婚約破棄の裏事情

夕鈴

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番外編 もしもの話2

絡み合った糸の結末 4

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カローナは目を覚ますとふかふかのベッドの中にいた。目の前には見覚えのない天井が広がっていた。

「ロナ。起きた?」
「ここは……」
「ロナ、おはよう」
「だれ?」
「サンだよ。寝ぼけてるのかな。お寝坊さんが目覚めたから食事にしようか」

カローナは妖精のサンと同じ色を持つ青年を見て首を傾げる。第三王子は優しく微笑み、ゆっくりと体を起こすカローナの肩を抱き補助する。カローナは支えられるままに起きあがり、ベッドから立ち上がる。第三王子はぼんやりとしているカローナの手を引きエスコートする。カローナはふと、鏡に映った自身の姿に目を見開く。
黒髪が茶髪に変わり、腰まで伸ばしていた髪は肩までしかない。瞳の色も赤ではなく茶色、見覚えのない色を持つ自身の頬をつねると痛いので、夢ではないと認識する。
髪を金髪から茶色に変えた第三王子は思いっきり頬を引き伸ばすカローナの手を掴んで頬から外す。赤くなった頬を優しく撫でて笑いを堪えて優しく微笑む。

「ロナ、そろそろ答えを聞かせてよ。僕のお嫁さんになってくれる?」

カローナは状況はわからないが生きていてはいけなかった。王宮での唯一の大事な思い出の存在に会えた幸福に感謝し、走馬燈に首をゆっくり振る。カローナが命尽きる時まで願うのは王家の繁栄。

「私はサンのお嫁さんになれないわ。私は生きていてはいけない」
「どうして?」
「言えない。でも大事な約束なの」

貴族の笑みを見せたカローナの頬に第三王子がそっと手を添え互いの額を合わせ優しい声でゆっくりと語りかける。

「ロナ、また悪い夢を見たんだね。僕達はずっと二人だった。僕はそんな約束知らないよ」
「え?」
「僕達の両親が亡くなってずっと二人で生きてきたよ。ロナのことは全部僕が知ってるよ。ロナは幸せな記憶だけ覚えていればいい。何があっても僕が守るよ」
「違う。私はカローナで」

カローナは目の前の妖精の言葉に首を横に振る。カローナは妖精のサンとずっと過ごした記憶はない。
戸惑うカローナに第三王子は子供のような無邪気な笑みを浮かべる。

「カローナって亡くなった公爵家のお嬢様?」
「な、なくなった?」
「うん。賊に襲われ亡くなった人気者のお嬢様でしょ?新聞で読んだけど遠くの国のお貴族様の話だよ。僕達には関係ないよ」
「ちがう、私がカローナ」
「ロナの夢の話は楽しいな。今度はお嬢様の話?」

カローナはサンの嘘に聞こえない優しい声と無邪気な笑みを見て考えるのをやめた。カローナ・マグナが死んだなら王族である第一妃の願い通りである。

「ロナ、今と未来にだけ目を向けよう。ロナが忘れた思い出は僕が話してあげる」

第三王子は優しくカローナを抱きしめる。
カローナはロナとして生きた記憶はない。それでもサンが気にしないでと笑う。過去ではなく未来に目を向けて生きればいいと言いながら抱きしめられる腕は泣きたくなるほど温かい。
サンに手を繋がれて見た窓の外に広がる風景は見覚えのない場所だった。
サンの瞳の陽だまりのような温かさは出会った頃と変わらない。第一王子の婚約者のカローナ・マグナは死に、自分が王家の婚約者ではないなら言える言葉があった。カローナは来世で伝えられますようにと口に出せなかった願いが叶った。
カローナは妖精のサンに好きと言われても自分の気持ちを伝えられなかった。今まではその気持ちを認めることも口に出すことも許されなかった。

「サン、大好き」
「僕もずっとロナが好きだよ。これからもずっと一緒だよ」

カローナは抱き寄せられる腕に身を任せ強ばっていた体の力を抜く。ぽかぽかとして陽だまりのような男が嘘の塊であるとは気づかない。抱きしめられる腕に温もりを感じたのは初めてだった。そしてカローナの腕には外れない腕輪がつけられているのは気付かなかった。

