやすい罠にすっかりと二人共がハマってしまったのだった。

やっと仕事も落ち着いたはずなのに、そのときにはどうやって千草と普通に接すれば良いのか分からなくなり、いつしか腫れ物でも触るかのような状態になっていった。その結果
当たり障りのない言葉でしか、夫は言わなくなってしまった。

そんな重苦しい時間を、彼がタバコを吸いに行くことで救われていたりする、そんな矛盾。
いつもの定位置へ向かう彼の背中を見送りながら、そんな風に思っていた。


そんな思いを打ち明けることもなく、片付けをしてお風呂の用意をして汐音の寝顔を見に行くと、汐音の部屋ドアが少し開いていることに気づいた。

そっと覗くと、夫が寝顔を眺めていた。
その顔は、父親の顔でそしてとても優しい横顔だった。

こんな温かい眼差しを見たのは、いつぶりだろう。
彼は汐音が好きじゃないと思っていた。

もし、それが勘違いだったのだとしたら、私は母親として、妻として何か間違って接しているのではないだろうか。

心に小さくできた、新しいモヤモヤは今日のところは取れそうもなく、それぞれに夜を迎え、それぞれの寝床へと持ちこされて、夜が更け、そして朝を迎えた。


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