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第二章 華燭
55 新たな決意
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身体を離すと、涙を隠そうともせず、小蘭は真っ直ぐに自分を見上げている。
その瞳を正視できずに、横に逸らす。
ーー俺が、迂闊だったのだ。
曹丞相らに、大義を与えてしまった。
『失礼ながら、蒼太子のこれまでの行いは目に余るものが』
『皇后よ、後宮をこれ以上騒がしくさせぬ為には、凛麗様を正妃に迎えるしかありますまい』
丞相一派は、俺ではなく、口々に皇后を責め立てた。後宮の不祥事は全てあなたのせいだと結論づけ――皇后は、黙して立ち尽くすしかなかった。
俺は――
型破りを気取ってみたところで、所詮は位の威に頼っている若造に過ぎなかった。
俺が凛麗を正妃に迎えれば、曹の力はますます強大になる。
本物の力を持たない俺には、抵抗の術がない。
「くそっ」
小さくつぶやいた蒼龍を、小蘭がじっと見上げている。
いつしか、涙は止まっていた。
「ねえ、ひとつ教えて? それは……蒼龍が凛麗を望んだの?」
少し迷って、蒼龍は慎重に告げた。
「俺は――これ以上大切な人を失うのは嫌だ」
小さな手が、ぎゅっと包袖を握った。
「じゃあそれは……蒼龍が心からそうしたいわけじゃないってことだ」
「……」
目を伏せた蒼龍に、小蘭はぽつりと呟いた。
「そんなの……私だっていっしょだよ」
「……え?」
小蘭は、膝を突いて蒼龍と目を合わせた。
「私だって、私のために蒼龍が我慢するなんて嫌。そんなの、全然嬉しくないよ!」
「小蘭、しかし――」
小蘭は、蒼龍の肩に手を置いて、しっかりと掴んだ。
「あんたはもっと無茶で、わがままで、前に出る男のはずでしょう?」
「なっ……」
瞬きもせず、大きな目で訴える小蘭。
思わずたじろいだ蒼龍に、小蘭はさらに迫った。
「そりゃ、今までは蒼龍に助けられてばっかだったけど……私だって頑張ってる、戦ってるよ? そもそも――」
小蘭はひと息をついた。その声が震えている。
「周りを振り回してでも、引っ張っていけなきゃ――いい皇帝になんてなれない」
小蘭は、キッと眉をつり上げた。
「蒼龍だって、そう考えてのあの振る舞いだったんでしょう?」
目を潤ませて訴える小蘭。
蒼龍は、しばらく何も言うことが出来なかった。
――小蘭。
生意気で照れ屋で、自由な娘。
はじめのうちは、一風変わった変な娘だと、ただ面白がっていたが――。
気がつけば、厄介ごとも長い時間も、全てを彼女と共有していた。
「小蘭、俺は――ただ君を護らなくちゃと」
「国政なんて、凛麗のお父様に任せていれば、きっと楽しく生きられるわ。でも、私はそんなの嫌だ。蒼龍はそれでいいの?」
その言葉は、蒼龍の胸の奥で燻っていた怒りに火を点けた。
「……よく……ない」
「でしょう? 何か他に方法はないの? いつもみたいに、大人たちを吃驚させるような」
目を輝かせた小蘭を前に、冷え切っていた胸の奥が、じわじわ熱くなってくる。
――忘れていた。彼女は、ただ愛でられるだけの小鳥じゃない。小さくとも、自ら戦う野生の小鳥。ずっと俺のことを考え、心配し、戦っていた。
ややあって、
「は、ははっ……ははははは」
蒼龍は、豪快に笑い出した。
「ど、どうしたの、大丈夫?――きゃっ」
それから、小蘭の身体をふたたびぎゅっと抱きしめた。
先程までの興奮か、すっかり熱くなった彼女の身体が、たまらなく愛しい。
「……これはますます、手放せないな」
「な、何が?」
「いーや、稀代の女傑か、はたまた悪女か。……すっかり君の虜ってこと!」
「?」
蒼龍は、抱き締める腕に力を込めた。
「約束する――必ず何とかしてみせる」
「……うん、期待してる」
「今は……さっぱり何も思いつかんが」
「もう、またそれ?」
弾かれるように身体を離した小蘭は、軽く蒼龍の胸を叩いた。
それを合図に、蒼龍は腰を上げた。
「小蘭……ありがとう。見舞いのつもりが、逆に元気付けられた」
衣装を整える蒼龍を見上げ、小蘭は慌てて立ち上がった。
「私も、何かやる。あんたに発破だけかけといて、じっとしてなんていられないわ!」
蒼龍は、すっと目を細めた。
「ああ、その時は頼む。でも、今はまず、ゆっくり身体を癒して」
月明かりに輝く金色の髪をそっと撫でる。
それから腰を折り、耳元にそっと顔を近づけた。
「全快した暁には、今度こそ君を――」
「……ばぁか」
*
延禧宮門――後宮の門はひとつしかない。
護衛の兵士に目配せをし、そこを通り抜けてゆく。
蒼龍はまっすぐに自身の寝所へは戻らず、官吏たちが詰める南宮へと向かっていた。
何ひとつ変わらない俺の心――それを酌み取り、見事に言い当てた小蘭。
出会った時と変わらない、深翠の瞳は澄みきっていて、思わず泣きそうになってしまった。
彼女の手前、ああは言ったが。
実際、あまり考えている時間はない。曹は婚礼を急いでいる。
――守るだけでは、足りない。俺は、奪われぬために戦う。
だが――俺の力だけでは到底無理だ。
あの男になら、俺の命運を託せる――。
蒼龍は、回廊の右側にずらりと並ぶ扉の、奥から三番目の前で足を止めた。
