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いち
しおりを挟む花嫁が逃げ出した。
結婚式の会場に着いた馬車はもぬけの殻で、無人だった。残されたウェディングドレスほど馬鹿馬鹿しいものは無い。
伯爵家のご当主は「おい」とミリアを呼びつける。ミリアは慣れた様子で無言のまま進み出て頭を垂れる。返事をすれば耳障りだと罵られ、無言でいれば気味が悪いと怒鳴られるのが常であったけれど、この時ばかりはご当主もそれどころではないらしく、ミリアを一瞥もしない。他の侍女達に「これに花嫁衣装を着せろ。時間が無い、グズグズするな」と命じ、騎士の数人に逃げた娘の捜索を命じた。
こうしてミリアは花嫁の代わりを務めることになった。
ミリアは伯爵の庶子である。伯爵家の所有物であり、使用人のように給金を払う必要のない下働きのようなものだ。政略結婚の駒として使うことを前提に引き取られた為、戸籍上は間違いなく伯爵令嬢だ。
そんなハリボテでしかない貧相な身に、正真正銘の伯爵令嬢が着るはずだったドレスは大きすぎる。あまりにも不格好だ。それでも何とか見られるようにと侍女達が苦心して隙間に布を詰め込み、奮闘する。
ベールで顔を覆い隠し、式は始まった。決まりきった定型文を聞き流し、神への誓いに同意し、署名して。
誓いのキスを、との言葉に、花婿が花嫁のベールを捲りあげた。さすがに花嫁が別人だと気づいたのだろう。新郎が瞬きを激しく繰り返す。ミリアは人形のように視線を伏せ、相手の視線から逃げた。
別人じゃないかと怒鳴り出しでもすれば面白いのに、新郎は静かに口付けの真似だけをして触れ合うことなく離れていく。所詮大事なのは世間体か。
誓いを立てた後、場所を移して披露宴を行うのが一般的だが、不幸中の幸いとでも言うべきか、この結婚式の予定は元から夫婦の誓いを立てるだけで終わり。
そもそもどういう経緯で異母姉が結婚に至ったかを知らないという事実に気づき、ミリアは訝る。何故披露宴を行わないのだろう。財政難だけは有り得ない。伯爵にとって娘は道具に過ぎない。利益のない婚姻など許すはずがない。披露宴を行う財力もない家との縁を求めるなど考えられない。
参列者の見守る中、俯き、顔を隠すようにしながら新郎のエスコートで退場し、そのまま驕奢な馬車へ乗り込もうとした時だった。慌てた様子の騎士が駆け寄り、新郎に何かを耳打ちする。新郎は舌打ちで応えた。
「悪い、先に行っててくれ」
新郎の言葉に、ミリアは内心の動揺を表に出さず頷き返した。
先に。どこに。それはもちろん嫁ぎ先に、だ。異母姉の、嫁ぎ先に。一体いつ自分は伯爵に回収されるのだろう。いつまで異母姉のフリをすれば良いのだろう。今夜は初夜なのだが。そもそも新郎は花嫁が違うことに気づいているのだろうか。いや、流石に気づいていると思いたいのだが。
新郎新婦揃って嫁ぎ先に行き、新郎から改めて家族および使用人の紹介をされるのが常だ。しかし一人で先に行った場合、その辺りはどうなるのだろう。そもそも婚家の皆様は異母姉の顔を知っているのだろうか。どこまで説明すれば良いのだろうか。
新郎に駆け寄った騎士を思い出す。彼は近衛騎士の制服を着ていた。ミリアは新郎の仕事も、爵位も、何も知らない。そんな情報に触れる機会などなかった。
不安しかないまま馬車に揺られ、酔いそうだ。
新婚夫婦の新居には、新郎の親兄弟は一人も居なかった。宣誓の場にはいたのかもしれない。この段階で新居にいないということは、同居しない、ということ。少しだけ心が軽くなる。
執事の格好をした青年が、新郎不在の非礼を詫び、ミリアを出迎えてくれた。奥様専属だと侍女を2名紹介されるが、正直どういう反応をすべきか分からず曖昧に頷いておいた。緊張で頭が回らず紹介された名前が脳みそに入ってこない。
「恐らく旦那様は今晩お戻りになれないだろうとのことです。どうぞゆっくりお休み下さい」
執事の言葉に心が軽くなる。初夜をどうするのかという問題が先送りになった。先送りなので、いつかは直面することに変わりないけれど、その頃には異母姉が見つかっていると信じたい。
侍女の手を借り、異母姉の為のウェディングドレスを脱いで入浴し、ネグリジェに着替える。生地が透けたりなど一切していない、普通の、極一般的なネグリジェだ。良かった!と内心歓喜が止まらない。これがもし、透かしが露骨なレース編みだったり、脱がすことを前提とした面積の少ないものだったりした日には異母姉を見習って脱走しただろう。むしろ身体を冷やさないようにと配慮されたネグリジェに包まれ安堵する。厚手で肌触りの良い生地、ゆったりとしたデザインは安心感がある。
部屋に用意された軽食を摘み、色々と考えるのは明日の自分に任せて、取り敢えず寝よう。なにせ疲労で頭が回らない。そう考えたミリアだったが、寝る場所は夫婦の寝室である。新婚夫婦の、寝室だ。ミリアは頭を抱えた。
天蓋付きの寝台に複数枚上掛けがあるのを確認し、一枚拝借する。くるまってソファに陣取ると、アームレストが枕替わりに丁度よく、ミリアの身長に合わせて誂えたかのように長さも絶妙ではないか。これは良いと気に入り、上機嫌で目を閉じた。
「……………~~~ッ!!!!!」
その数分後、少しだけ休んだからこそ稼働した脳が、とんでもない失態に気づいてしまった。思わず飛び起きる。飛び起きて悶絶する。声を上げて叫びたい程の、かつてない、大失態である。
本当にどうしよう。呟くだけ呟き、脱力して、取り敢えず眠り直すことにした。他に今出来ることなど思いつかない。下手に騒げば伯爵家の恥を晒したと、血縁上の実父である伯爵から何をされるか分からない。
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