後宮恋歌――人質妃ですが、守られるだけでは終わりません

佳乃こはる

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第三章 帰還

94 玉座の隣

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「全く、春明は俺を何だと思っているのか」

 蒼龍は、そっと小蘭から身を離した。

「ここは、王の執務室内のーー休憩用の部屋なのだそうだ」
「ふうん」

 小蘭が見渡すと、さっきと同じ黒を基調とした重厚な造り。
 ただ、大きく違うのは、部屋の真ん中に、大きな天蓋付きの寝台が据えられていることだ。
 
 うーんと伸びをしながら、蒼龍が隣に立った。
 
「しかし、皇帝ってのは、不自由なものだな。俺はもう、ひと月もここに缶詰め状態だ」

 小蘭が笑った。
「だから、ちっとも後宮に来なかったのね」
「ああ、君に会うのにすら、一苦労さ」

 二人は顔を見合わせて笑った。

「……おかえり、蒼龍」
「ただいま、小蘭」

 小蘭は、照れくさくて後ろを向いた。

「街にいた時は、毎日言ってたよね」
「なけなしの売り上げを持ってな。小蘭は、火起こしが随分上手くなってた」

「懐かしいな……」

 言ったきり、黙り込んだ。

 さっきから〝二人きり〟を意識しすぎている。

 その緊張が伝わったのか、流暢に喋っていた蒼龍も、どこかぎくしゃくし始めた。

「その……元気そうでよかった。特に……困っていることはないか?」
「う、うん。後宮も随分落ち着いてきたし……毎日退屈で、死にそうなくらいよ」
「そうか」
 
 再び沈黙。
 
「あの……蒼龍!」
「――小蘭」

 小蘭が振り返ったのと、蒼龍が名を呼んだのは、ほぼ同時だった。

「あ……何?」
「う、ううん。大したことじゃない。……先に言って。何か用事があったんでしょう」

「あ、ああ。そうだな。じゃあ……」

 そう言ったきりで、蒼龍は再び口を閉じた。
 高い天井を見上げ、小蘭に目を向けてから、またすぐに天井を向く。

 その姿が、この荘厳な部屋にいかにも不似合いな、年相応の青年に見えてーー。

「ふ……」
 小蘭はついに噴き出した。

 
「あ、はははっ」
「……なんだよ、笑うなよ」

「ふふっ、……だって」
 ばつが悪そうに頭を掻いた蒼龍は、それでもホッとした様子で、目を細めた。
 
「話したいことは、山積みだが……」

 彼は、表情を引き締めると、改めて小蘭に向き直った。

「実は今日、君をここへ呼んだのは――どうしても、直接伝えたいことがあったからだ」
 小蘭が、きゅっと唇を引き結んだ。

「君も知ってのこととは思うが――十日後の戴冠式で、俺は正式に即位をする」

「うん、とうとう……」
「ああ、俺が、夏国皇帝だ。望みが、ようやく叶った」

 力強く告げる蒼龍に、小蘭は息を呑んだ。
 じわりと目頭が熱くなる。
 
「おめで――」
 言おうとして、喉が詰まる。

 そんな小蘭に目を細めると、蒼龍はすっと手を伸ばした。

「小蘭……君にはその時、隣に座っていて欲しい。俺の正妃、皇后として」

 ――え?

 小蘭は、大きく目を見開いた。
 
 何を言われているのか、すぐには理解出来なかった。

 一瞬の間が空いて、小蘭はようやく言葉を紡ぎ出す。

「で、でも、それは……」
 
 自分は、身分の低い小国の姫だ。
 そんな大役が務まるものか。

 皇后の間に呼ばれた日。
 荘厳かつ重厚な部屋で、多くの者に囲まれながら、皇后様は独りだった。

 たくさんの思惑の中にあって、我が子同然に育てた蒼龍への気持ちすら、口に出すことが出来ない立場。

 小蘭は、その手を見つめたまま、動けなかった。
 伸ばせば届く距離なのに。
 
「……皇后は、独りになる人よ。守られているようで、誰にも弱さを見せられない。そんな人に、私がなれる?」
 
 小蘭の迷いに、蒼龍は半歩前に出た。

「だから俺は、君を独りにしない。その孤独ごと引き受けよう」
 
 だが小蘭は、蒼龍が前に出たのと同じだけ、身を引いた。

「私は……あなたとは違う。死ぬのが怖いわ」
 
 今、小蘭の脳裏に浮かぶのは、足の下を這う黒い油のような蛇のぬめりと、目の前で燃え盛る炎。
 立ちはだかる死の恐怖に、思わず身を縮ませる。

 蒼龍は、さらに一歩近づいた。

「君の身は、俺が必ず護る。今までと同じように」

 ――そうだ。
 彼は、どんなに無茶をしても、いつだって私を護ってくれた。
 火事の時には、その想いを曲げさえして。
 そしてあの夜、私が彼を焚き付けたんだ。
『一緒に戦う』と、そう言って。

 小蘭の足が止まった。手を前に出しかけて、また引く。

 最後に一つ、心の端に引っかかっていることがあった。
 それは、出会った頃からずっと澱のように胸に溜まり続けていた哀しみ。
 
「その……黎妃様は?」
「黎妃? ああ、そうか……君は今も」

 彼は、少しだけ口の端を上げ、それからきっぱりと返した。
「俺は、いまやっと、皆にひとつ返すことができた。黎妃にも。今度は、俺自身の番だ」

 息を止め、ひとつ間を置いた。

「黎妃じゃない。俺は――君がいい」

 少しの沈黙の後、小蘭はまっすぐに顔を上げた。
 
 差し出された右手は取らず、小蘭は一歩前に出た。
 そうして、彼の隣に立った。

「……言葉は、いらないってことか」
 
 くっと口の端を上げた蒼龍。
 彼に向かってうなずいた時、小蘭には、もう迷いも恐れもなかった。

 この男の隣なら、どんな場所でもいいと思えた。
 
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