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元夫の苦難40
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レティシアがクロード殿下の執務の手伝いに頻繁に訪問するので同行している。
王宮魔導士に呼ばれて席を外したが要領の得ない話を早々に切り上げて執務室に戻るとレティシアの姿がない。
「殿下、レティシアはどちらに?」
「お茶の用意に立った。遅いな」
「失礼します」
レティシアはお茶へのこだわりが強いから、教養の足りない侍女には任せず自分で動く。アリア様が療養してからは王宮の侍女の質が落ちている。殿下に近づくために仕官している令嬢達だから仕方ないか。良縁を掴めずに容姿端麗で優しい殿下の妾狙いの侍女達は、職務に忠実で給金目当ての平民の侍女ほども役に立たない。
そして身の程をわきまえていない侍女は殿下のお気に入りで執務室への出入りが自由に許されているレティシアを嫌っている。
王宮は危険なので魔力を辿って急いでレティシアを探す。王宮に行く馬車の中で必ずリボンを髪に飾っている。魔力を感じる部屋の前にレティシアに嫉妬している侍女が立っていた。
「ここは関係者以外立ち入り禁止です」
「婚約者を迎えに来た」
「お通しできません」
「リオ・マール。俺に命令できるのは王族だけだ。君は王族?」
立場がわかっていない侍女。後で侍女長と生家に不敬を問い質そう。
扉の前から動かない侍女に武力行使するか。
近付いてくるレオ様を見つけて今は穏便な方法を選ぶか。
「どうした?」
「レオ様、レティシアが中にいるんですが、関係者以外立ち入り禁止と」
「父上なら俺が説得するよ」
「おやめください。危険です」
レオ様の命令さえも無視する侍女を力づくでどかして、扉を開けて中に入ると目を見張った。床は血で汚れ、血の海に座り込むレティシアがいた。足元には見たことのない大きな魔法陣が光り広がっている。
「レティシア」
「リオ、やだ、お願い消えないで。どうかこれだけは奪わないで。何もいらないから、どうか」
真っ青な顔で泣き叫ぶレティシアの体を魔力が囲んでいる。名前を呼んでも視線は魔法陣。腕から流れる血がドクドクと魔法陣を染めレティシアの体の周りの青い魔力がどんどん濃くなる。血まみれの短剣を持ち躊躇いなく突き刺すのを止めたくても青い魔力に覆われて近づけない。
「レティシア!!」
名前を呼んでも聞こえていない。彼女を止められる存在は一人だけ思い当たる。
「シア!!」
「お願いだから出てこないで!!親愛なる水の精霊、我に力を与え給え」
「かのものに大地の安らぎの眠りを」
泣き叫んでいるレティシアの体が崩れ、青い光と魔力が消える。
崩れる体に手を伸ばすと足元の魔法陣がさらに輝く。抱きしめて風の結界で包むと爆音と爆風に覆われた。
腕の中のレティシアは涙で顔を濡らし真っ青な顔で気を失っている。左腕は傷だらけで血が流れ続ける。左手に突き刺さっている短剣を抜いたらさらに血が溢れるだろう。
部屋が半壊し、青い顔をしている魔導士と神官がいる。
レオ様が近づいてきたので結界を解除する。レティシアの腕に手を当てレオ様が詠唱すると血が止まった。短剣をそっと抜いてまた詠唱している。
「あとは治癒魔導士に頼んだほうがいい。記憶さらしの魔法陣を用意した理由を聞かせてもらおうか?」
「殿下、これは彼女が後世のためにと協力を」
「同意しているようには見えなかったが。記憶晒しの使用許可も下りていない」
魔法で神官と魔導士を拘束して締め上げる。
「な、何を!?」
「嘘をついたら締め上げる。さっさと」
「彼女の価値をわかっていない。私達は国のために」
「女神の化身を」
一人が風の拘束を解除しレティシアに手を伸ばしたので、風の刃で腕を斬り落とす。
「これは」
「リオ、落ち着け。治療が先だ。王宮は危険か。ビアードに送るよ」
「マールに送ってもらえますか?叔父上にお願いします」
「公爵令嬢殺害未遂。自害させないように拘束を。報告は俺がする。逃亡も許さないように」
駆けつけた騎士達が捕えているので風魔法を解除する。
レオ様の転移魔法でマール公爵邸に送ってもらい、驚いている侍女に叔父上に至急の治療依頼と手当の道具を頼む。レティシアのために用意した客室に寝かせる。
