後宮恋歌 ―皇帝になる男と、ただ一人の妃―

佳乃こはる

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第二章 華燭

56 秘密の訪問

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 その夜、後宮内に激震が走った――。

 ざわっ。
 後宮の正殿である西宮から、小蘭のいる北の離宮に向かう渡り廊下。
 そこを、蒼龍太子が堂々、お渡りになっていたからだ。
 しかもその後ろには、遊び女をひとり連れているではないか。女は、恥ずかしそうに両袖で顔を隠している。
 宮女たちが口々に囁く中、騒ぎを聞きつけた宦官長のヤオが飛んできた。

「皇子、これは一体どうしたことです!」

 小走りに蒼龍の前に回り込んだ彼は、両手を広げて蒼龍の行手を遮った。
 女はすぐさま、蒼龍の背に張り付いて隠れる。
 
「蒼龍太子、に教えてください。今からどこへ行こういうのです?」
 悪びれもせず、蒼龍はそれに応える。
 
「どこって……もちろん、愛しい妃に逢いにだが?」
「ま、まさか……こんな時期に、堂々と小蘭妃のへやへ?」
「ああ」
 それが何か? とでも言いたげな空気。
 楊は、顔を真っ赤にして怒鳴った。

「な、なりません! 凛麗様とのご婚礼を間近に控えた身で、何をお考えになっているのです! こんな噂が、もし曹丞相の耳にでも入ったら……ムグッ」

 蒼龍は、楊の口に手をあて、さっと柱の影に引き込んだ。
 
「なあ、、分かるだろう? これから俺は、あの凛気の激しい娘を、正妃に迎えるんだぞ」
 宦官長を柱側に押し付けると、ぐっと身を迫らせた。
 
「結婚後はきっと監獄だぞ……姑の曹に睨まれ、嫁に縛られ、自由など一切ない生活が待っているんだ」
 宦官長を片手で柱に押さえながら、蒼龍は目を覆って嘆いてみせた。

「……つまり結婚後は……大人しくしてくださると?」
 蒼龍はにっと笑った。
 
「ああ、勿論。だから――それまでは、というわけさ」

 恨めしげに、彼を見上げる宦官長。
 蒼龍はさらに顔を近づけ、甘えるような声を出した。

「だから……頼むよじい。今夜ばかりは見逃してくれ、後生だから、な?」
 普段は厳しい宦官長のヤオだが、幼少の頃から蒼龍に仕え、身の回りの世話の全てを仕切っていた彼だ。
 蒼龍の、甘えた表情にはすこぶる弱い。

「……む、は、話は分かりました。――し、しかし!」
 
 じゃあ、と先を行こうと踵を返しかけた蒼龍の裾を、彼は素早く掴み取った。
 
「そのご婦人、いったいどこの誰ですかっ。後宮に、素性の知れない女子を連れ込むなど、前代未聞。あってはならぬことですぞ!」

 決まった――!
 言うべき事を言う前に、また皇子にたらし込まれるところだったと、得意気に目尻を上げた。

 はあー……。
 蒼龍は、首を横に振ると盛大にため息をついた。
「じいはまるで分かっていない。小蘭妃は、まだ火傷が癒えたばかり。ひとりきりでこの、鬱屈した熱を抑えられるわけもない」
「な……なっ……」
「その点、この娘はいいぞ。三日三晩、夜通し俺の相手をして、それでもまだ足りぬのだと」
 
 蒼龍は娘を懐に抱くと、暴れているのも構わずに片手でぎゅうと胸に押し付ける。
 
「じゃあな、じい。皇后にはうまく言っといてくれ。よーし、最後の自由を、思いっきり楽しむぞー!」

 誰何すいかすることも忘れ、あんぐりと口を開けている楊。
 
 蒼龍はその耳元に、ダメ押しとばかりに囁いた。
「……そうだ、じい。今からしようとしていることは、後宮ここの者たちには少々刺激・・が強すぎる。しばらく、北の離宮には誰も近づけぬように」

 あまりのことに、胸を押さえている楊に、蒼龍は後ろ手をひらひらと振り、意気揚々と歩き去った。

 *

「な……な……」

 すっかり人の気配の消えた小蘭の居室――北の離宮では、先ほどと同じやり取りが繰り返されようとしていた。

「そ、蒼龍。……これは一体どういうこと?」

 女連れで戸口に現れた蒼龍から腰を抜かさんばかりに後ずさった小蘭。

「うん。俺の〝策〟を連れて来た」
「は……?」

 呆気に取られている隙に、蒼龍はさっと戸口の小蘭を躱すと、さっさと中に入ってしまった。
 後に従っていた女が、素早く戸を閉め、内から鍵を下ろしてしまう。

 呆気に取られてその様子を見つめていた小蘭に、女がようやく振り返った。

「あ、あなたが……策?」
「……」
 戸口に張り付くようにして、蒼龍を恨めしそうに睨む女。
 小蘭はその姿をまじまじと見つめた。

 背の高さは、自分と同じくらい小さく、黒い髪は中途半端に短く、それを申し訳程度のお団子に結い上げ、おもちゃみたいな髪飾りがくっ付けてある。

 何と言っても、面白いのはそのお化粧だ。真っ白に塗りたくられた顔に、頬にはわざとらしいほど厚塗りの紅が施されている。
 衣装だけは妙に色っぽいが、丈が合わず、どこか滑稽だった。
 
 自分がいうのも憚られるが、これではまるで――童女のよう。

「ぷっ……」

 小蘭が、思わず吹き出したのを期に、その女は、むんずと自分のお団子を掴むと、思いっきりそれを床に叩きつけた。

「あーっ、もう! 何で私がこんな事をしなくちゃならないんだっ」
「髪、取れた……」

 声が、低い。
 驚く小蘭。

 大股で裾を割りながら女は、ずんずんと部屋の真ん中を闊歩する。
「おい蒼龍っ、何とか言ったらどうなんだ!」

 定位置の椅子に腰かけて、懐かしそうに部屋を眺めていた蒼龍は、腰に手を当て、怒る姿に吹き出した。

「くっ……ひどい恰好だな、日鳳リーファン
「は? 誰がやったか、もう忘れたのか? お前だよっ」

「だって、仕方がないだろう? 後宮ここは原則、男子禁制。お前が見つかったら捕まっちゃうだろ」

「え……じゃあ、やっぱり」
 聞くべきかどうか迷っていた小蘭が、横から口を挟む。
 蒼龍は、椅子からゆったりと立ち上がると、目の前の女(?)の肩を引き寄せた。

「紹介するよ、俺の頭脳ブレイン。未来の丞相、日鳳リーファンだ」

 日鳳と呼ばれた男は、苦い顔のまま目を伏せ、小さく呟くように言った。

 
「……どうも」
 
 
 蒼龍は、口の端をわずかにつり上げた。

「一見童子こどものように見えるが。こいつは――曹を怒らせる天才だ」
 

 
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