不運な王子と勘違い令嬢

夕鈴

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 青年が波に揺られていた。
 託されたのは貴重な書類の束。
 数多の男が歓喜するだろう美しい姫達の熱烈な手紙を届けるために母国を目指す。

***


 激しい雨が降る夜にベッドから起き上がったレティシアは魔力の気配に目を見張る。
 
「私を見張るためにわざわざですか?きちんと止めてくださいませ。このままですと……」

 夜着に解けた髪、痩せ細った体は人前に出られる姿ではない。
 ザーザーと激しい雨の音が響き、レティシアは首を横に振った。
 レティシアは体に魔力を巡らせ、足に力が入ったのでゆっくりとベットから降り、背筋を伸ばして美しい所作でバルコニーに足を進めた。


大きな花束を抱えたクロードは揺れる銀髪を見つけ、起きているレティシアに笑みを溢した。

「礼はいらないよ」
「このような姿で申し訳ありません。冷たい雨は体を冷やします。父は留守ですが、ご用件は」
「これを、レティに」

 クロードに見たことのない花束を渡されたレティシアは手を出さない。魔法でクロードを濡らす水滴を集めて微笑む。

「お気遣いいただきありがとうございます。そのお心だけで充分です。婚約破棄してもルーンと王家の関係は変わりません。お帰りくださいませ」
「お大事に。ゆっくり休んで」

 クロードはレティシアの冷たい眼差しと態度に動揺を隠しながらも、穏やかに微笑む。礼をするレティシアの体を思えば長居は控えるべきと転移魔法で消えた。

「お見舞いなんていりませんわ。殿下の作った花束はルメラ様に渡してくださいませ。きっと愛らしく笑い喜んでくださいますわ」

 クロードを見送ったレティシアはバルコニーの椅子に座った。冷たい雫が体を濡らす心地良さに頬を緩ませ、強張る体の力を抜いた。

「お嬢様!!中にお入りください。冷たい雨はお体を冷やします」

 シエルは雨に濡れるレティシアを見つけ駆け寄った。
 レティシアは魔法で体を乾かしシエルを宥め、体を支えられながらベッドに戻った。ベッドに座り温かいお茶を飲みながら、クロードに会い動揺する心を見抜かれないように微笑んだ。動揺して目が冴えているレティシアは過剰に心配するシエルのために、目を閉じて眠りの魔法をかけて意識を手放した。
 主を守れなかったと後悔しているシエルの心の傷が癒えるまでレティシアは過保護なシエルに付き合うつもりだった。


 レティシアは転移魔法でバルコニーに頻繁に現れるクロードを冷たい瞳で眺める。
 婚約者ではないレティシアにはクロードに進言する権利はない。以前ならお忍びは護衛をつけているなら笑顔で見送り、部屋にも招いた。護衛をつれていないクロードに護衛をつけてほしいとはもう言わない。面会依頼も出さず、定期的に監視に現れるクロードにため息をついた。

「関わりたくありませんのに。ですが殿下を無視はできませんわ。シエル」

 明るい時間に初めて訪問したクロードの目元に隈を見つけ、疲労の色が濃い姿はルーン公爵家としても放置できない。
 クロードが体調を崩せばアリアが荒れて、八つ当たりされながら治療するのはルーン公爵家。レティシアはアリアに八つ当たりされる父を思い浮かべ、首を横に振った。心配そうな顔をしているシエルに消化に良い軽い食事の用意を命じる。

 レティシアはルーン公爵令嬢であり治癒魔道士である。
 病人を放置するのは信仰するウンディーネの教えに反するため、令嬢モードで武装して淑女の笑みを浮かべてバルコニーに出る。
 礼はいらないと言われたので王族への長い口上を述べるのは時間の無駄と省略した。
 初めて見る疲労困憊の元婚約者が多忙に襲われているのは聞かなくてもわかっていた。

「ごきげんよう殿下。お食事をされていますか?」
「え?」

 クロードは冷たい声で挨拶をしてすぐに帰るように勧めるレティシアの言葉に驚く。
 ルーン公爵家に面会を断られても、病み上がりのレティシアに無理をさせてはいけないとわかっていても会いに来るのはやめられなかった。

「中にどうぞ」

 夢か現実か迷い動かないクロードの顔をじっと見つめたレティシアは感情を隠した青い瞳を細めて微笑みかけ左手を握る。
 レティシアよりも体温が高いはずのクロードの冷たい左手に驚き、動揺を隠して両手で包み込む。目を閉じて魔力を流しながらクロードの体を調べる。過労と栄養不足のクロードのために体力回復の魔法をかける。