涙のあとを拭いてぐっすりと眠る傷のない手を握って魔力を送る。侍女が手当てを申し出たが断り道具だけ受けとり追い出す。痛々しい傷跡に丁寧に包帯を巻く。離れなければ良かった。
どうしてレティシアばかり狙われるんだろうか。神事の記録が欲しいなら自分で体験すればいい。誰かのためにばかり動く少女は欲望の塊に狙われ続けるのだろうか。
瞼が揺れゆっくりと銀の瞳が顔を見せた。
傷に触るといけないから瞳を潤ませたレティシアの頭をそっと撫でると勢いよく首に腕がまわり抱きつかれた。
「リオ、」
間違えているのか。きっと今の彼女に必要なのは俺じゃない。
背中に手を回して頭をそっと撫でると嗚咽が聞こえる。
「リオ、記憶取られちゃうって。もう嫌だ。帰りたいよ。シアが消えるなら一緒に消えたい。全部大事なの。偽物でも、リオもクロード様もエディ、シエル、セリア、お父様」
胸がどんどん濡れていく。子供のように声をあげて涙が止まらないレティシア。もう二度とあんなことは許さない。地獄に送ってやる。
「大丈夫だよ。何も奪わせたりしない」
「死ぬのは怖くない。でも記憶が無くなるなら、逃げたいよ。でも私は偽物だからビアード公爵令嬢だから」
泣き叫ぶレティシアの左腕の包帯が血に染まり始めた。俺の言葉はきっと届かない。それにレティシアを素直に泣かせられるのは俺じゃない。俺だとわかればきっと社交の笑みを浮かべて大丈夫なフリをする。誰よりも頼りになる彼女のリオならなんて言うだろうか。一心に自分を信じている愛している少女が傷ついて、泣き叫ぶなら。リオと間違えられていた時を思い出し、思考する。ゆっくりと口を開いて落ち着いた声を出す。
「シア、大丈夫だよ。あんなことは二度とさせない。だから今はゆっくり休んで。大丈夫だから。シアの大事なものは俺が守るよ。お休み」
「起きたら記憶が」
「忘れないよ。ずっと傍にいるよ」
目を閉じたレティシアをベッドに寝かせて頬をつたう涙を拭い、傷のない右手を握る。レティシアの初めての本音かもしれない。リオを恋しく思っているのは知っていた。いつも笑っているけど、本当は違うのかもしれない。
王家やビアード公爵家のために、誰かのためにばかり動いているレティシアの本当の願いは・・・。俺の手を握っているレティシアは・・・。でも、その願いが叶わないことを願ってしまう。彼女のいない世界なんて考えたくない。
「リオ、何があったの?」
部屋に入ってきた母上の声で我に返る。レティシアの血まみれの手を見て目を丸くしている。
魔力の気配がしてレオ様とビアードと叔父上が転移魔法で現れた。
「治療しよう。魔力さえ流さなければそのまま握っていなさい」
叔父上がレティシアの血まみれの包帯を解き、手を当てている。しばらくして顔を顰めて詠唱を始めた。
ビアードはレティシアの傷跡を見て眉間に皺が寄った。
「記憶さらしの魔法陣を壊そうとした。忠臣のビアードらしいけど」
「レオ様、あのバカはわかっていてやったんですか」
「説教するなら回復してからに」
レティシアの左腕の傷も血の汚れも綺麗になくなった。叔父上は額の汗を拭って真剣な顔をしている。
「ビアード嬢は治癒魔法が効きづらい。並の治癒魔導士では」
「叔父上、レティシアはいつも自分で治癒魔法を」
「過剰に治癒魔法をかけ過ぎたか、あまり頼りすぎない方がいい」
「お父様?」
「ビアード嬢、具合はどうかい?」
レティシアがゆっくりと起き上がるので体を支える。叔父上を見て、きょとんとして勢いよく頭を下げた。
「大丈夫です。ありがとうございます」
頭を上げたレティシアが真っ青な顔で叔父上を見ている。握っている手が冷たくなり震え出した。
「記憶、私の記憶は」
「記憶さらしは行われていないよ。魔法が成立する前に魔法陣が爆発したから」
レティシアの手の震えがピタリと止まって、目を見開いて叔父上を見ている。息を飲み勢いよく頭を下げた。
「ルーン公爵、どうか咎は私だけにお願いします。王宮での魔法の利用」
「ビアード嬢、君は被害者で正当防衛だから咎められないよ。それに君以上に派手に使った者がいるから」
「はい?」
「王宮では一人で出歩いてはいけないよ。治療も終わったからビアード公爵邸に帰りなさい。詳しい話はまた後日に」
