後宮恋歌――人質妃ですが、守られるだけでは終わりません

佳乃こはる

文字の大きさ
68 / 103
第二章 華燭

67 俺の真心

しおりを挟む
「その、忙しいのは本当だし、別に君を仲間はずれにしようとしたわけでもないんだ。ただ――」
「ただ?」
 さっきから目を擦ってばかりいる小さな手を、そっと掴んで顔から離してやる。

「……言いたくないな。きっと君は、怒るだろうから」
 
 小蘭は、ぐっと唇を噛み、蒼龍を睨んだ。

「そんなの、聞いてみないと分からないじゃない。私の気持ちを、蒼龍が勝手に決めないで」

 はっとして、蒼龍は小蘭を見上げた。深い翠の瞳に、泉のような輝きが溢れている。
 白い月光が彼女を縁取り、その輝きに目を逸らせない。

「……そうだよな。君ならそうか……そう言うのか」
「なぁに、それ。ね、はぐらかさないで早く教えて」

 少しだけ笑った小蘭の顔に、蒼龍もふっと微笑んだ。

「分かった、言うよ。簡単に言うとーー〝巻き込むのが怖くなった〟ってとこ」

「何よそれ、やっぱり仲間はずれじゃない!」
「わっ、待て待て」
 思い切り振り下ろそうとした拳を掌で止めると、蒼龍は苦笑いした。

「ほら、だから言っただろ、〝君は怒る〟って」
「だって……」
 再びじわっと湧き出た涙を、蒼龍は人差し指の腹で救いとった。
 指先に残った温もりが、いつまでも消えてゆかない。

「あの時。別れ際、君はとても不安そうな顔をしていた」
「それはこの黒曜石オニキスが……」
 言おうとした言葉に、蒼龍の声が重なった。

「俺は、勘のいい君が、気づいたんだと分かったんだ。日鳳は安心させるためにああ言ったが……この戦は、そう簡単じゃないってことに」

「やっぱり!」
 再び拳を振り上げた小蘭に、今度はもう、抵抗しようとは思わなかった。瞳だけを横に流す。

「……俺は、君が〝着いていく〟なんて言い出しかねないと、思ったんだ」
「それ……言おうと思ってた」
 拳を宙に上げたまま、小蘭が言う。

「……やっぱりな」
 
 蒼龍は、小蘭の首にある黒曜石オニキスに、そっと触れた。
 かつて皇后ははから聞いた話――戦で皇帝ちちを庇い、凶刃に斃れた生母の影に思いを馳せる。

 少しの間、沈黙が流れた。
 
 リン……。
 秋の虫の音が、急に大きくなってあたりに響く。

 蒼龍は、小さく息を吐いた。
 隠すことを知らない無垢、今宵の満月のような小蘭かのじょになら、本当の心を明かせる気がした。

「昔ーーここに、とても大切な女性ひとがいたんだ。だが、失った。多分もう、生涯逢うことはないだろう」
「蒼龍……」
「俺が、未熟だった。彼女を、長いこと苦しめてしまった」

 小蘭は驚かない。何故か、蒼龍の悲しみに寄り添っているような表情かおを見せた。
 
 一拍置いて、蒼龍が続けた。

「俺は、もう二度と、俺のせいで大切なひとを無くしたくない。もう一度言うが……この戦は難しい。俺は自分で精一杯、君には手が回らない。そこで、密かに君に護衛をつけることにした」