「レティ?」

 クロードはレティシアの冷たい魔力が体にめぐり、強張っていた体の力が抜ける。馴染んだ魔力に頬を緩ませ、次第に体が軽くなる。ふと我に返って目を見張る。

「魔法はいらないよ。病み上がりの君に」
「申し訳ありません。もう私に権利はありませんわ」

 王族の体に魔法を使うことが許されるのは選ばれた者だけ。治癒魔法が得意なレティシアは婚約者としてクロードに魔法を使う権利を持っていた。

「魔法は使いませんわ。ウンディーネ様の教えを守るルーンの治癒士としてどうかお食事を振る舞わせてくださいませ。中にどうぞ。毒味は私がしますわ」

 レティシアは魔法の発動を止めて、感情のない人形と囁かれている令嬢モードで微笑みながらクロードの手を強引に引き部屋に招き椅子に座らせた。
 クロードは視線が絡んだレティシアのさらに冷たい瞳に傷つきながらも、されるがまま従う。
 シエルが礼をしてクロードの前に柔らかいパンとスープと果物を並べる。レティシアは一口づつ口に入れて毒味をしていく。

「お召しあがりください。御身を大事になさってください」
「いや、ありがとう。これを、レティに」

 クロードは感情を隠して穏やかに微笑みながらレティシアの好きな蜂蜜菓子を渡す。

「お土産もお詫びもいりません。殿下、私は恨んでいません。気にせずに御身のことだけお考え下さい」

 クロードとの関係を捨てたレティシアは見捨てられたこともレオの勘違いで監禁されたことも恨んでいない。願うのはただ一つ。

 ――――――関わらないで欲しいだけ。
 レティシアはクロードからの贈り物は全て意味があると思っていた。
 思惑がこもっている贈り物を受け取れば、何がおこるかわからないので不敬でも拒み続けた。クロードに疑われていると思い込むレティシアは贈り物を受け取ることも、返礼のためのやり取りも怖かった。


 クロードは理由がなければ蜂蜜以外の贈り物を受け取らないレティシアに色んな理由をつけて贈り物をしていた。
 連日花束を断られ、蜂蜜菓子の詰め合わせなら受け取ってくれるだろうと用意した物だった。
 クロードはレティシアの感情を隠した青い瞳をじっと見つめた。

「もしかして怒っている?」
「いいえ」
  
  金の瞳に探られるように見つめられたレティシアは、動揺を隠して見つめ返す。
  尋問中のクロードから視線を逸らせば、疑われるとわかっていても終わらない無言のにらみ合いにレティシアは耐えられなくなった。
 目を閉じて、ゆっくりと首を横に振る。
 無理矢理笑顔を作って目を開けるとクロードの手が伸びたので、触れられないように後に下がった。

「私はレティと」
「恐れながら殿下、これからも臣下として誠心誠意お仕え致します。失礼します」

 レティシアは不敬とわかっていてもクロードの言葉を遮り礼をして退室した。頬の筋肉が強張り、令嬢モードが剥がれる前に。令嬢モードが剥がれれば大惨事だった。

「毒味か……」

 レティシアの背中を見送ったクロードは食欲がない。今までレティシアが用意したものは毒味をつけずに、口に運んだ。毒味をレティシア自らしたのは、クロードに疑われていると懸念があるから。毒味をした主人から振る舞われた料理に手をつけないのは、関係を切りたい意思表示の一つ。クロードは料理を口にしながら変わった関係に、昔ならありえない光景に目を伏せる。


「頭をあげて。礼はいらないよ。レティは私に礼をしなくていいよ」
「おかえりなさいませ。王族に敬意を示すのは大事なことですわ」
「ただいま。これを。うちでは咲かない花だけど、薬花として取引が始まる」
「ありがとうございます。研究者達が喜びますわ。お時間があるならどうぞ。お食事を振る舞わせてくださいませ」

 大きな花束の半分は研究者に、残りはレティシアの部屋に飾られる。
クロードが訪ねると部屋に招き、食事を振る舞われている時は座ってお茶を飲み、微笑みながら話に耳を傾けていた。長い外交の後はレティシアに会いに行くのが帰国の楽しみだった。
 初めて青い瞳の少女がいない席で味気ない料理を口の中に流す。レティシアが目覚めて歓喜してもクロードの心の靄が晴れることはなかった。