****

時はしばらくさかのぼる。
第三王子はカローナに強い睡眠薬を飲ませた。
そして王家に見つからない隠れ家に隠した。ぼんやりと目覚めるカローナに食事をさせて、また睡眠薬で眠らせ髪を切った。外国で手に入れた瞳と髪色を変える腕輪を付け、口の固い従者に護衛と世話を命じた。
猟師にはカローナは見つからなかったと嘘をついた。
第三王子は猟師から、森に置き去りにされ、丸薬が主食の死なないといけないと楽しそうに笑うカローナの話を聞いた。そして死を命じたのは取引中の第一妃ではなく、兄だと察した。猟師に嘘を告げて自身のことは口止めを頼んで別れる。
森には賊の住処が幾つかあり、剣も暗殺も得意な第三王子は一人で襲撃した。兄への苛立ちをぶつけるように賊を斬りつけ、死体の判別もつかない状況を作り、カローナの服と髪とマグナ公爵家の紋章入りのハンカチを入れたカローナの荷物を忍ばせた。

第三王子が視察帰りに、カローナの書き上げた書類を持ち帰ると元伯爵領に捜索隊が向かった。そしてカローナの情報が集められ、賊に浚われ殺害が発表された。
第三王子が持ち帰った書類の中には辺境の孤児院への視察の資料も紛れていた。
この指示書は第一王子のファンの公爵令嬢の悪戯だった。カローナを森に送った御者はすでに姿を消した。カローナに護衛がついていなかったのは、早朝の予定外の外出であり、訓練場で事故がありさらに警備兵が少なかった。そしてカローナを目にしたのは新人の騎士だったため、一人で馬車置き場に歩くカローナを気に掛けなかった。
公爵令嬢もカローナが行方不明になるのは予想外だった。遠方にカローナを置き去りにして、第二妃のお茶会を私事で欠席し、後日糾弾されるのを眺め、王子の婚約者に相応しくないと責めたかっただけである。御者は公爵令嬢に脅されてカローナを置き去りにした。そして馬車を王宮に返しそのまま姿を消す。見つかり処罰されるのを恐れ、公爵令嬢に渡された金貨を持って国外逃亡した。

第三王子は継承権の放棄と王族位の返上の書類を部屋に置いて姿を消す。
国王は第三王子の行動に驚きながらマグナ公爵家から抗議を受け対応に追われお気に入りの息子を探す余裕はなかった。カローナの冷遇と護衛の不備、殺害、偽造のものを混ぜる書類の管理の杜撰等止まない抗議を。マグナ公爵家の抗議とカローナの死を受け立ち上がった貴族達の王家への不満や不審が徐々に広がっていき、さらに対応に追われていた。

猟師は王族の顔を知らなかった。
尋問に訪問した憔悴した第一王子に、聞かれるまま倒れていたカローナを保護した話をした。森に置き去りにされ、ずっと迎えを待っていた少女。婚約破棄のために邪魔になったので死ななければいけないと呟く悲しい少女が目を放した隙に、姿を消したと。猟師は第一王子を迎えるころには冷静さを取り戻し、第三王子に話したものより詳細に話せた。目の前のカローナの婚約者と名乗る疲労の溜まった顔で悲しんでいる青年に思い出せるかぎり丁寧に話した。
第一王子は猟師を斬らずに、謝礼を置いて立ち去る。斬ればカローナが悲しむのがわかっていた。第一王子はカローナがずっと迎えを待っていたと言われた場所の木を殴りつけた。

「私はカローナ以外迎えるつもりはなかった。なぜ、言わぬ!!カローナ」

あの時、探しに行けばよかった。
あの日、呼び止めれば。一番守りたかった婚約者の遺体さえ見つからない。後悔の消えない第一王子はカローナの遺品が見つかった場所に向かう。遺体は埋葬されても異臭の残る血痕の残る場に膝を付いて目を閉じる。守れなかったカローナを思い出し静かに涙を流した。