「まさか……あの門番さん?」

「そう、名は『玄武シュアンウー』――国一番の護りの要だ。後宮も、もう安全とはいえないからな」

 炎に包まれた倉庫の煙たさ、抱き抱えた小蘭の真っ白な顔色、微かな息づかい。
 蒼龍の身体に、生々しい感覚が蘇った。
 
「だから小蘭」
 ためらいがちに絞った声だが、小蘭は、意外にも、柔らかくそれに微笑んだ。
 
「ありがとう、ちゃんと話してくれて。私、待つよ……今日、先生に叱られたの、困らせてはいけないって」

「そう……か」
 ホッと息を吐いたのも束の間、小蘭はきゅっと眉を吊り上げた。

「でもね、だからって、何も教えないことも、一度も会わないのも違うわ。蒼龍の気持ち、ちゃんと言ってくれなきゃ、私には分からない」

 小蘭は、胸にある蒼龍の指を握った。

「そして――私の方にも、伝えたい事だってある。推し量って勝手に決めて、大事だからって遠ざけていたら、今度は、蒼龍の心がひとりぼっちになっちゃうよ」

「小蘭」

 蒼龍は、はっとした。
 しばらく何も言えず、怒った顔をまじまじと見つめる。
 
 それが、自分を孤独にしてきた理由なのだと、初めて気づいたのだ。
 
 小蘭は続ける。
「……その、蒼龍の大事な人にだって。会いたいと思うのなら、会ったっていいって思う。……本当はちょっと妬けるけど。……蒼龍」

 小蘭の涙が、ぴたりと止まった。
 さわ……。
 夜風に、桃の葉が揺れる。
 虫の鳴き声が、ふと止まった。

「私は、蒼龍のことが好き。もう〝仕方なく〟の妃じゃない、本当の〝妻〟になりたいの」

 今にも溢れそうな涙を湛えながら、その目には、曇りのない意思の輝きを放っていた。
 いつものような照れもない。

 静かに燃える、強い眼差しに、蒼龍は一瞬怯んで。
 やがて、訥々と語り出した。

「小蘭、その……俺は……」

 金色の髪を優しく撫で、震える肩を、そっと片方の手で包む。

「……小蘭。俺だって君が好きだし、大切だ。その自由さや素直さが、いつも俺に人らしい気持ちを思い出させる」

 一息、置く。
 
「君がもし、これからの道を共に歩んでくれるのなら、俺は理想の俺になれそうな気がする。しかし……」
 
 蒼龍は、少し言い淀んだ。
 小蘭が、自分を見つめている。

「俺は、絶対に皇帝になると決めている。それも先の世で、名君と呼ばれる皇帝に。それに付き合わせるってことは、君を、俺の世界に引き摺り込むってことだ。……俺は」
 一拍、間を置く。

「君の幸せを願うなら、早く俺から解放すべきだと、これまでずっと考えてた」

 小蘭が蒼龍にしがみついた。

「そんなこと! 私の幸せなんて、勝手に決めないでよ」
「まあ、話は最後まで聞けよ」

 蒼龍は、肩にあった手を後頭に回し、小蘭を胸の中に包み込んだ。

「蒼――!」

「結局、手放せなかったんだ。優柔不断だと、嗤ってくれていい。これまでずっと。自由な小鳥を繋ぎ止めようと……必死だった」

 胸の中で、小蘭が強く首を横に振っている。
 しばらく二人は、そのままの姿で抱き合っていた。
 冴え冴えとした月の光がその姿を淡く照らす。

 だが、蒼龍にとってそれは今や、温度のない、冷たい光ではなく、暖かな体温と清浄を感じられる光だ。

 やがて、小蘭が埋まっていた胸から顔を上げた。
「ん? どうした」
 まじまじと見つめられ、蒼龍が首を傾げる。

「決めた蒼龍。私、あなたの子を産むわ」
「……は?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮祓いの巫女は、鬼将軍に嫁ぐことになりました

由香
キャラ文芸
後宮で怪異を祓う下級巫女・紗月は、ある日突然、「鬼」と噂される将軍・玄耀の妻になれと命じられる。 それは愛のない政略結婚―― 人ならざる力を持つ将軍を、巫女の力で制御するための契約だった。 後宮の思惑に翻弄されながらも、二人は「契約」ではなく「選んだ縁」として、共に生きる道を選ぶ――。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

【完結】後宮の片隅にいた王女を拾いましたが、才女すぎて妃にしたくなりました

藤原遊
恋愛
【溺愛・成長・政略・糖度高め】 ※ヒーロー目線で進んでいきます。 王位継承権を放棄し、外交を司る第六王子ユーリ・サファイア・アレスト。 ある日、後宮の片隅でひっそりと暮らす少女――カティア・アゲート・アレストに出会う。 不遇の生まれながらも聡明で健気な少女を、ユーリは自らの正妃候補として引き取る決断を下す。 才能を開花させ成長していくカティア。 そして、次第に彼女を「妹」としてではなく「たった一人の妃」として深く愛していくユーリ。 立場も政略も超えた二人の絆が、やがて王宮の静かな波紋を生んでいく──。 「私はもう一人ではありませんわ、ユーリ」 「これからも、私の隣には君がいる」 甘く静かな後宮成長溺愛物語、ここに開幕。

大正浪漫? 夫婦契約致しました ~暗闇の中、契約夫と密やかにはぐくむ愛~

佳乃こはる
キャラ文芸
老舗製糸屋・両口屋家のひとり娘、陽毬(17)は、父の事業失敗の責任を負う形で、成金の物産商・権藤家へ嫁いだ。 それは恋ではなく、家を救うための契約の婚姻。 しかも、夫となる権藤宿禰(26)は病のため人前に出られず、屋敷の地下で暗闇に閉ざされて暮らしているという。 不安と恐れを胸に、初めて対面した夜。 陽毬が出会ったのは、噂とはまるで違う、知的で誰より暖かい心を持つ夫だった。 契約から始まった夫婦は、言葉を交わし、寄り添い、少しずつ心を育んでいく。 これは、温かな闇の中で選び合う、切なくも、けなげな愛の物語。

香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く 

液体猫
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/  香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。  ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……  その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。  香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。  彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。  テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。  後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。  シリアス成分が少し多めとなっています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】 佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。 新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。 「せめて回復魔法とかが良かった……」 戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。 「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」 家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。 「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」 そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。 絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。 これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

処理中です...