後宮恋歌――人質妃ですが、守られるだけでは終わりません

佳乃こはる

文字の大きさ
97 / 103
第三章 帰還

96 皇帝になる瞬間

しおりを挟む

「少し無理をさせたか……もう少しその……優しくするつもりだったんだが」
 蒼龍は、肩で息をする小蘭を自分の胸に引き寄せた。
 彼女の掌が傷に触れた瞬間、制御が効かなくなり、気づけば夢中で抱いていた。
 
「……ううん、私だって、ちょっとはその……期待してたから」
 口ごもった小蘭に、蒼龍はふっと砕けた。

「そう言われると……少し照れる」
 蒼龍は、小蘭の頭をかき抱き、ぐしゃぐしゃにした。
 
「もう!」
「はは、悪い」
 桃のように膨らませた頬。
 その様が、ただ愛しい。

「こっちに着いて、ごたごたが終わった後も、本当に忙しくってさ」
 蒼龍が、金の天蓋を見上げながら呟いた。
 
「そのまんま、この部屋から一歩も出ていない。……親父も歴代の御先祖も、きっと多くの時間をここで過ごしたんだろうな」

「ふうん、皇帝って、遊んでばっかりってわけじゃないんだ」

 出会い頭から、小蘭の「皇帝」の印象は良くない。何せ前皇帝は、まだ十六だった自分を、黎妃様に振られた腹いせに、玩具にしようとしたのだ。
 
 蒼龍か、苦笑した。

「まあ、色んな皇帝やつがいたんだろう。……今はやることは山積みで、そんな日がくるとはとても思えないがな」
「何せ、私をここに引っ張り込むくらいだもんね」
「ちぇ、言ってくれるな」
 
 いつもの空気が、戻ってきた。
 おかしなもので、広い寝台の真ん中でも、ふたりはあの狭い竹の寝台で身体を暖めていた時のように身を寄せ合う。

「でも……私は嬉しかったよ? そうでもしないと会えさえしないもの」
「そうか。じゃあ、七日間も日鳳に駄々を捏ねたかいがあった」
「やだ、そんなに?」
 
 ふと、燭台の蝋燭が短くなっているのが目に入り、蒼龍はひとりごちた。

「――あの夜は、曹丞相あいつもこの部屋に居たんだ」

 都に帰りついた夜。
 その記憶は、蒼龍の中に鮮明に残っている。

「あ、悪い、その」
 独り言が声に出ていたのに気づき、ハッと小蘭に意識を向ける。
 すると小蘭はすでに聴く姿勢で、こちらの口が開くのをじっと待っている。

(全く。彼女には――敵わない)

 翡翠の瞳が心の隙に入ってくると、身体が急に軽くなったように感じた。
 気付けば蒼龍は、己の胸に添えられた小さな手の甲を撫でながら、心の内に溜まった澱みを吐き出していった。

「あの夜は――驚くほどすんなり事が進んでいったんだ」

 *
 
 王都は、拍子抜けするほどあっさりと落ちたんだ。
 
 曹は俺を舐めていて、準備などしていなかったんだろう。あれよのうちに走り回り、気づけば俺はこの部屋に立っていた。
 真夜中だった。
 曹は夜着を着ていて、護衛もつけず、たった一人で文机について……本当に何も予測していなかったんだろう、俺を見て驚いていたよ。

 奴は、最初こそ剣を抜いて立ち向かおうとしたが、こちらを見て、すぐに観念した。

 急に目に涙を溜めると、「太子様、よくご無事で」ときた。
 ……相変わらずだ。

 白虎の号令で捕えられると、
「太子、婿殿。これは一体、どういうことです?」
と、信じられないくらい無垢な表情で俺を見つめていた。

 取り押さえられ、両腕を拘束された曹と俺が向かい合う。
 日鳳が、冷酷に告げた。
「曹丞相、あなたには覇皇帝を弑虐したうえ、蒼龍太子をも亡き者にせんとした疑いがございます」
 