そうして。
ばんっ。
わざと大きな動作でもって、その扉を開いたのだ。
「日鳳、起きろ」
その瞳を正視できずに、横に逸らす。
ーー俺が、迂闊だったのだ。
曹丞相らに、大義を与えてしまった。
『失礼ながら、蒼太子のこれまでの行いは目に余るものが』
『皇后よ、後宮をこれ以上騒がしくさせぬ為には、凛麗様を正妃に迎えるしかありますまい』
丞相一派は、俺ではなく、口々に皇后を責め立てた。後宮の不祥事は全てあなたのせいだと結論づけ――皇后は、黙して立ち尽くすしかなかった。
俺は――
型破りを気取ってみたところで、所詮は位の威に頼っている若造に過ぎなかった。
俺が凛麗を正妃に迎えれば、曹の力はますます強大になる。
本物の力を持たない俺には、抵抗の術がない。
「くそっ」
小さくつぶやいた蒼龍を、小蘭がじっと見上げている。
いつしか、涙は止まっていた。
「ねえ、ひとつ教えて? それは……蒼龍が凛麗を望んだの?」
少し迷って、蒼龍は慎重に告げた。
「俺は――これ以上大切な人を失うのは嫌だ」
小さな手が、ぎゅっと包袖を握った。
「じゃあそれは……蒼龍が心からそうしたいわけじゃないってことだ」
「……」
目を伏せた蒼龍に、小蘭はぽつりと呟いた。
「そんなの……私だっていっしょだよ」
「……え?」
小蘭は、膝を突いて蒼龍と目を合わせた。
「私だって、私のために蒼龍が我慢するなんて嫌。そんなの、全然嬉しくないよ!」
「小蘭、しかし――」
小蘭は、蒼龍の肩に手を置いて、しっかりと掴んだ。
「あんたはもっと無茶で、わがままで、前に出る男のはずでしょう?」
「なっ……」
瞬きもせず、大きな目で訴える小蘭。
思わずたじろいだ蒼龍に、小蘭はさらに迫った。
「そりゃ、今までは蒼龍に助けられてばっかだったけど……私だって頑張ってる、戦ってるよ? そもそも――」
小蘭はひと息をついた。その声が震えている。
「周りを振り回してでも、引っ張っていけなきゃ――いい皇帝になんてなれない」
小蘭は、キッと眉をつり上げた。
「蒼龍だって、そう考えてのあの振る舞いだったんでしょう?」
目を潤ませて訴える小蘭。
蒼龍は、しばらく何も言うことが出来なかった。
――小蘭。
生意気で照れ屋で、自由な娘。
はじめのうちは、一風変わった変な娘だと、ただ面白がっていたが――。
気がつけば、厄介ごとも長い時間も、全てを彼女と共有していた。
「小蘭、俺は――ただ君を護らなくちゃと」
「国政なんて、凛麗のお父様に任せていれば、きっと楽しく生きられるわ。でも、私はそんなの嫌だ。蒼龍はそれでいいの?」
その言葉は、蒼龍の胸の奥で燻っていた怒りに火を点けた。
「……よく……ない」
「でしょう? 何か他に方法はないの? いつもみたいに、大人たちを吃驚させるような」
目を輝かせた小蘭を前に、冷え切っていた胸の奥が、じわじわ熱くなってくる。
――忘れていた。彼女は、ただ愛でられるだけの小鳥じゃない。小さくとも、自ら戦う野生の小鳥。ずっと俺のことを考え、心配し、戦っていた。
ややあって、
「は、ははっ……ははははは」
蒼龍は、豪快に笑い出した。
「ど、どうしたの、大丈夫?――きゃっ」
それから、小蘭の身体をふたたびぎゅっと抱きしめた。
先程までの興奮か、すっかり熱くなった彼女の身体が、たまらなく愛しい。
「……これはますます、手放せないな」
「な、何が?」
「いーや、稀代の女傑か、はたまた悪女か。……すっかり君の虜ってこと!」
「?」
蒼龍は、抱き締める腕に力を込めた。
「約束する――必ず何とかしてみせる」
「……うん、期待してる」
「今は……さっぱり何も思いつかんが」
「もう、またそれ?」
弾かれるように身体を離した小蘭は、軽く蒼龍の胸を叩いた。
それを合図に、蒼龍は腰を上げた。
「小蘭……ありがとう。見舞いのつもりが、逆に元気付けられた」
衣装を整える蒼龍を見上げ、小蘭は慌てて立ち上がった。
「私も、何かやる。あんたに発破だけかけといて、じっとしてなんていられないわ!」
蒼龍は、すっと目を細めた。
「ああ、その時は頼む。でも、今はまず、ゆっくり身体を癒して」
月明かりに輝く金色の髪をそっと撫でる。
それから腰を折り、耳元にそっと顔を近づけた。
「全快した暁には、今度こそ君を――」
「……ばぁか」
*
延禧宮門――後宮の門はひとつしかない。
護衛の兵士に目配せをし、そこを通り抜けてゆく。
蒼龍はまっすぐに自身の寝所へは戻らず、官吏たちが詰める南宮へと向かっていた。
何ひとつ変わらない俺の心――それを酌み取り、見事に言い当てた小蘭。
出会った時と変わらない、深翠の瞳は澄みきっていて、思わず泣きそうになってしまった。
彼女の手前、ああは言ったが。
実際、あまり考えている時間はない。曹は婚礼を急いでいる。
――守るだけでは、足りない。俺は、奪われぬために戦う。
だが――俺の力だけでは到底無理だ。
あの男になら、俺の命運を託せる――。
蒼龍は、回廊の右側にずらりと並ぶ扉の、奥から三番目の前で足を止めた。
そうして。
ばんっ。
わざと大きな動作でもって、その扉を開いたのだ。
「日鳳、起きろ」
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