「殿下、気分はいかがですか?申しわけありません。起き上がるのは、失礼しますね」

ベッドで横になる第一王子の唇にカローナがそっとあてた小さい氷を口に含んだ。

「お仕事は私にお任せください。ゆっくり休んでください」

第一王子が伸ばす手をカローナは冷たい手で包み優しく微笑む。

「そばにおれ」
「殿下のお心のままに」

第一王子が熱を出した時、ずっとカローナが看病してくれた記憶を思い出した。第一王子の記憶の中のカローナはいつも笑顔で、呼べばすぐに傍に来た。第一王子はカローナがずっと側にいる未来を信じていた。
カローナを奪った者が許せない。「殿下、きちんと手続きをお願いします」と微笑むカローナを思い出し第一王子は涙を拭いて立ち上がる。

「カローナ、私にはそなただけだ。それは何があっても変わらん」

第一王子はカローナの言葉を守るために足をふみだした。


****
カローナは自身の死で悲しみにくれる存在には気づかずに第三王子と暮らしていた。
産まれた赤子は黒髪の第三王子と同じ瞳を持った女の子だった。第三王子は不思議そうな顔をするカローナに優しく微笑みながら抱きしめる。

「僕のおばあ様は黒髪だったんだよ」
「なにも思い出せない」
「過去はいらないよ。今と未来だけでいい。」
「寂しい。夢なら覚えてるのに」
「ロナは昔から忘れっぽいから。現実と夢がわからなくなったら僕が教えてあげるよ」
「サンが覚えてるものね。サン、お話して。イリーナのお父様のお話は楽しいのよ」

カローナは第三王子の嘘の過去の話を信じている。目の前にいるサンは夢の中の妖精ではない。触れられて、年を重ねる生身の人、突然消えていなくならない。それだけわかればよかった。

「サン、突然消えない?」
「うん。ずっと一緒だよ」

カローナは自分を抱きしめ優しく笑う第三王子の腕の中で笑みを溢す。
第三王子は呼吸をするように嘘をつく。カローナにとって辛い過去は全て忘れればいいと心から思いながら。

****

第三王子はカローナを追い詰めた第一王子には望み通りの縁談を用意した。
カローナとは正反対の第一妃にそっくりな高慢で豊満な体を持つ姫を妃に迎えるだろう。無能な妃を持って苦労する兄は知らない。カローナの死に泣き、主犯の公爵令嬢の首を容赦なく落としても関係ない。カローナの瞳から光を奪ったのは許せなかった。王宮という血生臭い世界で飼い殺されればいい。第二王子に、はめられていても同情しない。王宮では騙されるほうが悪い。第三王子が欲しくて堪らなかった後ろ盾も権力も生まれた時から与えられ、カローナの傍にいる権利も守れるだけの権力も持っていたのに兄がカローナに与えたのは傷だけである。

第三王子にとって腕の中のカローナは子供のようだった。
放っておくと食事も取らない。壊れた妻の心が回復するかはわからない。
3歳の時に一目で恋に落ちたニコニコと笑顔の可愛い女の子。
兄達に意地悪される姿を見ても、後ろ盾のない第三王子は何もできなかった。母に止められ、下手に動けばさらにカローナが傷つけられるのがわかっていた。
力をつけて、ずっと救い出したかった女の子。
川に飛び込み空虚な瞳のカローナを見て、穏便な方法を取る時間も余裕もなく、抱きしめる腕を解いたら消えそうで、壊れたカローナをこれ以上は傷つけずに守るために手段を選ばないと決意した。
カローナはサンが第三王子とは気づかない。第三王子も生涯教えるつもりはない。
第三王子はカローナにロナとサンの嘘の過去を教える。
腕の中に閉じ込めて、優しい物語を聞かせ、優しい言葉だけを与え、自分に依存するように仕向けた。カローナの瞳に自分しか映ってないのは幸せだった。
子供が生まれて、カローナの心は少しずつ外の世界を向き始めた。

