政略転じまして出会いました婚

ひづき

文字の大きさ
1 / 6

いち

しおりを挟む



 花嫁が逃げ出した。

 結婚式の会場に着いた馬車はもぬけの殻で、無人だった。残されたウェディングドレスほど馬鹿馬鹿しいものは無い。

 伯爵家のご当主は「おい」とミリアを呼びつける。ミリアは慣れた様子で無言のまま進み出て頭を垂れる。返事をすれば耳障りだと罵られ、無言でいれば気味が悪いと怒鳴られるのが常であったけれど、この時ばかりはご当主もそれどころではないらしく、ミリアを一瞥もしない。他の侍女達に「これに花嫁衣装を着せろ。時間が無い、グズグズするな」と命じ、騎士の数人に逃げた娘の捜索を命じた。

 こうしてミリアは花嫁の代わりを務めることになった。

 ミリアは伯爵の庶子である。伯爵家の所有物であり、使用人のように給金を払う必要のない下働きのようなものだ。政略結婚の駒として使うことを前提に引き取られた為、戸籍上は間違いなく伯爵令嬢だ。

 そんなハリボテでしかない貧相な身に、正真正銘の伯爵令嬢が着るはずだったドレスは大きすぎる。あまりにも不格好だ。それでも何とか見られるようにと侍女達が苦心して隙間に布を詰め込み、奮闘する。

 ベールで顔を覆い隠し、式は始まった。決まりきった定型文を聞き流し、神への誓いに同意し、署名して。

 誓いのキスを、との言葉に、花婿が花嫁のベールを捲りあげた。さすがに花嫁が別人だと気づいたのだろう。新郎が瞬きを激しく繰り返す。ミリアは人形のように視線を伏せ、相手の視線から逃げた。

 別人じゃないかと怒鳴り出しでもすれば面白いのに、新郎は静かに口付けの真似だけをして触れ合うことなく離れていく。所詮大事なのは世間体か。

 誓いを立てた後、場所を移して披露宴を行うのが一般的だが、不幸中の幸いとでも言うべきか、この結婚式の予定は元から夫婦の誓いを立てるだけで終わり。

 そもそもどういう経緯で異母姉が結婚に至ったかを知らないという事実に気づき、ミリアは訝る。何故披露宴を行わないのだろう。財政難だけは有り得ない。伯爵にとって娘は道具に過ぎない。利益のない婚姻など許すはずがない。披露宴を行う財力もない家との縁を求めるなど考えられない。



 参列者の見守る中、俯き、顔を隠すようにしながら新郎のエスコートで退場し、そのまま驕奢な馬車へ乗り込もうとした時だった。慌てた様子の騎士が駆け寄り、新郎に何かを耳打ちする。新郎は舌打ちで応えた。

「悪い、先に行っててくれ」

 新郎の言葉に、ミリアは内心の動揺を表に出さず頷き返した。

 先に。どこに。それはもちろん嫁ぎ先に、だ。異母姉の、嫁ぎ先に。一体いつ自分は伯爵に回収されるのだろう。いつまで異母姉のフリをすれば良いのだろう。今夜は初夜なのだが。そもそも新郎は花嫁が違うことに気づいているのだろうか。いや、流石に気づいていると思いたいのだが。

 新郎新婦揃って嫁ぎ先に行き、新郎から改めて家族および使用人の紹介をされるのが常だ。しかし一人で先に行った場合、その辺りはどうなるのだろう。そもそも婚家の皆様は異母姉の顔を知っているのだろうか。どこまで説明すれば良いのだろうか。

 新郎に駆け寄った騎士を思い出す。彼は近衛騎士の制服を着ていた。ミリアは新郎の仕事も、爵位も、何も知らない。そんな情報に触れる機会などなかった。

 不安しかないまま馬車に揺られ、酔いそうだ。





 新婚夫婦の新居には、新郎の親兄弟は一人も居なかった。宣誓の場にはいたのかもしれない。この段階で新居にいないということは、同居しない、ということ。少しだけ心が軽くなる。

 執事の格好をした青年が、新郎不在の非礼を詫び、ミリアを出迎えてくれた。奥様専属だと侍女を2名紹介されるが、正直どういう反応をすべきか分からず曖昧に頷いておいた。緊張で頭が回らず紹介された名前が脳みそに入ってこない。

「恐らく旦那様は今晩お戻りになれないだろうとのことです。どうぞゆっくりお休み下さい」

 執事の言葉に心が軽くなる。初夜をどうするのかという問題が先送りになった。先送りなので、いつかは直面することに変わりないけれど、その頃には異母姉が見つかっていると信じたい。

 侍女の手を借り、異母姉の為のウェディングドレスを脱いで入浴し、ネグリジェに着替える。生地が透けたりなど一切していない、普通の、極一般的なネグリジェだ。良かった!と内心歓喜が止まらない。これがもし、透かしが露骨なレース編みだったり、脱がすことを前提とした面積の少ないものだったりした日には異母姉を見習って脱走しただろう。むしろ身体を冷やさないようにと配慮されたネグリジェに包まれ安堵する。厚手で肌触りの良い生地、ゆったりとしたデザインは安心感がある。

 部屋に用意された軽食を摘み、色々と考えるのは明日の自分に任せて、取り敢えず寝よう。なにせ疲労で頭が回らない。そう考えたミリアだったが、寝る場所は夫婦の寝室である。新婚夫婦の、寝室だ。ミリアは頭を抱えた。