「日鳳……あれだけ目をかけてやったのに」
 小さなつぶやきにも、日鳳は眉ひとつ動かさない。

 曹は、ただ放心していた。
 一瞬、虚無の表情を浮かべたが、すぐに表情を戻すと、切に涙を流して訴えた。

「わ、私めが、覇皇帝を……弑虐したと? 何と恐ろしい……あり得ない! それは、とんでもない誤解だ」

 曹は、縄を打たれ、床に膝をつけたまま、くるくると周りを取り囲む兵たちに訴え、そして最後に俺を見た。
 
「蒼龍太子は我が愛娘、凛麗の許婚。以前より、皇家と我が家は、家族同様の付き合いだ。蒼龍太子……それを、なぜそのような」

 奴は、真に悲しそうに俺を見つめた。
 暫くの間、俺は奴と目を合わせていた……ように思う。

 何だったかは忘れたが、俺は、何か声をかけようとした。
 だが、俺が声を発しようとした瞬間に、白虎が吠えた。
 「罪人を、獄へ送れ!」

 俺は、奴がそのまま、咽び泣きながら地下牢へ連れていかれるのを黙って見ていた――。

 *
 
「曹丞相は、蒼龍に命乞いをしようとしていたの? 蒼龍を――弑そうとしたのに」
 悔しそうに唇を噛む小蘭を見て、蒼龍はすっと目を細めた。
「さあ……どちらかというとその時は、そこまでのことを考えていなかったんじゃないかな。奴は俺を甘く見ていたし」
 ジジッ。
 燭台がひとつ、音を立てて消えた。
 部屋の明かりが一段落ちると、紅く昏く景色が揺れた。

「本格的に、奴がそれをしたのは、二日後だったよ」

 *

 審判は二日後、謁見の間だ。
 重臣たちが固唾を呑んで見守る中、奴は、縛り上げられ、床に正座していた。
 
 対する俺は、玉座にある。
 皇后の座には母が座し、その左右に日鳳と白虎、廷尉が三人、左端に控えている。
 
 曹は元々、恰幅の良い美男子だが……。
 獄で苛め抜かれたのだろう、皇帝殺しの謀反人として引き出された奴は、酷く窶れ、ボロボロだった。

 廷尉たちによる、形ばかりの尋問が始まった。

曹権武ツァオチュエンウー。皇位を簒奪せんと企み、故覇皇帝に叛意を抱き、策を弄して暗殺した逆臣」

 曹の目が、信じられないといった様子で周囲を見た。
 
「……またその際、皇帝を唆して蒼龍太子を弑し、その罪を太子になすりつけることをも画策した。全くもって悪逆非道極まりない」
 
 廷尉が竹簡を巻き上げる音と、朗々とした声だけが、冷たく広間に響き渡る。

「こ、これは、何かの間違いです!」
 曹は、縄を打たれ、床に膝をつけたまま、くるくると周りを取り囲む重臣に向けて訴えた。
 
「覇帝がお若い時から戦場に、政に邁進した……そんな自分が、皇家の簒奪など。これは罠でございます」
 重臣どもが、気まずそうに目を逸らす。

 ……確かに、曹は優秀だ。
 奴の弁明いいわけを聞いているうちに、俺は、奴が本気で国を憂いていたように思えてきた。

 廷尉たちの厳しい責めに言い逃れが効かないと分かると、曹は、俺の情に訴えてきた。

「蒼龍太子。私はあなたがまだ、私の腰ぐらいの背丈だったころから存じ上げている。皇后様の後を追う貴方がいかに愛らしかったか! ねえ、皇后様」

 曹は縄に縛られたまま、皇后ははを向いて訴えた。
 
「我が家に招いた折には、凛麗リンリィとままごと遊びをしたりして」

 しかし皇后は黙ったまま。わずかに膝の上で指を組み直しただけだった。
 そこで奴は、また俺の方を見た。

「……大人になった貴方様は、文に優れ武に優れ、それはご立派になられた。樊殿が剣術を、私がまつりごとを仕込んで差し上げたからです」
 
 奴の目に浮かんだ涙が、広間の灯りを反射した。

「この際、はっきり申し上げます、太子。情で国は動きませぬ。私は、国を傾かせた愚かな老人よりも、聡明な貴方にお仕えしたい」

 縄が軋む音がして、奴が、腹に力を入れたのが分かった。

「私なら、貴方の国造りのお役に立てます。蒼龍太子、いえ、蒼龍皇帝ツァンロンホァンタイ!」

 その刹那、胸の奥に、小さな影が差し――気がつけば、俺は玉座から立ち上がっていた。
 曹が差し出した未来は、俺と曹丞相が並び立つ国――理と才だけで支える、新しい秩序。そんな理想を、頭の中に思い描いた。
 