 レティシアは足早にエドワードの部屋に向かっていた。

「先触れもなく申しわけありません。エドワード、よろしいですか?」

 エドワードはレティシアの声に驚き部屋から出た。

「姉上、次は呼んでください。お体に障ります」
「ありがとうございます。殿下がいらっしゃってます。食事を用意したのでおもてなしをお願いできますか?」
「姉上は僕の部屋でお休みください。殿下はお任せください」
「ありがとうございます。お願いします」

 エドワードは姉の頼みに爽やかな笑顔で頷く。姉がクロードとの関係を望まないなら丁重にもてなして帰らせるだけである。

 クロードがレティシアを警戒して訪問している事情はレティシアしか知らない。
傍から見れば元婚約者と密会と囁かれ、クロードに未練がましく付き纏うルーン公爵令嬢と言われるのは屈辱だった。

「お父様に面会依頼をお願いします。祈りの間に行きますわ」
「かしこまりました」

 レティシアはシエルに使いを頼み、祈りの間に入った。
 ウンディーネ像の前に立つと、ふらふらと座り込んだ。震える体を抱きしめながらウンディーネ像を見つめた。

「殿下に尋問されましたわ。罠にかかって、殿下の使い勝手のいい駒になるなどごめんですわ。ルーンのために生きます。私はお父様の駒ですもの。恋に夢中な腹黒な殿下のお考えなどわかりません。わかりたくもありません。当事者だけが幸せで周りを傷つける恋なんて嫌いですわ。ルメラ様を選ばれた殿方達に婚約破棄され、どれだけの令嬢が後始末に翻弄されたか……。私を裁きたいならお好きにされればよろしいのに。殿下自ら監視されるなら、騎士を手配して見張らせればよろしいのに。ウンディーネ様、どうか見守ってください。もう関わりたくありません」

 震えが止まったレティシアは両手を組み、乱れた心を落ち着けるために魔力を奉納しながら一心に祈りを捧げた。
 ルーン公爵は部屋に入ると青い光に包まれ、大量の魔力を放出している愛娘に驚く。
 ルーン公爵は祈りを捧げるレティシアの背中を眺めながら、連日現れるクロード、王家と関わりたくない愛娘、武力行使に走りそうな妻と息子、問題ばかりの現状に長いため息を吐いた。

「殿下が王族でなければ違っただろう。二人の道は三つ。幸せになってほしいが……」

 幸せを祈りたくてもクロードとレティシアの願いは正反対だった。

 クロードの婚約者の椅子を狙う凄絶な争いが繰り広げられ、緊迫した空気の中に誤解を招く面会は受けられなかった。
 クロードと面会しているのに社交に復帰しないレティシアは批難の嵐が浴びる。レティシアへの批難にエドワードとルーン公爵夫人が暴走する。二人に負担をかけないように魔力を纏わないとほとんど歩けないレティシアが社交に駆け回るのが目に見えていた。ルーン公爵家で一番社交に秀でるのはレティシアだった。
 レティシアとの婚約破棄に沈黙を貫くクロードの動きに目を光らせている貴族が多く王家の馬車で訪問されれば惨事が起こるのは明らかだった。


 宰相としてはクロードに勧める道はクロードが望んでいないものだった。
 ようやくルーン公爵に気づき魔力の奉納をやめて振り向いたレティシアの願いには快く頷いた。

「地位も名誉もなくていい。レティシアが望んで幸せになれる男の手を取りなさい。ローゼとエドワードが許す男が現れるかは……。鈍いのはターナーの血だろうか」
「お父様?」
「部屋まで送ろう。魔力の使いすぎに気をつけてなさい」

 ルーン公爵は微笑むレティシアに魔力を送りながらエスコートしてベッドに寝かせた。
 頻繁に倒れる愛娘がゆっくりと道を探すのを見守ると決めていた。

「レティシアが嫌がる縁談は受けないから覚えておきなさい」
「私はルーンのためならどんな方でも異存はありませんわ。お父様の命令に従います」
「そうか。もう休みなさい」
「かしこまりました。おやすみなさい。お父様」

 ルーン公爵は魔法を使わないと眠れないレティシアに魔法をかけた。
 ぐっすりと眠った魔法がかかる愛娘の体に安堵し、願いを叶えるための手配を始めた。
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