後宮恋歌――人質妃ですが、守られるだけでは終わりません

佳乃こはる

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第三章 帰還

73 抱きしめる理由

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「どうでしたか?」
「うん、もっと静かな方かと思ってたら……全然違った。……女の私でも恋しちゃいそうな感じ」
「そうでしょう」
「先生だって、私とは全然態度が違ってた。珍しくお顔がデレてたし」
「……デレてません」
「嘘」
 春明は、むっとして黙った。
 ややあって。
 
「黎妃は……本当にいいです。小蘭の言う通り、私もあの子が大好きですよ。でもね」
 
 一拍置いて。

「近づきすぎると、取り返しがつかない事もあります」
 
 それ以上、春明は何も言わなかった。
 ふたりともが、しばらく無言のまま、帰路をゆく。

 春明の庵が、夕焼けの中にやっと見え始めた頃に、小蘭はぽつりと言った。
 
「……それでも、私は行く」

 *

 その日から小蘭は、毎日、黎妃様のもとへ通った。
 歌をうたい、食事を手伝い、時には叱られ、そして、抱きしめられ――その腕のぬくもりが、日に日に当たり前になっていくのを、小蘭は心地よく感じながら、同時に、少しだけ怖れてもいた。
 
「いらっしゃい。さあ、今日は何をして遊ぶの?」
「えへへ……」
 小蘭は、身分差をわきまえつつも、その時間だけは、姉妹のように過ごすことができた。

 だが、その間には――それは決まって皇帝の訪いがあった翌朝だが――黎妃様がひどく弱り、寝台に伏せる日もままあった。

 そんな日は、寝台の端に腰掛けて、春明とふたりで看病をした。
 すると、決まって黎妃様は、小蘭をぎゅっと抱きしめるのだった。
 
「わっ……」
「ありがとう、小蘭。こうしてると元気を貰える。蒼大哥にいさまと同じ、お日様の匂いがするから」

 照れくさくて困ったけれど、小蘭は、その腕の重さと心地の良さを前に、どうしたって振りほどけなかった。

 だが――小蘭がここへ来るようになってから、三か月が経っていた、その日。
 
 ふたりの訪れに何の反応も見せず、床に臥ったままの黎妃様を見た時、小蘭はすぐに、嫌な予感を感じた。

「黎妃様、……黎貴妃リーグゥェイフェイ!」
 いつもどおり診察に向かった先生が、珍しく大きな声を上げた。

「お毒見」とばかりに葱油餅ツォンヨゥピン摘み食いしていた小蘭が、喉に詰まらせて慌てていると、青い顔の春明が、手招きしている。
 
「何してるんです、早く来てくださいっ」
「そんなこと言ったって……」

 黎妃様は、息をするのも辛そうなほど顔色を失い、身体のあちこちに痣や傷があった。
 
 春明先生は小蘭に傷薬の準備を指示をすると、早速あちこちを診はじめた。
 
「お腹の子が……動いているのが分かりますか?」 

 こくん。
 力なく、ゆっくりと頷く黎妃様に、先生はホッとひと息を吐いた。
 
「少し冷たいですが、我慢してくださいね。お薬を塗りますから、美雨……小蘭」
 
 小蘭が薬の小鉢とヘラを春明に渡すと、傷に触らないよう、そっとお召し物に手をかける。

「失礼します」
 薬を塗るのを補助するため、小蘭は目を閉じることもできない。

 目を覆いたくなるほどの傷を見て、小蘭の脳裏に、昨夜の情景がよぎった。

 灯りの落ちた寝所と、閉ざされた扉。
 ぞくりと、全身が粟立つ。

 涙をぬぐうこともできず、小蘭はただ無心で手を動かした。

 ようやく処置が終わる頃には、黎妃様の呼吸は随分と楽になっていた。
 
「ありがとう、春明……とても楽。冷たくって……気持ちがいい」
「……酷いことを。一体、何があったのですか」
 唇を噛んだ春明に、黎妃は俯いて黙り込んだまま。
 
「……」
「言いたくないなら、無理には聞きません。しかし、こんなことが続くようなら、貴女も、貴女の御子も無事ではすみませんよ」
「……」
 春明のたしなめる声にも、黎妃は頑なに口をつぐんだままでいる。先生は、大きな溜息をついた。
 
「……くれぐれも、御身を大切になさってください。食事は摂れそうですか?」
 
 床の上で、黎妃様は弱々しく首を横に振る。
 それから、小蘭に向かって手招きした。

「小蘭」
「は、はい」
「こちらへ来て、この中へ。ぎゅってさせて?」
「え? でも、それは」
 
 黎妃は何と、自分の寝台に小蘭を誘ったのだ。
どうしていいか分からずに、小蘭は春明の顔を伺うも、先生もまた戸惑っている。

 すると黎妃様は、目に涙をいっぱい溜め、さらに請うた。
「お願い小蘭、こちらへ来て。私、哀しいの。小蘭あなたの元気を私に頂戴」
 
 〝お行きなさい〟の意を込めて、先生がひとつ頷いた。
「で、では。失礼します」
 
 黎妃の、軽い羽根の布団を少しだけ捲り、なるべく傷に触れないようにして、小蘭はその中へ入った。
 瞬間。
 
「わっ」
 黎妃様は、バサッとお布団を小蘭の頭から被せ、自分ごと布団の中に潜り込んでしまった。
 
「ち、ちょっと黎妃様、一体何を……え? あ、やめてそこ擽ったいっ」
「ふふっ」
 布団の中で、不意にくすぐられ、小蘭は思わず声を上げた。
「ちょ、あなた達一体何を。黎妃さま? お身体に障りますよ……まあ、いいか、お元気そうですし」
「ちょ、先生見捨てないで!」
 
 ぶはっ。
 小蘭が布団から顔と右手を出し、助けを求めるも、春明先生は耳を塞いでいる。

 ――あの傷が痛まないはずがないのに、今このこの悪ふざけ。一体、どうしたっていうの?

 その瞬間、抱き寄せる腕が、助けを乞うように縋って震えた。
「黎妃……さま?」
 急に態度を変えた黎妃が、小刻みに震えていることに、小蘭はふと気が付いた。
 か細い声が、寄せられた唇から耳に入ってくる。

(ごめん小蘭。少しだけ……じっとしていて。大切なお話があるの)
 
 それまで必死に抵抗していた小蘭は、その囁きにそっと動きを止めた。

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