「かしこまりました。ありがとうございました。後日改めて謝罪に伺わせていただきます」
「気にしないでいい」
「おと、ルーン公爵」
「レティシア、歩けるか?おぶってやろうか?」
「大丈夫ですわ。よくわかりませんがありがとうございます。事情は後日のほうが良さそうですね」
いつもの微笑みを浮かべ、ベッドから立ち上がったレティシアの体が崩れたので手を伸ばして支えるとビアードも同じだった。ビアードが腕を掴んでレティシアを背に乗せた。
「お世話になりました。また後日謝礼に伺います」
「気にしないでいいよ。お大事に」
ビアードに背負われて、礼をして二人は部屋を出て行った。
「叔父上、ありがとうございました。まだ狙われてるんですか?」
「研究狂いの者達だから。ビアード公爵と話し合うよ。リオも休みなさい。王宮での魔法の使用は気をつけなさい」
腕を斬り落としたのに後悔はない。神官と魔導士にこれ以上手を出す気がないくらい恐怖を贈る方法を考えないと。
叔父上と母上に事情聴取を受け、神官の腕を斬り落としたことは小言を言われたが聞き流す。最後に一番気になることを教えてもらった。レティシアは治癒魔法が効きづらいらしい。過剰な治癒魔法の使い過ぎの可能性が高く、原因には心当たりがありすぎた。ビアード公爵夫妻にも後日伝えておくか。
服にレティシアの血が付いていた。
レティシアは死ぬのが怖くないのか。命よりも記憶が大切か。
レティシアにとっての今はどんな世界なんだろう。偽物とまがいもの。レティシアは魔法の成績が優秀でも、まがいものの令嬢と呼ばれている。気にしないと言ってたけど、やっぱり傷ついてたんじゃないか。
泣き叫ぶレティシアはいつか壊れそうだった。
人の幸せばかりを願うレティシアはどうやったら幸せになれるんだろうか。
翌日レティシアは休みだった。体に力が入らなかったから貧血か魔力欠乏だろう。学園を休んで見舞いにはいけないよな。
レティシアにとって大事な記憶。叔父上をお父様と呼んでいた。そして叔父上に向ける視線に警戒の色はなく、言葉も砕けたものだった。
マナに聞くとレティシアの部屋は社交デビューしてから一度も模様替えをしていない。本棚を除けばレティシアの年齢に合わない子供らしい部屋。
泣き叫んだ名前に出てきたお父様は叔父上?殿下にリオにシエルにエドワード・・・。好物はルーン名産の蜂蜜。彼女にとって大事なのはルーン領にあるもの?ルーンは領内にしかないものが多い。見舞いなら贈り物の理由になるよな。侍従を呼び出し使いを頼む。レティシアの心が寂しさが一瞬でも紛れればいい。学園を休んで見舞いに行くのは融通の効かないビアード公爵家は許してもらえないから。
登校するとレティシアがサイラス達と話していた。明るい笑顔はいつもと変わらない。振り向いたレティシアがサイラス達に礼をして俺に近づいてきた。いつもと変わらず上品な笑みで礼をした。
「リオ様、ご迷惑をおかけして申しわけありませんでした。貴重な品ばかりのお見舞いをありがとうございました」
「無事で良かったよ。返礼はいらないから」
「いえ、あんなに高価な物をいただき何も用意しないわけには」
「高価?」
「はい。入手困難な蜂蜜ケーキにルーンの名花ばかりの花束。あの美しさはルーン領でしか見れないものです。まさかビアードで目にすることができるとは思いませんでしたわ」
「そんなに高価なものではないよ。君が喜ぶならいくらでも贈るよ」
「お気持ちだけいただきますわ。ありがとうございます。失礼します」
嬉しそうにルーンのことを語っていたレティシアの顔が淑やかな顔に戻った。彼女は何も望まない。そしてそこまで高価な物ではない。立ち去るレティシアの腕を掴んで抱き寄せる。
「離してください。人目を集めています」
「忘れたくないなら俺が覚えているよ」
「はい?どうされました?」
「君の大事な思い出を」
「お気遣いいただきありがとうございます。必要ありません。授業が始まりますので失礼します」
礼をして立ち去るレティシアの背中はいつも通り。泣き叫んでいたようには見えなかった。だからこそ切なかった。思い出に浸るために取り寄せもしないのか。彼女が望めば手に入るものは多いのに。社交以外ではビアード領から出ないレティシア。今度はルーン領に連れていくか?