 瞬間、俺は――皇帝ではなく、太子でもなく、ただの、判断を先延ばしにしたい男になった。
 
「曹、俺はお前を――」

 “赦す”と、口の形をつくりかけた時だった。

刎 首ふんけい!」

 大声で、日鳳が被せた。
 
 広間は静まり返っている。
 皇后も、誰も異を唱えない。

 瞬時に、白虎が飛びあがった。

 大剣が一閃し、
 胴と首が離れた。

 白虎の剣が血を払った音を、俺は聞いていなかった。
ただ、息の仕方を忘れたように、目の前の光景だけが動いていた。

 こと切れる寸前。
 曹は、最後に一度だけ、広間を見回した。
 俺はその視線から、目を逸らしてはいけないと――そう思った。

 *
 
「刃を命じたのは、日鳳だ。だが、その言葉が俺の代わりだったことを――俺だけは、分かっていた」
 
  小蘭の手を撫でる指が、いつの間にか震えていた。
 
 そんな蒼龍から、小蘭は目を逸らさない。
 それだけで、十分だった。
 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮祓いの巫女は、鬼将軍に嫁ぐことになりました

由香
キャラ文芸
後宮で怪異を祓う下級巫女・紗月は、ある日突然、「鬼」と噂される将軍・玄耀の妻になれと命じられる。 それは愛のない政略結婚―― 人ならざる力を持つ将軍を、巫女の力で制御するための契約だった。 後宮の思惑に翻弄されながらも、二人は「契約」ではなく「選んだ縁」として、共に生きる道を選ぶ――。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

【完結】後宮の片隅にいた王女を拾いましたが、才女すぎて妃にしたくなりました

藤原遊
恋愛
【溺愛・成長・政略・糖度高め】 ※ヒーロー目線で進んでいきます。 王位継承権を放棄し、外交を司る第六王子ユーリ・サファイア・アレスト。 ある日、後宮の片隅でひっそりと暮らす少女――カティア・アゲート・アレストに出会う。 不遇の生まれながらも聡明で健気な少女を、ユーリは自らの正妃候補として引き取る決断を下す。 才能を開花させ成長していくカティア。 そして、次第に彼女を「妹」としてではなく「たった一人の妃」として深く愛していくユーリ。 立場も政略も超えた二人の絆が、やがて王宮の静かな波紋を生んでいく──。 「私はもう一人ではありませんわ、ユーリ」 「これからも、私の隣には君がいる」 甘く静かな後宮成長溺愛物語、ここに開幕。

大正浪漫? 夫婦契約致しました ~暗闇の中、契約夫と密やかにはぐくむ愛~

佳乃こはる
キャラ文芸
老舗製糸屋・両口屋家のひとり娘、陽毬(17)は、父の事業失敗の責任を負う形で、成金の物産商・権藤家へ嫁いだ。 それは恋ではなく、家を救うための契約の婚姻。 しかも、夫となる権藤宿禰(26)は病のため人前に出られず、屋敷の地下で暗闇に閉ざされて暮らしているという。 不安と恐れを胸に、初めて対面した夜。 陽毬が出会ったのは、噂とはまるで違う、知的で誰より暖かい心を持つ夫だった。 契約から始まった夫婦は、言葉を交わし、寄り添い、少しずつ心を育んでいく。 これは、温かな闇の中で選び合う、切なくも、けなげな愛の物語。

香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く 

液体猫
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/  香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。  ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……  その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。  香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。  彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。  テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。  後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。  シリアス成分が少し多めとなっています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】 佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。 新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。 「せめて回復魔法とかが良かった……」 戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。 「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」 家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。 「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」 そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。 絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。 これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

処理中です...