後宮恋歌――人質妃ですが、守られるだけでは終わりません

佳乃こはる

文字の大きさ
96 / 103
第三章 帰還

95 初めて触れた傷跡

しおりを挟む

「小蘭、こちらへ」
〝皇帝〟のために焚かれた甘い香が、折り重なって白く薫る。
 紫檀の寝台に腰掛けた蒼龍が、小蘭に向かって右腕を伸ばした。

 彼の黒い瞳の中に、普段の軽さやなれ合いはなかった。
 今宵は、一度も自分を茶化さない。

 とくん。
 心臓が、震えた。

 ためらいつつも、小蘭の手が、その指先に触れる。
 すると、彼の手が腰に回り、小蘭の身体はゆっくりと、着実に引き寄せられた。

「あ……蒼龍」
 
 膝の上、厚い胸の中。

「小蘭、やっと俺の手に――ああ」
 彼は、膝上に大事そうに小蘭を抱えると、しばらくそのまま、動かなかった。
 
 四年間も、何だかんだと理由をつけ、距離を保っていた蒼龍。

「もしかして、待っていて……くれた?」
 私の、覚悟が決まるのを。
 
 触れた身体の熱に、窒息しそうになりながら、小蘭がようやく声を出す。
 
 すると彼は、身体を離して小蘭に微笑んだ。

「ああ――長かった。でも……」
 黒い瞳が、翡翠色の瞳の奥をしっかりと見すえた。

「もう、待たないぞ」

 その言葉に、胸の奥で何かがほどけた気がした。
 眼差しに絡め取られているうちに、彼の顔が近づく。
 呼吸が、同じ速さで重なると、ふるりと唇が触れ合った。

「ん……」

 小蘭にとって、ひと月ぶりの口づけは、いつもより、ずっと深く、何度も何度も続けられた。
 
「小蘭」
 口づけのまま、蒼龍は徐々に身体を崩す。小蘭を上にして、寝台へと倒れ込む。

「や、耳……擽ったい」
 金色の髪を耳に掛ける指の仕草に、小蘭が小さな悲鳴を上げる。

 蒼龍が、目を三日月みたいに細めて笑った。
 
「そうか、ならばもっとやろう」
「もう、意地悪っ……ん……」

 悪態を唇で塞ぐと、蒼龍は、小蘭の腰を縛る紐を抜いた。
 男の子用の簡素な襦袢は、それだけで簡単に落ちてしまう。

「あ……あの、私――」
「……分かってる」

 硬い掌が、小蘭の肩をするりと撫でた。
 肌の暖もりが直に伝わると、ぞくりと産毛が震えた。

 少し怖い、でも嬉しい。
 彼の動きに、どうしていいかわからなくて、小蘭はきゅっと身を縮ませる。
 
「力、抜いて」
 そのたび彼の掌が、緩やかに身体を撫でながら、緊張を解きほぐしてゆく。
 
 己の肌を滑るその掌は、その動きの優雅さとはかけ離れ、硬くひび割れて武骨だ。

 彼がその手に剣を握り、ここに来るまでに幾多の戦いを越えてきた証。
 山間の街から別れた後も、彼はずっと剣を握って――

 その手が急に愛しくなって、思わずきゅっと握りしめると、長い指が、そっと小蘭の指に絡まった。
 
 小蘭を下に、蒼龍が上に乗り上げる。
 揺らめく燭台の薄明かりの中、生まれたままの姿が浮かび上がった。
 
「――怖いか?」
 蒼龍の胸が、わずかに息を止めたように固くなる。
 
「だ、大丈夫」
 声が、思ったより震えていた。
 
 彼は柔らかに微笑みながら、ゆっくりと覆い被さった。

 その動きに違和感を感じ、瞬かせたその目に、ぱっくりと口を開けたようなものが映し出された。

(これは……?)

 首を傾げたと同時に、それが傷だと理解した。
 
 無数の小さな傷跡の中、それは、ひときわ大きく焔に照らし出されている。
 
 生身のそれを、小蘭は今、初めて目にしたのだ。

(こんなに長く、一緒にいたのに)

 この傷を負わせたのが誰だったか。
 小蘭はもう知っている。

 思わず手が、そこを目指して伸びてゆく。

「小……蘭?」
 蒼龍の黒い瞳が、その手を捕らえた。
 小蘭の指が、宙で止まる。

 けれど。
 目の前にいるのは――蒼龍だ。
 
 傷に触れた瞬間、涙が堰を切ったように溢れてきた。
 
「……どうしよ……好き……蒼龍」
 
 蒼龍は、ため息のように息を吐いた。

「ああ……俺もだ」
 再び深く口づけながら、小蘭の中にその身を沈めてゆく。

 小蘭はそっと目を閉じながら、彼の腰に両腕を回し、その傷ごと抱きしめた。

 ふたりの吐息にあわせるように、燭台の火がゆらゆら揺れる。

 白い香の重なりが、ほどけながら、更けゆく夜を包み込んでいった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮祓いの巫女は、鬼将軍に嫁ぐことになりました

由香
キャラ文芸
後宮で怪異を祓う下級巫女・紗月は、ある日突然、「鬼」と噂される将軍・玄耀の妻になれと命じられる。 それは愛のない政略結婚―― 人ならざる力を持つ将軍を、巫女の力で制御するための契約だった。 後宮の思惑に翻弄されながらも、二人は「契約」ではなく「選んだ縁」として、共に生きる道を選ぶ――。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

【完結】後宮の片隅にいた王女を拾いましたが、才女すぎて妃にしたくなりました

藤原遊
恋愛
【溺愛・成長・政略・糖度高め】 ※ヒーロー目線で進んでいきます。 王位継承権を放棄し、外交を司る第六王子ユーリ・サファイア・アレスト。 ある日、後宮の片隅でひっそりと暮らす少女――カティア・アゲート・アレストに出会う。 不遇の生まれながらも聡明で健気な少女を、ユーリは自らの正妃候補として引き取る決断を下す。 才能を開花させ成長していくカティア。 そして、次第に彼女を「妹」としてではなく「たった一人の妃」として深く愛していくユーリ。 立場も政略も超えた二人の絆が、やがて王宮の静かな波紋を生んでいく──。 「私はもう一人ではありませんわ、ユーリ」 「これからも、私の隣には君がいる」 甘く静かな後宮成長溺愛物語、ここに開幕。

大正浪漫? 夫婦契約致しました ~暗闇の中、契約夫と密やかにはぐくむ愛~

佳乃こはる
キャラ文芸
老舗製糸屋・両口屋家のひとり娘、陽毬(17)は、父の事業失敗の責任を負う形で、成金の物産商・権藤家へ嫁いだ。 それは恋ではなく、家を救うための契約の婚姻。 しかも、夫となる権藤宿禰(26)は病のため人前に出られず、屋敷の地下で暗闇に閉ざされて暮らしているという。 不安と恐れを胸に、初めて対面した夜。 陽毬が出会ったのは、噂とはまるで違う、知的で誰より暖かい心を持つ夫だった。 契約から始まった夫婦は、言葉を交わし、寄り添い、少しずつ心を育んでいく。 これは、温かな闇の中で選び合う、切なくも、けなげな愛の物語。

香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く 

液体猫
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/  香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。  ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……  その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。  香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。  彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。  テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。  後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。  シリアス成分が少し多めとなっています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】 佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。 新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。 「せめて回復魔法とかが良かった……」 戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。 「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」 家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。 「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」 そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。 絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。 これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

処理中です...