彼女が壊れないようにできることはあるんだろうか・・・。
変わっていないと思っていたレティシアは違っていた。なぜかクロード殿下と親しくなっていた。
今まで怖がっていたのが嘘のように頻繁に生徒会室でお茶をしている。そしてどんな殿下も優しい顔で眺めている。
どういう心境の変化で俺の誘いは断るのに殿下は自分から誘うの?なんで俺じゃなく殿下にお菓子のリクエストしてるんだ?
王宮魔導士に呼ばれて席を外したが要領の得ない話を早々に切り上げて執務室に戻るとレティシアの姿がない。
「殿下、レティシアはどちらに?」
「お茶の用意に立った。遅いな」
「失礼します」
レティシアはお茶へのこだわりが強いから、教養の足りない侍女には任せず自分で動く。アリア様が療養してからは王宮の侍女の質が落ちている。殿下に近づくために仕官している令嬢達だから仕方ないか。良縁を掴めずに容姿端麗で優しい殿下の妾狙いの侍女達は、職務に忠実で給金目当ての平民の侍女ほども役に立たない。
そして身の程をわきまえていない侍女は殿下のお気に入りで執務室への出入りが自由に許されているレティシアを嫌っている。
王宮は危険なので魔力を辿って急いでレティシアを探す。王宮に行く馬車の中で必ずリボンを髪に飾っている。魔力を感じる部屋の前にレティシアに嫉妬している侍女が立っていた。
「ここは関係者以外立ち入り禁止です」
「婚約者を迎えに来た」
「お通しできません」
「リオ・マール。俺に命令できるのは王族だけだ。君は王族?」
立場がわかっていない侍女。後で侍女長と生家に不敬を問い質そう。
扉の前から動かない侍女に武力行使するか。
近付いてくるレオ様を見つけて今は穏便な方法を選ぶか。
「どうした?」
「レオ様、レティシアが中にいるんですが、関係者以外立ち入り禁止と」
「父上なら俺が説得するよ」
「おやめください。危険です」
レオ様の命令さえも無視する侍女を力づくでどかして、扉を開けて中に入ると目を見張った。床は血で汚れ、血の海に座り込むレティシアがいた。足元には見たことのない大きな魔法陣が光り広がっている。
「レティシア」
「リオ、やだ、お願い消えないで。どうかこれだけは奪わないで。何もいらないから、どうか」
真っ青な顔で泣き叫ぶレティシアの体を魔力が囲んでいる。名前を呼んでも視線は魔法陣。腕から流れる血がドクドクと魔法陣を染めレティシアの体の周りの青い魔力がどんどん濃くなる。血まみれの短剣を持ち躊躇いなく突き刺すのを止めたくても青い魔力に覆われて近づけない。
「レティシア!!」
名前を呼んでも聞こえていない。彼女を止められる存在は一人だけ思い当たる。
「シア!!」
「お願いだから出てこないで!!親愛なる水の精霊、我に力を与え給え」
「かのものに大地の安らぎの眠りを」
泣き叫んでいるレティシアの体が崩れ、青い光と魔力が消える。
崩れる体に手を伸ばすと足元の魔法陣がさらに輝く。抱きしめて風の結界で包むと爆音と爆風に覆われた。
腕の中のレティシアは涙で顔を濡らし真っ青な顔で気を失っている。左腕は傷だらけで血が流れ続ける。左手に突き刺さっている短剣を抜いたらさらに血が溢れるだろう。
部屋が半壊し、青い顔をしている魔導士と神官がいる。
レオ様が近づいてきたので結界を解除する。レティシアの腕に手を当てレオ様が詠唱すると血が止まった。短剣をそっと抜いてまた詠唱している。
「あとは治癒魔導士に頼んだほうがいい。記憶さらしの魔法陣を用意した理由を聞かせてもらおうか?」
「殿下、これは彼女が後世のためにと協力を」
「同意しているようには見えなかったが。記憶晒しの使用許可も下りていない」
魔法で神官と魔導士を拘束して締め上げる。
「な、何を!?」
「嘘をついたら締め上げる。さっさと」
「彼女の価値をわかっていない。私達は国のために」
「女神の化身を」
一人が風の拘束を解除しレティシアに手を伸ばしたので、風の刃で腕を斬り落とす。
「これは」
「リオ、落ち着け。治療が先だ。王宮は危険か。ビアードに送るよ」
「マールに送ってもらえますか?叔父上にお願いします」
「公爵令嬢殺害未遂。自害させないように拘束を。報告は俺がする。逃亡も許さないように」
駆けつけた騎士達が捕えているので風魔法を解除する。