カローナに睡眠薬を飲ませるのをやめて、目を覚ました時には遠い異国に移動していた。
カローナがマグナ公爵家を大事に想っているのを知っていても第三王子は壊れゆくカローナを放置した家族はいらなかった。一歩遅ければ死んでいた。腕の中で笑う少女のような容姿を持つ妻がいなくなるのは恐怖だった。
追い詰められた結果でもカローナが家族を捨てるなら第三王子にとっては好都合だった。
カローナの家族もカローナの傍にいる権利も助ける力も持っていた。第三王子が欲しくて堪らなかったものを。弱小伯爵家の母を持ち後ろ盾のない第三王子。動き方を間違えればすぐに殺される存在で、妃達の目に入らないように他国を渡り歩き、どんなものからも守れるように力をつけるしかなかった。カローナの利用価値を知る兄や妃達から、カローナが大事にする家族ごと守るには。
離れたくなくても、正体を隠してサンとして傍にいるだけでは救ってあげられないのを知っていた。
カローナよりも他の令嬢を大切にする第一王子には相談できない。マグナ公爵家がカローナを大事にしてるようにも見えない。第三王子は成長すればするほどカローナについては誰も信頼できずに、助けを求めることができなかった。国王は妃の言いなりのため頼りにならないのも知っていた。大事なものは自分の力で守るしかなかった。

「ロナ、ずっと一緒。何があっても」
「うん。ロナの夢は叶ったから。サンとこの子がいればいいの」

第三王子は睡眠薬でぼんやりするカローナから溢される言葉に何度も息を飲んだ。
カローナが食用の豚に憧れていたのは知らなかった。飼い主の望みのままに育てられる豚。最後は食べるために殺される豚のように、求められ、潔い死を迎えたいと願っていたことを。
もっと早く浚えばよかったと後悔は消えない。心を壊し死を望むのに気付けず第三王子は間に合わなかった。
唯一の救いはカローナは生きていた。
過去は変えられないから、辛い過去は捨てさせ、これからは全ての物から守ると決めた。カローナの傍を離れた代償に、王子ではなくサントスとしての力を手に入れた。

カローナは夫が歪んでいるのも狂っているのも気付かず、優しい夫だと思っている。
カローナは自分の世界の陽だまり夫と子供に極上の笑みを浮かべる。愛されることがいかに難しいかカローナは知っている。王家にいらないカローナはロナに生まれ変わりサンに拾われた。嘘も本当もどうでもいい。目の前にある温かい腕と陽だまりのような瞳を見れば不安も消え、体がじんわりと温かくなる。作られた箱庭の中で生きるカローナは暖かい場所を知れば抜け出したくなかった。夢の中の冷たい世界。冷たくて寂しい箱庭よりも居心地のよい場所にいたかった。

カローナは母国に反乱が起こっていることは知らない。
裏で手を引いている最愛の妹も存在も。

「ロナ、大丈夫だよ。怖い夢だ。」
「大事だった。あの子が泣いているかもしれない」

何を犠牲にしても守りたかった存在。小さい妹。いつも無邪気な笑顔で自分を慕うのは妹だけだった。
第三王子はカローナの涙を優しく指で拭う。過去を思い出し泣き出すカローナに贈る言葉はいつも同じ。

「夢は自由自在だよ。好きなように想像すればいい。カローナが妖精に出会ったなら、イナナは魔法使いに出会ったかな?そして魔法使いと幸せに暮らした」
「あんなにいい子が幸せになれないはずないものね。これからも幸せが続きますように」
「僕はロナの幸せが一番だけど」

カローナの夫は陽だまりである。すぐにカローナの心の痛みを温かく包み込み溶かして取り除く。夫が言うならきっとその通りである。
夫の優しさに溢れた世界の中でカローナは生きていく。自分の願いを口に出せるのは奇跡である。単なるロナは何にも縛られない。自由になったカローナだったロナは愛しい人と生きていく。次に命が終わる時は大事な人の幸せを願おうと思いなら与えられる温もりに身を委ねた。


****

第一王子は第一妃の勧める縁談を断り、亡くなってもカローナ以外を迎えないと表明し、誰に説得されても頷かなかった。
カローナの葬儀が終わると婚約者さえ守れなかった自分に王は務まらないと継承権を放棄する。そしてカローナの死から膨れ上がる王家への不満の責任を取るため王族位から除籍を願う。第一妃や国王の止める声も聞かず、書類を整え王族の象徴である長い金髪を切り、書類と共に置いて姿を消した。
全てを捨てた第一王子は空に向かって問いかける。