 天蓋付きの寝台に複数枚上掛けがあるのを確認し、一枚拝借する。くるまってソファに陣取ると、アームレストが枕替わりに丁度よく、ミリアの身長に合わせて誂えたかのように長さも絶妙ではないか。これは良いと気に入り、上機嫌で目を閉じた。

「……………~~~ッ!!!!!」

 その数分後、少しだけ休んだからこそ稼働した脳が、とんでもない失態に気づいてしまった。思わず飛び起きる。飛び起きて悶絶する。声を上げて叫びたい程の、かつてない、大失態である。

 本当にどうしよう。呟くだけ呟き、脱力して、取り敢えず眠り直すことにした。他に今出来ることなど思いつかない。下手に騒げば伯爵家の恥を晒したと、血縁上の実父である伯爵から何をされるか分からない。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王子の影武者と婚約した令嬢、“フラれた女”として王都で噂されているけど気にしません!

大井町 鶴
恋愛
王子と見紛う青年の正体は、極秘に育てられた影武者だった。 任務、それは王子として振る舞い、誰にも正体を悟られないこと。 だが彼の前に現れたのは、王子が婚約者にと選ぶことになる、宰相の令嬢。 (惹かれてはいけないのに、惹かれる) 気持ちを抑えてクールに振る舞う彼に、彼女はこう言った。 「殿下が、殿下ではない……そんな気がしたのです」 聡くて大胆な彼女と、正体を隠す影武者。 これは、海辺の別荘でふたりが静かに幸せを育むまでのヒミツのお話。

【完結】逃がすわけがないよね?

春風由実
恋愛
寝室の窓から逃げようとして捕まったシャーロット。 それは二人の結婚式の夜のことだった。 何故新妻であるシャーロットは窓から逃げようとしたのか。 理由を聞いたルーカスは決断する。 「もうあの家、いらないよね?」 ※完結まで作成済み。短いです。 ※ちょこっとホラー?いいえ恋愛話です。 ※カクヨムにも掲載。

あのね、好きよ、だけど・・・

陽紫葵
恋愛
いつも片想い・・・

身分違いの恋

青の雀
恋愛
美しい月夜の晩に生まれた第1王女ベルーナは、国王と正妃の間に生まれた初めての娘。 権力闘争に巻き込まれ、誘拐されてしまう。 王子だったら、殺されていたところだが、女の子なので、攫ったはいいものの、処理に困って、置き去りにされる。 たまたま通りすがりの冒険者家族に拾われ、そのまま王国から出る。 長じて、ベルーナの容姿は、すっかり美貌と品位に包まれ、一目惚れ冒険者が続出するほどに 養父は功績を讃えられ、男爵の地位になる。 叙勲パーティが王宮で開かれ、ベルーナに王子は一目ぼれするが、周囲は身分違いで猛反対される。

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

“妖精なんていない”と笑った王子を捨てた令嬢、幼馴染と婚約する件

大井町 鶴
恋愛
伯爵令嬢アデリナを誕生日嫌いにしたのは、当時恋していたレアンドロ王子。 彼がくれた“妖精のプレゼント”は、少女の心に深い傷を残した。 (ひどいわ……!) それ以来、誕生日は、苦い記憶がよみがえる日となった。 幼馴染のマテオは、そんな彼女を放っておけず、毎年ささやかな贈り物を届け続けている。 心の中ではずっと、アデリナが誕生日を笑って迎えられる日を願って。 そして今、アデリナが見つけたのは──幼い頃に書いた日記。 そこには、祖母から聞いた“妖精の森”の話と、秘密の地図が残されていた。 かつての記憶と、埋もれていた小さな願い。 2人は、妖精の秘密を確かめるため、もう一度“あの場所”へ向かう。 切なさと幸せ、そして、王子へのささやかな反撃も絡めた、癒しのハッピーエンド・ストーリー。

「二年だけの公爵夫人~奪い合う愛と偽りの契約~」二年間の花嫁 パラレルワールド

柴田はつみ
恋愛
二年だけの契約結婚―― その相手は、幼い頃から密かに想い続けた公爵アラン。 だが、彼には将来を誓い合った相手がいる。 私はただの“かりそめの妻”にすぎず、期限が来れば静かに去る運命。 それでもいい。ただ、少しの間だけでも彼のそばにいたい――そう思っていた。 けれど、現実は甘くなかった。 社交界では意地悪な貴婦人たちが舞踏会やお茶会で私を嘲笑い、 アランを狙う身分の低い令嬢が巧妙な罠を仕掛けてくる。 さらに――アランが密かに想っていると噂される未亡人。 彼女はアランの親友の妻でありながら、彼を誘惑することをやめない。 優雅な微笑みの裏で仕掛けられる、巧みな誘惑作戦。 そしてもう一人。 血のつながらない義兄が、私を愛していると告げてきた。 その視線は、兄としてではなく、一人の男としての熱を帯びて――。 知らぬ間に始まった、アランと義兄による“奪い合い”。 だが誰も知らない。アランは、かつて街で私が貧しい子にパンを差し出す姿を見て、一目惚れしていたことを。 この結婚も、その出会いから始まった彼の策略だったことを。 愛と誤解、嫉妬と執着が交錯する二年間。 契約の終わりに待つのは別れか、それとも――。

処理中です...