レオ様の転移魔法でマール公爵邸に送ってもらい、驚いている侍女に叔父上に至急の治療依頼と手当の道具を頼む。レティシアのために用意した客室に寝かせる。
涙のあとを拭いてぐっすりと眠る傷のない手を握って魔力を送る。侍女が手当てを申し出たが断り道具だけ受けとり追い出す。痛々しい傷跡に丁寧に包帯を巻く。離れなければ良かった。
どうしてレティシアばかり狙われるんだろうか。神事の記録が欲しいなら自分で体験すればいい。誰かのためにばかり動く少女は欲望の塊に狙われ続けるのだろうか。
瞼が揺れゆっくりと銀の瞳が顔を見せた。
傷に触るといけないから瞳を潤ませたレティシアの頭をそっと撫でると勢いよく首に腕がまわり抱きつかれた。
「リオ、」
間違えているのか。きっと今の彼女に必要なのは俺じゃない。
背中に手を回して頭をそっと撫でると嗚咽が聞こえる。
「リオ、記憶取られちゃうって。もう嫌だ。帰りたいよ。シアが消えるなら一緒に消えたい。全部大事なの。偽物でも、リオもクロード様もエディ、シエル、セリア、お父様」
胸がどんどん濡れていく。子供のように声をあげて涙が止まらないレティシア。もう二度とあんなことは許さない。地獄に送ってやる。
「大丈夫だよ。何も奪わせたりしない」
「死ぬのは怖くない。でも記憶が無くなるなら、逃げたいよ。でも私は偽物だからビアード公爵令嬢だから」
泣き叫ぶレティシアの左腕の包帯が血に染まり始めた。俺の言葉はきっと届かない。それにレティシアを素直に泣かせられるのは俺じゃない。俺だとわかればきっと社交の笑みを浮かべて大丈夫なフリをする。誰よりも頼りになる彼女のリオならなんて言うだろうか。一心に自分を信じている愛している少女が傷ついて、泣き叫ぶなら。リオと間違えられていた時を思い出し、思考する。ゆっくりと口を開いて落ち着いた声を出す。
「シア、大丈夫だよ。あんなことは二度とさせない。だから今はゆっくり休んで。大丈夫だから。シアの大事なものは俺が守るよ。お休み」
「起きたら記憶が」
「忘れないよ。ずっと傍にいるよ」
目を閉じたレティシアをベッドに寝かせて頬をつたう涙を拭い、傷のない右手を握る。レティシアの初めての本音かもしれない。リオを恋しく思っているのは知っていた。いつも笑っているけど、本当は違うのかもしれない。
王家やビアード公爵家のために、誰かのためにばかり動いているレティシアの本当の願いは・・・。俺の手を握っているレティシアは・・・。でも、その願いが叶わないことを願ってしまう。彼女のいない世界なんて考えたくない。
「リオ、何があったの?」
部屋に入ってきた母上の声で我に返る。レティシアの血まみれの手を見て目を丸くしている。
魔力の気配がしてレオ様とビアードと叔父上が転移魔法で現れた。
「治療しよう。魔力さえ流さなければそのまま握っていなさい」
叔父上がレティシアの血まみれの包帯を解き、手を当てている。しばらくして顔を顰めて詠唱を始めた。
ビアードはレティシアの傷跡を見て眉間に皺が寄った。
「記憶さらしの魔法陣を壊そうとした。忠臣のビアードらしいけど」
「レオ様、あのバカはわかっていてやったんですか」
「説教するなら回復してからに」
レティシアの左腕の傷も血の汚れも綺麗になくなった。叔父上は額の汗を拭って真剣な顔をしている。
「ビアード嬢は治癒魔法が効きづらい。並の治癒魔導士では」
「叔父上、レティシアはいつも自分で治癒魔法を」
「過剰に治癒魔法をかけ過ぎたか、あまり頼りすぎない方がいい」
「お父様?」
「ビアード嬢、具合はどうかい?」
レティシアがゆっくりと起き上がるので体を支える。叔父上を見て、きょとんとして勢いよく頭を下げた。
「大丈夫です。ありがとうございます」
頭を上げたレティシアが真っ青な顔で叔父上を見ている。握っている手が冷たくなり震え出した。
「記憶、私の記憶は」
「記憶さらしは行われていないよ。魔法が成立する前に魔法陣が爆発したから」
レティシアの手の震えがピタリと止まって、目を見開いて叔父上を見ている。息を飲み勢いよく頭を下げた。
「ルーン公爵、どうか咎は私だけにお願いします。王宮での魔法の利用」
「ビアード嬢、君は被害者で正当防衛だから咎められないよ。それに君以上に派手に使った者がいるから」
「はい?」