「カローナ、怒るか?」

第一王子はカローナの「殿下の御心のままに」と微笑む顔を思い浮かべ足を進める。
第一王子はカローナを奪った賊という存在を許さなかった。姿を消した第一王子は旅人になり、賊を見つけると討伐した。保護した少女に一目惚れされ追いかけまわされ、少年に弟子にしてほしいと付き纏われ、気付いたら人に囲まれ賑やかな生活を送る。それでもいつも思い浮かべ心に住むのはたった一人の少女だけ。
第二王子は国王に即位してすぐに反乱が起きた。
イナナは姉を奪った王家を許せず、暗躍して反乱軍を組織させた。イナナの母親も支援した。カローナの冷遇の理由が第一妃の自分への嫉妬。元マグナ公爵夫人は望むなら幾らでも相手になった。優越感に浸るため娘を苦しめ、見て見ぬフリをした私利私欲の塊に王家に国を治める資格はないと思い隣国の皇帝に告げた。そして反乱軍と隣国が手を組み王家を滅ぼした。
イナナは燃える王宮を静かに眺めていた。憎い王家は滅び、姉を傷つけた者への復讐も終えた。それでもイナナの心は晴れない。イナナのたそがれる背中を喪服を着た夫人が眺めていた。

「形あるものはいつか滅びるわ。でも今の貴方を見て最愛の姉はどう思う?」

イナナが振り向くと喪服を着た母より年上の夫人がいた。

「貴方に何が」
「私も最愛の人を亡くしたわ。事故だけど、仕組まれたものかもしれない。復讐しようと思ったけど思い出したの。私の指をそっと手に取り、最期に愛しそうに口づけ眠った彼を。美しい指を血で汚すなって最愛の人は怒るわ。空からきっと見守ってる。あの人は豪胆だけど実は私にだけは心配性なのよ。」

楽しそうに笑う夫人をイナナは無感情な顔で見つめる。

「何が言いたいんですか?」
「慈愛に満ちた第一王子の婚約者。冷遇されても何も言わずに、ずっと微笑んでいた彼女の真意がわからない?」
「お姉様は命令されて」
「王族なんて狂った人間の集まりよ。あそこで育ち狂わない者はいないわ。かつて優秀な王太子と謳われた私の愛しい人も狂っていたわ。愚弟の女の趣味は最低で笑ってしまったわ。そんな見た目だけの最低な女に育てられた聖女のようなカローナ・マグナ。あの子が必死に耐えていたのはどうしてかわからない?」
「命令されたから」
「貴方も視野が狭いわ。命令されても縛れないものがあるのよ。王族は守りたいものを必ず見つけるの。第一妃は心、第二妃は優越感、第三妃は息子。愚弟は平穏。もちろん王族の一員として育てられたカローナも。カローナが婚約破棄され次に目をつけられるのは妹よ。幼いなりに貴方の笑顔を守りたかった。カローナが今の貴方を見たらどう思う?」