「王宮では一人で出歩いてはいけないよ。治療も終わったからビアード公爵邸に帰りなさい。詳しい話はまた後日に」
「かしこまりました。ありがとうございました。後日改めて謝罪に伺わせていただきます」
「気にしないでいい」
「おと、ルーン公爵」
「レティシア、歩けるか?おぶってやろうか?」
「大丈夫ですわ。よくわかりませんがありがとうございます。事情は後日のほうが良さそうですね」
いつもの微笑みを浮かべ、ベッドから立ち上がったレティシアの体が崩れたので手を伸ばして支えるとビアードも同じだった。ビアードが腕を掴んでレティシアを背に乗せた。
「お世話になりました。また後日謝礼に伺います」
「気にしないでいいよ。お大事に」
ビアードに背負われて、礼をして二人は部屋を出て行った。
「叔父上、ありがとうございました。まだ狙われてるんですか?」
「研究狂いの者達だから。ビアード公爵と話し合うよ。リオも休みなさい。王宮での魔法の使用は気をつけなさい」
腕を斬り落としたのに後悔はない。神官と魔導士にこれ以上手を出す気がないくらい恐怖を贈る方法を考えないと。
叔父上と母上に事情聴取を受け、神官の腕を斬り落としたことは小言を言われたが聞き流す。最後に一番気になることを教えてもらった。レティシアは治癒魔法が効きづらいらしい。過剰な治癒魔法の使い過ぎの可能性が高く、原因には心当たりがありすぎた。ビアード公爵夫妻にも後日伝えておくか。
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翌日レティシアは休みだった。体に力が入らなかったから貧血か魔力欠乏だろう。学園を休んで見舞いにはいけないよな。
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泣き叫んだ名前に出てきたお父様は叔父上?殿下にリオにシエルにエドワード・・・。好物はルーン名産の蜂蜜。彼女にとって大事なのはルーン領にあるもの?ルーンは領内にしかないものが多い。見舞いなら贈り物の理由になるよな。侍従を呼び出し使いを頼む。レティシアの心が寂しさが一瞬でも紛れればいい。学園を休んで見舞いに行くのは融通の効かないビアード公爵家は許してもらえないから。
登校するとレティシアがサイラス達と話していた。明るい笑顔はいつもと変わらない。振り向いたレティシアがサイラス達に礼をして俺に近づいてきた。いつもと変わらず上品な笑みで礼をした。
「リオ様、ご迷惑をおかけして申しわけありませんでした。貴重な品ばかりのお見舞いをありがとうございました」
「無事で良かったよ。返礼はいらないから」
「いえ、あんなに高価な物をいただき何も用意しないわけには」
「高価?」
「はい。入手困難な蜂蜜ケーキにルーンの名花ばかりの花束。あの美しさはルーン領でしか見れないものです。まさかビアードで目にすることができるとは思いませんでしたわ」
「そんなに高価なものではないよ。君が喜ぶならいくらでも贈るよ」
「お気持ちだけいただきますわ。ありがとうございます。失礼します」
嬉しそうにルーンのことを語っていたレティシアの顔が淑やかな顔に戻った。彼女は何も望まない。そしてそこまで高価な物ではない。立ち去るレティシアの腕を掴んで抱き寄せる。
「離してください。人目を集めています」
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「はい?どうされました?」
「君の大事な思い出を」
「お気遣いいただきありがとうございます。必要ありません。授業が始まりますので失礼します」
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彼女が壊れないようにできることはあるんだろうか・・・。
変わっていないと思っていたレティシアは違っていた。なぜかクロード殿下と親しくなっていた。
今まで怖がっていたのが嘘のように頻繁に生徒会室でお茶をしている。そしてどんな殿下も優しい顔で眺めている。
どういう心境の変化で俺の誘いは断るのに殿下は自分から誘うの?なんで俺じゃなく殿下にお菓子のリクエストしてるんだ?
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