イナナはいつも抱きしめてくれる手は冷たいのに温かい腕を持つ最愛の姉をぼんやりと思い浮かべる。

「お姉様は悲しむ。いつもイナナの笑顔が好きって。でも、イナナは」


暗い瞳の無感情な声を出す泣けなくなったイナナに夫人は笑う。
自分も覚えのある感情で、飲み込まれなかったのは最愛の人のお蔭。
夫人の昔の名はレリアナ。3人の王子の父である先代国王の亡くなった兄である王太子のかつての婚約者。武を誇る父と知を大事にする母に育てられた豪胆でも文武両道で頼もしい背中を持つ王太子。
常に民のためにと前を向いて突き進む王太子にレリアナは一目惚れして追いかけた。王太子はいつも自分の隣に寄り添うレリアナに惹かれ恋人になる。王太子はどこへでも自分を追いかけてくる自由奔放なレリアナを愛し、後宮という魔の鳥籠に婚約者として迎えいれることを拒んだ。レリアナは王太子にそれでも妃に選んで欲しいと頼み、一つだけ約束をして受け入れられた。辛くなったら逃げるようにと。
王太子が命を落とした落石事故の現場にレリアナもいた。気付くと王太子の腕に抱かれて無傷だった。瓦礫が刺さり、死期を悟った王太子はレリアナの救助と助からない自身以外の救助を優先させるように命じ、王太子を優先させようとする者には怒号を飛ばす。レリアナは怒号を飛ばされても王太子の傍から離れず、息を引き取り、冷たくなった体から離れなかった。葬儀が行われるまではずっと。
王位を継ぐ前に命を落とした恋人が遺したものは二つ。一つは国王となる弟への手紙。もう一つはレリアナが自由に生きられる隠れ家と逃げ道。
最後の命令は落石事故については誰も罰せず調査をしないこと。王太子を見殺しにしたと囁く愚かな貴族が出ることを許さなかった。
葬儀が終わった後に、王妃教育の終えていたレリアナは先代国王との婚約を宰相に匂わせられ姿を消すことを決める。そして現実を見ないで塞ぎこんでいる先代国王を恐れる両親の前に突き出し強制的に教育するように説得して王太子の残した逃げ道を使い隠れ家に向かった。王太子の残した隠れ家はレリアナ好みの一軒家と自由に生きて欲しいと残された1枚の手紙。
噂で落石事故は人為的なものと聞き、恨みに飲まれそうになっても調べなかった。恨みに飲まれてしまう自身を心配して最後に私情まみれの命令を残した誰よりも愛しい人。レリアナは時間をかけて、傷を癒しながら、偶然出会った孤児を保護して気まぐれで育てる。気付くと王太子の話を笑顔で子供に語れるようになっていた。レリアナのもとには時々王太子の忠臣が情報を持って訪ねた。レリアナが自由に生きられるように助けてほしいと頼まれた者が。
レリアナは王家に関わるつもりはないが、滅ぶと聞き最後に思い出のある王宮を見るために足を運ぶとイナナを見つけた。大事な人を失う狂う気持ちはよくわかる。そして、王家の犠牲になった公爵令嬢、自分よりも王家や人を優先する恋人にそっくりなカローナのために言葉を掛けた。


「残された者のことは考えない。自分さえ犠牲になればいいと思っているのはバカよね。」
「お姉様はもういない。私はお姉様のいない世界に」
「貴方は子供よ。昔の私や愚弟にそっくり。亡くなった人との付き合い方を教えてあげるわ」

レリアナは自害しそうなイナナの手を強引に引き、王太子のために作った墓地に連れて行く。木々が茂り、二人で過ごした思い出の場所。名前のない墓標には何も埋まっていない。自分が亡くなればここに、王太子の思い出の物と埋めるように遺書を残していた。

「ここは私しか知らない。あの人との思い出を埋めたの。いつもここであの人を思い出すわ。声は聞こえない。体もここにはない。でもあの人の心はここにあるの。この場所にはあの人との思い出がつまっている。国が滅んだと知ってもきっと笑うわ。民の御心のままだって。でも私が巻き込まれなくて良かったって安心してるかしら」
「どうして笑えるの?」
「これからゆっくり教えてあげる。」

レリアナは無感情な声を出すイナナに笑いかけ、大きい孤児として保護を決め我が家に帰る。
イナナはレリアナと孤児達と一緒に暮らした。
半年が経ち、孤児院の子供を眺め、手を繋いで走る姉妹を見て姉を思い出しイナナの瞳から涙が零れる。どんなに思い出そうとしてもかすんだ記憶が姉が亡くなってから初めて鮮明に浮かんだ。

「お姉様、イナナは守られるより、頼って欲しかった。ずっと傍にいて欲しかった。」

小さい頃は姉がいつもイナナの手を引いて歩いていた。

「イナナ、悲しくなったら空を見上げるの。お庭を歩いてもいいわ。ポカポカの陽だまりを見つけられたら素敵な日になるわ。」

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イナナはまだうまく笑えない。でも姉が迎えに来てくれる日までにレリアナのように自然に笑えるようになれるように願い頬をつたう涙を拭うとイナナを呼ぶ元気な声に立ち上がる。ここには大事な家族を亡くしても元気に生きる子供達で溢れていた。イナナはようやく前を向きゆっくりとした一歩を踏み出した。
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